■斜め上のアイデア

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
毎週月曜日の0時になった瞬間、「週刊プレイボーイweb comic」の「キン肉マン」が更新されるのを心待ちにしています。とにかく熱いです。
そして昨日、原作者のゆでたまご・嶋田隆司先生の「火事場の仕事力」という新刊を読了しました。
火事場の仕事力 (ワニブックスPLUS新書)/ゆでたまご

¥798
Amazon.co.jp
驚きました。この本はしばらくは私のバイブルになるに違いない。今もなお、毎週、破天荒なストーリーで連載を続けているのですが、このアイデアはどうやって出てくるものか。私は基本的に「2ちゃんねる」はまとめサイトくらいしか見ないのですが、唯一、リアルタイムに見ているのが「キン肉マン」のスレッド。そこでは「今後の展開予想」みたいなレスが次々と付いていて、皆、熱いキン肉マンフリークなだけに、いろんな予想をしているのです。
しかし、私が知る限り、誰一人として予想を的中させたことがない。今回は7人の悪魔超人の一人である「ブラックホール」と、新キャラである完璧超人の「ダルメシアン」との一戦。今回はどちらが勝つかの予想は難しかったものの、どちらかで勝敗はつくはず。だけど、その「勝ち方(負け方)」までは的中させる人は私が知る限りいなかった。なんせ、これですから。
$「信念が人生を創る!」石田久二公式ブログ
バカバカしいと言えばその通りですが、そもそもこの漫画はギャグ漫画です。笑えてナンボ。だけど、2ちゃんねるのファンが総動員しても、誰も予想できないこの絵柄。しかも、この回の最後には、さらにショッキングな展開が待っているのです。それも予想した人は誰もいない。
つまり、ゆでたまごと言う人は、確かに作者であるのですが、何千何万人もの人があーでもないこーでもないと予想していた、そのまさに斜め上を進んでいるのです。誰も思いつかないようなアイデアを毎週、きちんと繰り出してくる。最近のゆでたまごは「神」と言っても言い過ぎじゃないほとですが、このアイデアはどのようにして出されるのか。その辺の人が、「この火事場の仕事力」には書かれてありました。
一言で言うと、「ピン」と来たのをそのまま素直に育てていけってこと。あれこれ考えずに、とにかくアイデアを育てる。面白ければそれでいい。完全に子どもの発想ですが、今の大人に一番必要なのはこれじゃないでしょうか。とにかく、毎週、「キン肉マン」を純粋なファンとして楽しみにしていると同時に、生きる上でもヒントを毎回頂いているような気持ちです。次回も楽しみすぎて鼻血が出そうです。


カテゴリー: |―熱い話 | ■斜め上のアイデア はコメントを受け付けていません

■「笑顔」と「照れ笑い」の違い

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。


にらめっこしましょ、笑うと負けよ、あっぷっぷ。昔からある子どもの遊び、にらめっこ。これ、よく考えるとかなり深いです。通常のにらめっこでは、あっぷっぷで変顔をして相手を笑わせようとするのでしょうが、文字通りで言うと無表情でにらみつけるのが正しいでしょう。


では、なぜ笑うと負けなのか。これは「笑い」の本質に直結した理由があります。哲学者のカントは「笑いとは緊張の緩和である」と言いましたが、確かに「緊張」と「笑い」はセットのように思えます。


お笑いで言う「フリ」と「オチ」についても、「フリ」によって「何が起こってるんだ」との緊張感を引き起こします。または「くるぞ、くるぞ」と次にくる「オチ」に向けて緊張を作り出します。昔、ドリフでいかりや長介に向かって巨大なゴムを引っ張るお決まりのギャグがありました。手を離した瞬間にいかりやの顔に勢いよく当たるのですが、その瞬間、観客は笑います。これもまさに緊張と緩和であり、その緊張が強ければ強いほど笑いも大きくなります。


しかし一方で、極度な緊張を緩和するために、意識的または無意識的に笑うことも日常では非常に多いです。つまり、緊張が緩和した結果として笑うだけでなく、緊張を緩和する「ため」に笑うこともしばしば起こります。


その代表は「照れ笑い」です。辞書によると「失敗したり恥ずかしかったりしたときに、照れて笑うこと」となっていますが、これはまさに「失敗よる緊張」を緩和するとの意なのです。さらに「失敗」や「恥ずかしさ」とは、自分の思い通りでないこと、違和感のあることを意味します。


つまり、「笑い」とは本来想定しているはずの自分に対して、そこで起こる「緊張」を緩和するために生じる生理的現象なのです。例えば普段しない人がダンスをすると、そしてそれを見られていると、ほとんどの場合、照れ笑いをしてしまいます。ダンスをする自分に違和感を感じているからです。反対にダンスのプロはと言うと、ダンスをする自分に違和感がないので、喜びや演技としての笑顔はあっても、照れて笑うことは決してありません。


