■「笑顔」と「照れ笑い」の違い

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。


にらめっこしましょ、笑うと負けよ、あっぷっぷ。昔からある子どもの遊び、にらめっこ。これ、よく考えるとかなり深いです。通常のにらめっこでは、あっぷっぷで変顔をして相手を笑わせようとするのでしょうが、文字通りで言うと無表情でにらみつけるのが正しいでしょう。


では、なぜ笑うと負けなのか。これは「笑い」の本質に直結した理由があります。哲学者のカントは「笑いとは緊張の緩和である」と言いましたが、確かに「緊張」と「笑い」はセットのように思えます。


お笑いで言う「フリ」と「オチ」についても、「フリ」によって「何が起こってるんだ」との緊張感を引き起こします。または「くるぞ、くるぞ」と次にくる「オチ」に向けて緊張を作り出します。昔、ドリフでいかりや長介に向かって巨大なゴムを引っ張るお決まりのギャグがありました。手を離した瞬間にいかりやの顔に勢いよく当たるのですが、その瞬間、観客は笑います。これもまさに緊張と緩和であり、その緊張が強ければ強いほど笑いも大きくなります。


しかし一方で、極度な緊張を緩和するために、意識的または無意識的に笑うことも日常では非常に多いです。つまり、緊張が緩和した結果として笑うだけでなく、緊張を緩和する「ため」に笑うこともしばしば起こります。


その代表は「照れ笑い」です。辞書によると「失敗したり恥ずかしかったりしたときに、照れて笑うこと」となっていますが、これはまさに「失敗よる緊張」を緩和するとの意なのです。さらに「失敗」や「恥ずかしさ」とは、自分の思い通りでないこと、違和感のあることを意味します。


つまり、「笑い」とは本来想定しているはずの自分に対して、そこで起こる「緊張」を緩和するために生じる生理的現象なのです。例えば普段しない人がダンスをすると、そしてそれを見られていると、ほとんどの場合、照れ笑いをしてしまいます。ダンスをする自分に違和感を感じているからです。反対にダンスのプロはと言うと、ダンスをする自分に違和感がないので、喜びや演技としての笑顔はあっても、照れて笑うことは決してありません。


また、中学生や高校生のとき、先生から怒られながら笑う生徒がたまにいました。これもおかしくて笑っているのではなく、怒られることの緊張を緩和するために笑うのです。その結果、火に油を注ぎ、よけいに怒られてしまうのですが。また、人が本気になっている姿を横から見て、くすくす笑うような人もいますが、それも決しておかしくて笑っているのではありません。人の本気に違和感があり、本気になれない自分との間に起こる緊張を緩和するために笑うのです。


真面目な状況で冗談を言うような人も同様。以前、ある状況で真剣に議論している際、横で見ていた第三者が「まーまー」と冗談っぽく茶化してきたこともありますが、その第三者にとっては真剣議論の場の緊張が耐えられないからなのでしょう。


ですので、何かにつけてへらへらしているような人は、大らかなのでも余裕があるのでもなく、物事に「本気」になれないだけのことです。本当に余裕がある人は、緊張状態でも笑わずにいられます。


その代表的なシチュエーションが「営業」の場です。とりわけクロージングの瞬間がそうであり、そのとき、営業マンもお客も、極度な緊張状態に置かれます。

「お客様のためです、今すぐご決断ください」

最後に営業マンがこのようにプッシュします。そのとき、営業マンは決して笑ってはなりません。また、しゃべってもなりません。しゃべるとしても「はい」か「いいえ」のみ。「今すぐですか?」と言わたれら「はい」と即答し、後は表情を変えずに黙る。「ちょっと検討させて頂いても・・」と言われたら、「いいえ、今すぐご決断ください」と即答し、後は表情を変えずに黙る。


笑うと負けです。ここで余裕のある営業マンは無表情で黙っていられるのですが、余裕のない営業マンは自信のなさそうな笑いを見せながら、あれこれと口を出してしまう。まさに「無言のプレッシャー」と言うべきか、余裕のある営業マンの前でお客は極度な緊張状態にさらされ、それを緩和するためにも笑いながらサインをしてしまう。その笑いは緊張の緩和であると同時に、自分はこの商品に満足しているんだと自己弁護の意味もこめられています。営業マンは契約書にサインを頂いて、鞄にしまってからニコッと笑えばいいのです。


世の中、何かと「笑顔」であることが「是」とされますが、「笑顔」と「照れ笑い」とを決して混合してはなりません。物事を本気で打ち込んでいるときにでる笑いは「笑顔」ですが、本気で打ち込みきれないその緊張を緩和するときにでる笑いは「照れ笑い」です。


つまり「照れ笑い」する人間に決して成功はありません。


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