■ネットにおける絶対弱者

こんにちは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
昨年の8月、「地震予言」をするブログにかみついたことで、2ちゃんねるまで飛び火して半炎上を引き起こしたことがあります。あのとき、記事のあまりの無茶さと無責任さから、ついカチンと来てしまい衝動的にコメントしたのが引き金でした。コメント欄に「電話ください」と番号を書いて対話を求めたら、2ちゃんに「キ○ガイ降臨」みたいな書かれ方をして、いろいろと盛り上がりました。そのときの記事はまだ残っていますので、見てみるといいと思います。
結局、本当に電話をかけてきたのは2件。いずれも「応援しています」のメッセージでした。賛否両論では「賛」の方がはるかに多かったのですが、一方で、「やりすぎ」とのご意見も頂きました。それはおそらく電話番号を書いて対話を求めたところに当たるのでしょうか。ただ、このやり方は、私にとってはなにも珍しいことではありません。
前回のエントリーでもコメントの方に電話を求めていますが、それも今に始まったことではありません。どんなコメントでももちろん大歓迎なのですが、コメントのやり取りでは意思疎通が難しく、しかも長引きそうな場合は電話を求めることが今までも何度もありました。そのことに対し、別の人のコメントから「卑怯だ」とのご意見もありました。サラリーマンなど実名を出せない人もいるのに、私が実名の強者の立場から求めるのは弱い者いじめだと言うのです。
しかし、これは大きな誤解。私がネット上にその方の実名を出すことは絶対にありません。それをしてしまえば、私の職業倫理が崩壊し、セミナーやコーチングなどの仕事を奪われることになります。そして何よりの誤解が、私が「強者」だという指摘。
ネット上において、「実名」であるほど立場の弱い存在はありません。タレントや有名経営者のような人でさえも、ネット上でめちゃくちゃに叩かれ精神的(そして実質的)ダメージを受けることがよくあります。韓国のタレントさんなどでは、ネットで叩かれたことが原因で自殺するような事件も次々と報道されています。
つまり、インターネット上においては、どんな人であれ「実名=弱者」「匿名=強者」の絶対的な対応関係が成り立っているのです。例えば2ちゃんねるのような場では、実名では絶対に入り込めません。コテハン(固定ハンドル)でもかなり弱い立場になります。なぜなら、2ちゃんねるに書き込んでいる人たちは、実名個人からすると、「集団」というとてつもなく強い存在に見えるからです。
以前、「いじめの定義」について書いたことがあります。それは「絶対的に強い立場であることを自覚しながら、他人を精神的・物理的に攻撃すること」です。ここでのポイントは「攻撃」そのものではなく、「強い立場であることの自覚」です。小中学校のいじめでは、もっぱら力の弱い生徒がいじめの対象になります。ときには集団で一人の生徒をいじめることがある。その一人の生徒が、ちょっとでも強かったり、強い立場に立てる人間であれば、そこにいじめは成立しません。
社会人のいじめとはパワハラが代表でしょう。人事や査定、仕事などの権限を握っている上司が、部下等に対して、その絶対的な立場を利用して理不尽な仕打ちをすること。それは下請けなどの弱い立場の取引先に対しても同じこと。その権限が及ばないような場所に対しては、パワハラは成り立ちません。
繰り返しますが、いじめが成立するのは、いじめる側が自分自身が「絶対的に強い立場」であることを「自覚」している場合に限られます。「自覚」がポイントです。
これはネットの世界でも同じ。実名であるだけで、ウィークポイントをさらけ出しているようなもの。ブログに何気なく書いた一言でさえも、絶好の攻撃対象になることがあります。極端な話ですが、もし私が「石田久二の万引生活365日」みたいなカテを作って、「今日の成果は○○スーパーで2,345円でした!」なんてこと書いたら、もうそれだけで大炎上間違いなし。
それをもし2ちゃんねるで匿名の人が同じこと書いたとしても、「通報しました」くらいのレスがついて終わりでしょう。炎上することはまずありません。もちろん殺人予告など重大犯罪は別です。本当に通報されて、人物が特定されます。そのことを知っている人たちが、大炎上を仕掛けるのです。