また、中学生や高校生のとき、先生から怒られながら笑う生徒がたまにいました。これもおかしくて笑っているのではなく、怒られることの緊張を緩和するために笑うのです。その結果、火に油を注ぎ、よけいに怒られてしまうのですが。また、人が本気になっている姿を横から見て、くすくす笑うような人もいますが、それも決しておかしくて笑っているのではありません。人の本気に違和感があり、本気になれない自分との間に起こる緊張を緩和するために笑うのです。


真面目な状況で冗談を言うような人も同様。以前、ある状況で真剣に議論している際、横で見ていた第三者が「まーまー」と冗談っぽく茶化してきたこともありますが、その第三者にとっては真剣議論の場の緊張が耐えられないからなのでしょう。


ですので、何かにつけてへらへらしているような人は、大らかなのでも余裕があるのでもなく、物事に「本気」になれないだけのことです。本当に余裕がある人は、緊張状態でも笑わずにいられます。


その代表的なシチュエーションが「営業」の場です。とりわけクロージングの瞬間がそうであり、そのとき、営業マンもお客も、極度な緊張状態に置かれます。

「お客様のためです、今すぐご決断ください」

最後に営業マンがこのようにプッシュします。そのとき、営業マンは決して笑ってはなりません。また、しゃべってもなりません。しゃべるとしても「はい」か「いいえ」のみ。「今すぐですか?」と言わたれら「はい」と即答し、後は表情を変えずに黙る。「ちょっと検討させて頂いても・・」と言われたら、「いいえ、今すぐご決断ください」と即答し、後は表情を変えずに黙る。


笑うと負けです。ここで余裕のある営業マンは無表情で黙っていられるのですが、余裕のない営業マンは自信のなさそうな笑いを見せながら、あれこれと口を出してしまう。まさに「無言のプレッシャー」と言うべきか、余裕のある営業マンの前でお客は極度な緊張状態にさらされ、それを緩和するためにも笑いながらサインをしてしまう。その笑いは緊張の緩和であると同時に、自分はこの商品に満足しているんだと自己弁護の意味もこめられています。営業マンは契約書にサインを頂いて、鞄にしまってからニコッと笑えばいいのです。


世の中、何かと「笑顔」であることが「是」とされますが、「笑顔」と「照れ笑い」とを決して混合してはなりません。物事を本気で打ち込んでいるときにでる笑いは「笑顔」ですが、本気で打ち込みきれないその緊張を緩和するときにでる笑いは「照れ笑い」です。


つまり「照れ笑い」する人間に決して成功はありません。


カテゴリー: |―脳科学 | ■「笑顔」と「照れ笑い」の違い はコメントを受け付けていません

■写真貼り付けテスト

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
iPhoneから写真貼り付けで更新するテストをします。

photo:01


ありがとうございました。


カテゴリー: ◆息抜き | ■写真貼り付けテスト はコメントを受け付けていません

■祈りと願望

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
定期購読している「致知」の5月号だ届いたので、さっそく読んでみました。五十嵐薫さんと言う方の「マザー・テレサの生き方が教えてくれたこと」という記事が大変興味深かったです。実は私も、歴史上で最も尊敬する人物は誰か、と聞かれたらマザー・テレサと即答するくらい、その一つ一つの言葉が胸に響いています。
今月号の中からとても興味深い言葉があったのでシェアしたいと思います。五十嵐氏がマザー・テレサに自分の願望を話したときの返答。
----
「人にはそれぞれ役割、ミッションがあります。あなたは自分のやりたいと思うことをやりなさい。しかし、祈りを忘れないこと。祈りなさい。あなたの祈りが神に届いたら、きっとその願いは叶うでしょう。ただし、あなたがやるのではありません。神がやられるのです」
----
この後、五十嵐氏は毎日祈り続けます。しかし、祈ろうとすればするほど心がザワつくことに気がつきます。それでも祈り続けます。すると、突然、心に声が響いたと言います。
「純粋な心をつくりなさい、そうすれば私がつくろう――。」
その瞬間、肩の力がふっと抜け、大いなる気付きがあったと言います。自分で「叶えよう、叶えよう」と思っているうちは、祈りは通じない。願いとは、自分で叶えるのではなく、「目に見えない世界」にいる人が叶えるもの。間もなく、五十嵐氏の願いは現実となりました。
このエピソードは深いです。しかし、ややもすると誤読しそうな話です。「な~んだ、何もしなくても、祈っていれば叶うんだ」と考える人もいるかもしれません。この考え方はどうか。私は「是」と考えます。つまり、「祈ってさえれば、何もしなくても、願いは叶う」のです。
ですので祈りましょう。純粋な心で祈ると、「目に見えない世界」の存在が叶えてくれるのです。
・・・私自身、今までいろんな願望を叶えてきましたが、努力したことありません。ほとんど何もしないで願望が叶ってきました。ただし、それは自分の中での話で、現実的にはかなり動いてきたかもしれません。しかし、願いが叶うときって、自分では何もしてない気がしている。自分じゃなくて、「目に見えない世界」の存在が、単に「私」という道具を使っているにすぎない。そんな気がするときがある。
ふと思い出します。そう言えば、久高島の真栄田苗さんも同じようなことを言ってたかな、と。3週間前にお会いして頂いたメッセージ、今、こうやって「致知」で読んだメッセージ。点と点がつながった気がします。これからも祈りを忘れず、過ごしたいと思います。
・・・って言うか、何も具体的な行動せずに、ずっと祈り続けるだけって、めっちゃ難しいんですけどね。


