■技術論を超えた名文

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
先日、とある懇親会にて「文章テクニック」について話が及びました。小説とかならともかく、例えばモノを売るためのセールスレターのテクニックなどは、割と簡単に身につけることができます。それは、秀逸なセールスレターをそのまま丸写しすること。そしてそれを何種類かやってみること。そうすると、なぜか売るためのリズムやコツのようなものが身につき、自分が何かを売る側になったとき、自然とその「リズム」や「コツ」の上に文章を乗せることができるようになるのです。もっとも、そうなるまでにはかなりの量稽古が必要なのは言うまでもありませんが。
しかし、そんなテクニック論ではなく、本当に読む人の心を揺さぶるような文章の前には、ただひれ伏すしかありません。文書を丸写しするとか、構造を解明するとか、そんな小手先の手法などはまったく役に立ちません。そしてできれば、私もそのような文章を書く、と言えばあまりにおこがましいので控えますが、そのような文章を出会ったときは、何にも代えがたい感動を覚えることがあります。
懇親会の席で、「例えばどんな文章ですか?」と聞かれて、思わずとっさに応えたのが以下に紹介する「円谷幸吉さんの遺書」でした。これは以前、テレビで見たと思うのですが、そのとき、思わず涙してしまったのを覚えています。「遺書」を「名文」とするべきかは躊躇されるところですが、心をえぐるような文章には違いありません。以下、全文を引用します(ウィキペディアより)。

<円谷幸吉の遺書>
父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。
喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。
正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、
良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、
光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、
幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
立派な人になってください。
父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。


食べ物に対して「美味しゅうございました」と続けるだけの、何のひねりもない文章。韻を踏んでいるとか、そんな小賢しい分析も不要。ただ、これ、今改めて読むとさらに心がえぐられます。きっと子どもができたからもあるだろうし、もしこんな遺書を私の両親が読まされたら、居た堪れないを超えた、申し訳ない感情になると思います。だからこそ、絶対に読ませないし、私も読みたくないと思うのですが。
そう考えると、この文章は確かに「文章」としても美しいですが、その美しさは、絶対に見てはならないような禁断の美しさに思えてしまいます。恐怖と戦慄さえ覚えてしまうような。
文章なんてのは、最終的には本気で伝えるかどうかなんだと思います。「どうすれば人々を感動させる文章を書けるのか?」などと考えずに、普段から誰よりもまず自分自身が感動し、それを素直に表現し続けていれば、それは自ずと伝わっていくものじゃないかな。「円谷幸吉さんの遺書」を読んで、改めてそんな気持ちにさせられました。


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■技術論を超えた名文 への1件のフィードバック

  1. のだ のコメント:

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    ありがとうございました。
    「まず自分自身が感動し、それを素直に表現し続けていれば・・・」
    実践していきます。

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