ですので、私もそうですし、多くの実名の人間は匿名掲示板などに顔を出すことはありません(栢野さんなど例外もいますが)。しかし、ツイッターはたくさんの著名人に活用されています。茂木健一郎さんが言ってたのですが、ツイッターの場合は匿名であっても、その人の過去のツイートが見える点でかなり実名性が高いとのこと。変なことを書かれても、だいたいその人は過去にも変なことを書いているので、「単なるキ○ガイか」と割り切れるから。また、本名は出さずとも、書きこみ内容からかなり人物が特定できたりもします。
最近、放送大学のことを批判していたある大学教員が、知らずに放送大学の学長にツイート上で批判して、それが大きなニュースになったことがあります。その大学教員は過去にも変なことをたくさん書いていたため、それも含めてどんどん人物が特定され、関東のある国立大学の教員であるところまでばれてしまいました。ツイッターのアカウントはすぐに消されましたが後の祭りです。
その意味でツイッターは半分実名に近い要素があるので、もともと実名の人も活用しやすいツールとなっているのです。しかしそうでない匿名掲示板、そして匿名の書き込み・コメントなどは、実名をさらしている人にとっては、かなり怖い存在となります。その匿名の方は、自分が絶対に安全であることを「自覚」しているケースが多いので、リアルなコミュニケーションではあり得ないような言葉が出てきたりします。
そのような絶対強者に対して、実名の弱者はどう対応すればいいか。それがまさに「弱者の戦略」です。その名も「接近戦」。匿名であろうが、その人を名指しで指名する。対話を求める。一対一の場を求める。本当に電話して頂くのが一番ありがたいのですが、そうでなくとも、それだけでだいたい変なコメントはなくなります。もちろん前回の「糸さん」が変なコメントと言うことではありませんが。
小さな一寸法師が大きな鬼に勝つにはどうすればいいか。それは鬼の懐に潜り込んで、小さな針で突きまくる。それは卑怯と言えるでしょうか。小さな一寸法師に対して、大きな鬼と力比べを求めるのはあまりに酷でしょう。
こんな話があります。ある中学校で集団でいじめられている男子学生がいました。その人は決して弱いわけではないのですが、身体が小さく、ちょっと浮いた存在だったため、いじめの格好の対象となっていたのです。それから4~5年後、その男子学生は自分の武器を鍛えて、集団でいじめていた相手の一人の前に立ちはだかります。そのとき、相手はなんとも情けない顔を見せ、その瞬間、今までの恨みが一気に消えたとのこと。その男子学生の名前を内藤大助と言います。元フライ級世界チャンピオンです。
「弱者の戦略」つまり「ランチェスター戦略」によると、弱者がとるべき戦略は「敵より性能のよい武器を持ち、狭い戦場で、一対一で戦い、接近戦を行い、力を一点に集中させること」となります。内藤大助さんは「性能のよい武器」をとことん磨き、かつてのいじめっ子の前に一人で立ちはだかったのです。
話を戻しますが、私はネットの匿名の方に喧嘩を売るつもりはまったくありません。単に「対話」をしてみたいのです。そしてどのような意図をもってつけたコメントなのかきちんと聞いてみたいし、私に対する疑問点があれば、それもきちんとお答えするつもりです。言葉の少ないコメント欄で長々とやり取りするよりも、極めて質の高い対話ができると思うのです。
しかし私はネット上で実名をさらしているため、絶対的な弱者です。仮に電話を頂いても、それが録音されてないとも限らない。だから、リアルな対話でも言葉には十分な注意を払います。そのために私が持つべき武器は何か。その場合の「性能のよい武器」とは何か。私にとっては、それは「対話力」と「対人力」となるのでしょうか。どんな初対面でも物おじしないメンタリティ。今までコツコツと鍛えたきたこと幸い、それでコーチングやセミナー、営業ができるようになり、何とかフリーランスでも食べていけるようになりました。
ですので、もし、これからフリーで活動していきたいと思っている人がいれば、「弱者の戦略」は絶対に学んでおくべきだと思います。世の起業家で、それが意識的無意識的はあるにせよ「弱者の戦略」を踏まずして成功した人は存在しません。
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それから、蛇足ですがネット上で匿名と思っていても、実は個人レベルでもかなり特定することが可能となっています。それが仮にネットカフェからの書き込みであったとしても。その話は次のエントリーでしたいと思います。


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