カテゴリー: |―心の法則 | 4件のコメント

■ネットにおける絶対弱者

こんにちは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
昨年の8月、「地震予言」をするブログにかみついたことで、2ちゃんねるまで飛び火して半炎上を引き起こしたことがあります。あのとき、記事のあまりの無茶さと無責任さから、ついカチンと来てしまい衝動的にコメントしたのが引き金でした。コメント欄に「電話ください」と番号を書いて対話を求めたら、2ちゃんに「キ○ガイ降臨」みたいな書かれ方をして、いろいろと盛り上がりました。そのときの記事はまだ残っていますので、見てみるといいと思います。
結局、本当に電話をかけてきたのは2件。いずれも「応援しています」のメッセージでした。賛否両論では「賛」の方がはるかに多かったのですが、一方で、「やりすぎ」とのご意見も頂きました。それはおそらく電話番号を書いて対話を求めたところに当たるのでしょうか。ただ、このやり方は、私にとってはなにも珍しいことではありません。
前回のエントリーでもコメントの方に電話を求めていますが、それも今に始まったことではありません。どんなコメントでももちろん大歓迎なのですが、コメントのやり取りでは意思疎通が難しく、しかも長引きそうな場合は電話を求めることが今までも何度もありました。そのことに対し、別の人のコメントから「卑怯だ」とのご意見もありました。サラリーマンなど実名を出せない人もいるのに、私が実名の強者の立場から求めるのは弱い者いじめだと言うのです。
しかし、これは大きな誤解。私がネット上にその方の実名を出すことは絶対にありません。それをしてしまえば、私の職業倫理が崩壊し、セミナーやコーチングなどの仕事を奪われることになります。そして何よりの誤解が、私が「強者」だという指摘。
ネット上において、「実名」であるほど立場の弱い存在はありません。タレントや有名経営者のような人でさえも、ネット上でめちゃくちゃに叩かれ精神的(そして実質的)ダメージを受けることがよくあります。韓国のタレントさんなどでは、ネットで叩かれたことが原因で自殺するような事件も次々と報道されています。
つまり、インターネット上においては、どんな人であれ「実名=弱者」「匿名=強者」の絶対的な対応関係が成り立っているのです。例えば2ちゃんねるのような場では、実名では絶対に入り込めません。コテハン(固定ハンドル)でもかなり弱い立場になります。なぜなら、2ちゃんねるに書き込んでいる人たちは、実名個人からすると、「集団」というとてつもなく強い存在に見えるからです。
以前、「いじめの定義」について書いたことがあります。それは「絶対的に強い立場であることを自覚しながら、他人を精神的・物理的に攻撃すること」です。ここでのポイントは「攻撃」そのものではなく、「強い立場であることの自覚」です。小中学校のいじめでは、もっぱら力の弱い生徒がいじめの対象になります。ときには集団で一人の生徒をいじめることがある。その一人の生徒が、ちょっとでも強かったり、強い立場に立てる人間であれば、そこにいじめは成立しません。
社会人のいじめとはパワハラが代表でしょう。人事や査定、仕事などの権限を握っている上司が、部下等に対して、その絶対的な立場を利用して理不尽な仕打ちをすること。それは下請けなどの弱い立場の取引先に対しても同じこと。その権限が及ばないような場所に対しては、パワハラは成り立ちません。
繰り返しますが、いじめが成立するのは、いじめる側が自分自身が「絶対的に強い立場」であることを「自覚」している場合に限られます。「自覚」がポイントです。
これはネットの世界でも同じ。実名であるだけで、ウィークポイントをさらけ出しているようなもの。ブログに何気なく書いた一言でさえも、絶好の攻撃対象になることがあります。極端な話ですが、もし私が「石田久二の万引生活365日」みたいなカテを作って、「今日の成果は○○スーパーで2,345円でした!」なんてこと書いたら、もうそれだけで大炎上間違いなし。
それをもし2ちゃんねるで匿名の人が同じこと書いたとしても、「通報しました」くらいのレスがついて終わりでしょう。炎上することはまずありません。もちろん殺人予告など重大犯罪は別です。本当に通報されて、人物が特定されます。そのことを知っている人たちが、大炎上を仕掛けるのです。
