■ケンシロウに近づくには

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。


先の記事で「潜在意識は3%しか使われていない」という説が誤りだと説明しましたが、この手の「正しいと信じられている誤り」は割と多いです。特に精神世界や自己啓発など、目に見えない世界の話は正直ウソだらけと言っていいでしょう。


例えば先ほどの潜在意識の話に似ているのですが、「脳は潜在能力の10%程度しか発揮していない、だから脳を鍛えて潜在能力を引きだそう」なる説。脳トレブームの背景にはこのような説が張り付いていたのですが、脳トレが実際に効果があるかどうかはさておき、「脳は10%しか使っていない」は非常に微妙な文言です。
確かに本当に10%しか使われてはいないようですが、それは今の「身体」だと10%で十分であり、それ以上は使う必要がないだけの話。もしも脳の大きさが変わらず、身体だけ今の10倍近くあれば、脳もそれだけの働きをする必要があり、その分、活性化することでしょう。


ただ、逆に両手が不自由にあるなど、身体に何らかの欠陥が生じた場合、日常生活でその不便を補うため、例えば足や口など、身体の別の部位で代替するようになります。足でご飯を食べたり、字を書いたりする人を見たことあるでしょう。足を手のように使うには、それまで使っていなかった脳の機能を呼び覚ます必要があり、それにより自然と脳は活性化されるのです。


つまり脳を鍛えたければ、身体を鍛える方が先なのです。おそらくは両手が自由に使える人は、足を手のように使う必要がないから鍛えないだけで、それでも鍛え続けていると使えるようになり、よって脳も活性化されます。


その理屈で言えば、「北斗の拳」などは実に正しいことが書かれているのです。通常の人はその潜在能力を10%(?)しか使っていないが、北斗神拳はその90%までも使うとされています。確かにあんなめちゃくちゃな動態視力だとか、反射神経を身につけるのなら、90%くらいは使っていないと困るわけです。


ようするに脳を鍛えたければ、まずは身体から。ただし、筋トレをして筋肉隆々になれば頭が良くなる、、、と言う訳じゃなく、具体的な「行動」によって身体を動かすと、その分の「脳」力が身につくという、至極、当たり前の話だったりするのです。


一言で言うと、脳そのものトレーニングなどせず、まずは具体的に動きましょう、ということ。それによって少しでもケンシロウに近づけるわけです。


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■潜在意識3%説

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。


私たちの「潜在意識」は実は3%しか使われていない。残りの97%を活用することが、成功への近道だ。そのためには・・・


自己啓発系の本やセミナーにてしばしば言われる話です。そもそもなぜ3%なのか。そのエビデンスはどこにあるのか。実はそんな野暮な話でもなく、この説は完全に誤りです。


正解を言うと、私たちの「潜在意識」は100%使われています。このような誤解が生じる理由はそもそも「潜在意識」とは何ぞやが理解できていないから。潜在意識は無意識と言い換えても良いのですが、心臓動かしてるのも潜在意識だし、呼吸も、瞬きも、発汗も、あらゆる動作が潜在意識の働きです。


また、人と会うと緊張する。これも潜在意識の働きですが、そもそも人は生まれながらに緊張するのではありません。幼少期に両親を始め周囲の人から何らかの肉体的・精神的危害を加えられることで「人=危険」なる情報が潜在意識にインプットされ、それゆえに会うと緊張するのです。この緊張状態は自分の身を守るための働きであり、つまり、潜在意識は生命の維持と安全の確保のために常に100%の状態で働いているのです。


逆に、人と会っても緊張しない人は、幼少期より人から危害を加えられることがほとんどなく、「人=安全」なる情報が潜在意識にインプットされており、それゆえに人と会っても緊張しないのです。さらに特別良い人に恵まれていたら、「人=楽しい」なる情報がインプットされ、人と会うのが楽しくて仕方なくなります。そんな人は営業などもにも向いています。


この「潜在意識」の情報は生まれてから15歳前後まででインプットが終了し、その情報に基づいて100%の力で働き続けます。しかし、中には古くなった情報もあり、実生活の役に立たない情報だってたくさんあります。その役立たない情報が、行動を妨げ、いわゆる成功を抑制します。