ですので、私もそうですし、多くの実名の人間は匿名掲示板などに顔を出すことはありません(栢野さんなど例外もいますが)。しかし、ツイッターはたくさんの著名人に活用されています。茂木健一郎さんが言ってたのですが、ツイッターの場合は匿名であっても、その人の過去のツイートが見える点でかなり実名性が高いとのこと。変なことを書かれても、だいたいその人は過去にも変なことを書いているので、「単なるキ○ガイか」と割り切れるから。また、本名は出さずとも、書きこみ内容からかなり人物が特定できたりもします。
最近、放送大学のことを批判していたある大学教員が、知らずに放送大学の学長にツイート上で批判して、それが大きなニュースになったことがあります。その大学教員は過去にも変なことをたくさん書いていたため、それも含めてどんどん人物が特定され、関東のある国立大学の教員であるところまでばれてしまいました。ツイッターのアカウントはすぐに消されましたが後の祭りです。
その意味でツイッターは半分実名に近い要素があるので、もともと実名の人も活用しやすいツールとなっているのです。しかしそうでない匿名掲示板、そして匿名の書き込み・コメントなどは、実名をさらしている人にとっては、かなり怖い存在となります。その匿名の方は、自分が絶対に安全であることを「自覚」しているケースが多いので、リアルなコミュニケーションではあり得ないような言葉が出てきたりします。
そのような絶対強者に対して、実名の弱者はどう対応すればいいか。それがまさに「弱者の戦略」です。その名も「接近戦」。匿名であろうが、その人を名指しで指名する。対話を求める。一対一の場を求める。本当に電話して頂くのが一番ありがたいのですが、そうでなくとも、それだけでだいたい変なコメントはなくなります。もちろん前回の「糸さん」が変なコメントと言うことではありませんが。
小さな一寸法師が大きな鬼に勝つにはどうすればいいか。それは鬼の懐に潜り込んで、小さな針で突きまくる。それは卑怯と言えるでしょうか。小さな一寸法師に対して、大きな鬼と力比べを求めるのはあまりに酷でしょう。
こんな話があります。ある中学校で集団でいじめられている男子学生がいました。その人は決して弱いわけではないのですが、身体が小さく、ちょっと浮いた存在だったため、いじめの格好の対象となっていたのです。それから4~5年後、その男子学生は自分の武器を鍛えて、集団でいじめていた相手の一人の前に立ちはだかります。そのとき、相手はなんとも情けない顔を見せ、その瞬間、今までの恨みが一気に消えたとのこと。その男子学生の名前を内藤大助と言います。元フライ級世界チャンピオンです。
「弱者の戦略」つまり「ランチェスター戦略」によると、弱者がとるべき戦略は「敵より性能のよい武器を持ち、狭い戦場で、一対一で戦い、接近戦を行い、力を一点に集中させること」となります。内藤大助さんは「性能のよい武器」をとことん磨き、かつてのいじめっ子の前に一人で立ちはだかったのです。
話を戻しますが、私はネットの匿名の方に喧嘩を売るつもりはまったくありません。単に「対話」をしてみたいのです。そしてどのような意図をもってつけたコメントなのかきちんと聞いてみたいし、私に対する疑問点があれば、それもきちんとお答えするつもりです。言葉の少ないコメント欄で長々とやり取りするよりも、極めて質の高い対話ができると思うのです。
しかし私はネット上で実名をさらしているため、絶対的な弱者です。仮に電話を頂いても、それが録音されてないとも限らない。だから、リアルな対話でも言葉には十分な注意を払います。そのために私が持つべき武器は何か。その場合の「性能のよい武器」とは何か。私にとっては、それは「対話力」と「対人力」となるのでしょうか。どんな初対面でも物おじしないメンタリティ。今までコツコツと鍛えたきたこと幸い、それでコーチングやセミナー、営業ができるようになり、何とかフリーランスでも食べていけるようになりました。
ですので、もし、これからフリーで活動していきたいと思っている人がいれば、「弱者の戦略」は絶対に学んでおくべきだと思います。世の起業家で、それが意識的無意識的はあるにせよ「弱者の戦略」を踏まずして成功した人は存在しません。
弱者の戦略―人生を逆転する「夢・戦略・感謝」の成功法則/栢野 克己

¥1,365
Amazon.co.jp
それから、蛇足ですがネット上で匿名と思っていても、実は個人レベルでもかなり特定することが可能となっています。それが仮にネットカフェからの書き込みであったとしても。その話は次のエントリーでしたいと思います。


カテゴリー: |―弱者の戦略 | ■ネットにおける絶対弱者 はコメントを受け付けていません