自己啓発における潜在意識の活用法とは、残り97%を目覚めさせることではなく、潜在意識にある「情報」を役に立たないものから、役に立つものへと変えていくことなのです。


「潜在意識3%説」を好意的に解釈するならば、潜在意識の97%は役に立たずに、足を引っ張ってばかりなので、それを逆に味方に付けるように開発しましょう、となるわけです。


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■天才をモデリングするとどうなるか

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
最近、「写経」にハマっています。「般若心経」を写経するのもそうですが、実はいわゆるセールスレターや、有名ブロガーの文章の「写経」にハマっているのです。「写経」と言っても、筆で書くのではなく(般若心経は筆ですが)、レターやブログなどは普通にパソコンで丸写しして、エバーノートなどに保管しておきます。
これに何がいいか。普通に読む10倍以上の気づきがあるのです。私たち読み手は、単に読むだけでは、書き手以上にはなれません。もちろん以上になる必要もないのですが、もしもリスペクトしている書き手で、できればそのようになりたいと思う人であれば、ただ、単純に文章を書き写してみると面白いです。
その人は、ただの読み手のように「読む」だけでなく、当然、その文章を「書く」ことをしました。と言うことは、文章を写すことによって、その人と同じような「動作」を再現することができるのです。
成功したければ成功者の「モデリング」をしろと言われることがありますが、何事もまずは単純にコピーすることからスタート。「モデリング」と言いながら、ほとんどの人は自己流に解釈したモデリングであることが多い。これは言わば「顕在意識」のモデリング。もしも本当のモデリング、つまり「潜在意識」レベルのモデリングがしたいのであれば、「身体」を使ってそのまんまに真似することからスターとしてみればいい。
わかりにくい例かもしれませんが、ジャズミュージシャンはアドリブが身上ですが、実は誰一人アドリブなどしていません。天才はのぞいて。やっていることは、ストックしたフレーズのつなぎ合わせです。だけど、そのつなぎ方にその奏者のセンスが問われるのであり、だけど、元はチャーリー・パーカーなど天才のフレーズをそのまんまになぞること。
それによって天才の息吹が乗り移り、その稽古が多ければ多いほど、潜在意識に天才がインプットされることになります。もしも、「文章」で何らかの仕事をしたいのであれば、これもまた天才の文章を丸写しすればいいだけ。もちろん大量に写すことが求められますが、頭を使う必要ないだけ楽です。
とにかく最初は「身体」を使うこと。「身体=潜在意識」なのですから、まずはとことん身体を使って叩き込むことが大切です。私も今、天才の文章を丸写ししながら、その息吹に感動しています。


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■稼ぎのネタ探し

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
以前、「満月に通帳をかざすとお金が貯まる」なる話を聞いて、せっせと実践したことがありました。この話は2004年頃からまずはミクシイを通じて拡散し、そして女性誌を始め、様々なメディアが取り上げるようになりました。そのテーマで講演やセミナーをする人まで出てきました。
普通に考えるとおかしな話なんですが、なぜ、この話がここまで広がるに至ったのか。最近ではその方に関心があります。そもそも人はなぜ情報を「拡散」したがるのか。その根底にあるのは、おそらくは人が持つ生得的な「善意」ではないかと思います。その「善意」は「人の役に立ちたい」なる「利己心」の裏返しではあるのですが、さらにその根っこにあるのは、「承認欲求」なのでしょう。
「満月通帳」の効果はさておき、とりあえずその話を拡散すると、直接「ありがとう」と言われることもあれば、そうでなくとも自分経由でさらに拡散してくれる人もいる。拡散されるということは、自分の発言(拡散)したことを承認してくれた証となるし、そのことで何とも言えない満足感を得られます。
似たような話に「昆布を食べると甲状腺ガンになりにくくなる」と言った、震災後のデマ拡散がありました、これもあっという間に広がりました。これもまた単なる自己承認欲求に過ぎないと思って見ていました。
この誰にでもある「自己承認欲求」を上手く利用したのがまさにフェイスブックでしょう。これはマーケティング的視点から言えば、誰かを「いいね」と承認することで、自分のリンクを貼ることができるシステム。また「いいね」をされた方は、それが快感になって、またまた「いいね」を押してもらえるような記事を書こうと頑張るわけです。もちろん「いいね」を押してくれた相手を訪れて、それが雲の写真であったとしても「いいね」を押して相互に承認し合う。雲の写真がよほど好きならともかく、そんなに「いいね」を押すほど感動してるわけじゃない。
フェイスブックはこうやって「いいね」の循環により、人々を「依存症」にし、そして爆発的な躍進を遂げたわけです。グリーにしてもモバゲーにしても、結局、儲かるのは依存商品なのかもしれません。先進国では衣食住がほとんど満たされているので、そのような生活必需品を今から販売したところで勝てるはずはない。そうなると、やっぱり人を「依存」させる仕組みで儲けるのが一番です。麻薬のように依存させてしまえば、人はなくてもそこにお金を払うものですから。
私自身もおそらく大なり小なりネット依存症ではあると思いますが、それを自覚することで、どっかで理性を働かせる必要があります。フェイスブックを開いた。つい「いいね」を押してしまった。そこで、なぜ押したのかを考える。また、たくさんの「いいね」がついた記事はなぜか考える。
と言うことは、フェイスブック上には無数のテストマーケティングネタがあることがわかります。「満月通帳」などは今さらですが、それでも元はミクシイで広がったネタ。これらに匹敵するようなネタを日々考えることは、もしかしたらコピーライティングの能力向上にすごく役立つのではと思います。平たく言うと、今のフェイスブックには「稼ぎ」のネタがゴロゴロ転がっていることになります。


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■技術論を超えた名文

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
先日、とある懇親会にて「文章テクニック」について話が及びました。小説とかならともかく、例えばモノを売るためのセールスレターのテクニックなどは、割と簡単に身につけることができます。それは、秀逸なセールスレターをそのまま丸写しすること。そしてそれを何種類かやってみること。そうすると、なぜか売るためのリズムやコツのようなものが身につき、自分が何かを売る側になったとき、自然とその「リズム」や「コツ」の上に文章を乗せることができるようになるのです。もっとも、そうなるまでにはかなりの量稽古が必要なのは言うまでもありませんが。
しかし、そんなテクニック論ではなく、本当に読む人の心を揺さぶるような文章の前には、ただひれ伏すしかありません。文書を丸写しするとか、構造を解明するとか、そんな小手先の手法などはまったく役に立ちません。そしてできれば、私もそのような文章を書く、と言えばあまりにおこがましいので控えますが、そのような文章を出会ったときは、何にも代えがたい感動を覚えることがあります。
懇親会の席で、「例えばどんな文章ですか?」と聞かれて、思わずとっさに応えたのが以下に紹介する「円谷幸吉さんの遺書」でした。これは以前、テレビで見たと思うのですが、そのとき、思わず涙してしまったのを覚えています。「遺書」を「名文」とするべきかは躊躇されるところですが、心をえぐるような文章には違いありません。以下、全文を引用します(ウィキペディアより)。

<円谷幸吉の遺書>
父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。
喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。
正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、
良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、
光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、
幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
立派な人になってください。
父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。


食べ物に対して「美味しゅうございました」と続けるだけの、何のひねりもない文章。韻を踏んでいるとか、そんな小賢しい分析も不要。ただ、これ、今改めて読むとさらに心がえぐられます。きっと子どもができたからもあるだろうし、もしこんな遺書を私の両親が読まされたら、居た堪れないを超えた、申し訳ない感情になると思います。だからこそ、絶対に読ませないし、私も読みたくないと思うのですが。
そう考えると、この文章は確かに「文章」としても美しいですが、その美しさは、絶対に見てはならないような禁断の美しさに思えてしまいます。恐怖と戦慄さえ覚えてしまうような。
文章なんてのは、最終的には本気で伝えるかどうかなんだと思います。「どうすれば人々を感動させる文章を書けるのか?」などと考えずに、普段から誰よりもまず自分自身が感動し、それを素直に表現し続けていれば、それは自ずと伝わっていくものじゃないかな。「円谷幸吉さんの遺書」を読んで、改めてそんな気持ちにさせられました。


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