■右脳バカ(私信)

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
前回のエントリーのコメント欄にて、以下のようなやりとりがありました。
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糸さん:スピリチュアルジャンキー予備軍の草食男と右脳バカ女がQさんに魅かれて集まり、その人達に向かって「現実を見て行動しろ」というのは一網打尽ですごく効率的だと思います。
石田:いつも吠えてるので、最近はそんな人はめっきり少なくなってきましたが
糸さん:そうなんですか。Qさんの取り巻きを見ているとそういう人が多い気がしますが。
石田:例えば誰ですか? メールください。もちろん電話でもOK! お待ちしてます!
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最後の返信で電話番号を書いていたら、アメブロの方から注意されてしまい、削除して返信し直しました。電話番号はパソコンから見るとサイドバーにありますので、そこからお願いします。
この、糸さんと言う方は、直接の面識があるのかどうかわかりませんが、もう一つのブログにもちょくちょくコメント頂いている方だと思います。どこなく斜に構えた皮肉なコメントが多い方ですが、特に問題ない範疇です。
この方の仰るとおり、確かにご指摘されるような人は、かつては周りにいたと思いますし、私自身もそうだったと自覚しています。しかしこの数年は、まず私自身が精神世界の負の部分としっかり向き合い、現実を見て行動することの重要性を認識し、実践してきたつもりです。それにともない、周囲の人たちの雰囲気もガラッと変わり、今ではいわゆる右脳バカなどと言われる人はほとんどいなくなりました。もちろんゼロではないし、最近もいたことは事実ですが、そのような人に対しては直接ご意見させて頂くこともあります。
その意味で言うと、糸さんの「取り巻きを見ているとそういう人が多い」というご指摘は、私の認識とギャップがあるように感じるので、具体的に
「取り巻き」とは誰のことなのか?
「見ている」とはいつどこで見たのか?
「そういう人」とはさらに誰のことなのか?
「多い」とは何を基準にそう判断できるのか?
についてご回答を頂きたいと思っています。
もちろん「誰」かをコメント欄に書くことは、私もあまりよいと思いませんので、メールか、できれば直接お電話でお話できればと思っています。言うまでもなく、「糸さん」ご本人のプライバシーに関わることをブログ等で書くことは、私の職業倫理上も絶対にありません。ただし、上記の私の疑問点については、このブログできちんとクリアにしたいと思っていますが。
正直なところ、日頃、コメントを頂いている方がどのようなパーソナリティなのか、純粋に興味があるのも事実。コメント同士に素っ気ないですので糸さん、ご連絡をお待ちしています!


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■絶対大丈夫、すべてはうまくいっている

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。


絶対大丈夫、すべてはうまくいっている。精神世界でよく聞かれる言葉で、私も大好きな言葉。そしてこれは宇宙の真理だと体験しています。しかし、同時にとても危険な言葉でもあります。


私が以前いた会社はものすごく忙しくて、徹夜で翌日の会議の資料を作ったりなど日常のことでした。ものすごく眠いし、体力的にも限界に近づいている。しかし、資料を作らなければ翌日の会議が成り立たない。それは社内会議ではなく、クライアント先での公的に組まれた会議。限界を超えながらも、絶対に資料を用意しなければならず、それでも毎回何とか間に合わせてきました。


しかし、ある上司はその「絶対間に合わせる」という感覚が徐々に麻痺してきて、会議の当日になって、「すいません、頑張ったんですけど、まだできていません」なる電話を入れることがしばしばありました。とりあえず間に合わせで資料をつなぎ合わせて、会議の体裁だけは保つことがありました。一難が去りました。


しかし、それがくせ者。つまり、なんとかなるとの癖がついてしまうと、一難は避けられても、それが積み重なると大難に発展します。だけど、命まで取られることはありません。会社や客先にどんなに迷惑をかけても、時が経てば忘れられます。何とかなるもんです。


その上司は結局、お酒が原因で会社を追われることになりました。さすがに罪悪感があったのか、それをお酒でごまかすことで極度のアル中となり、最後は素面だと手の震えでホッチキスを握ることさえできなくなっていました。結局、何とかなったわけではありません。


その上司はお酒でごまかしていたのですが、お酒は時として精神世界に代われることがあります。どんなピンチなことがあっても、すべてはうまくいっている。ピンチはチャンス。絶対大丈夫。借金が膨れ上がっても、ギャンブルで一発逆転することもあれば、そうならなくとも誰かが肩代わりするかもしれない。最後は自己破産だってある。すべてはネタ。


そうやってピンチは雪だるま式に増えていき、その都度強力な本やセミナーに接することで、酒の量が増えるがごとく、スピリチュアルジャンキーと化してしまう。そして最後は廃人同然となります。


当たり前の話ですが、仕事の資料は絶対に用意しなければなりません。納品の期日を守ることは絶対です。ピンチは大きくならないうちに乗り越える努力が大切。借金は早めに返すこと。これが当たり前の姿勢であり、むしろ与えられたピンチに対してどう取り組むかが、その人のスピリチュアリティなのです。


自分はもしかしてスピリチュアルジャンキーに陥ってはいまいか。精神世界に興味を持つ人は、常にその危険性を自覚しておく必要があります。


カテゴリー: |―スピリチュアルの罠 | 13件のコメント

■目標型と行動型

こんばんは、石田久二です。


昨日はセミナーに参加したのですが、その時の講師が「目標達成には目標3割・行動7割」と仰っていました。その通りだと思います。願望実現系のセミナーでは、しばしば目標にばかりフォーカスさせて、行動を軽視する傾向があります。イメージングやアファメーションで潜在意識に刷り込む系の。


しかしそればかりやるとどうなるか。達成していない現実とのギャップが次第に苦しくなって、イメージングもアファメーションも辞めてしまうことが多いです。そこで出やすいのが「自然に叶うのがいいと思う」とか「自分らしい目標じゃなかった」などの言い訳です。叶わない理由は自然じゃないとか、自分らしくないとかでなく、単に「行動」が不足していたから。


一方、いつもそれなりに忙しくは動いているものの、空回りが多く、さらに一か所に落ち着かない。結果として時間と行動の割には、大した成果もない。そんな人は「目標」の設定が下手で、目標が明確じゃないので、行動が落ち着かないのです。


前者を「目標型」とすれば、後者は「行動型」と言えるでしょう。どっちかに偏っている人は、その分、目標達成が難しいので、自覚すれば修正した方がいいでしょう。しかし、悲劇的なのは「目標」も「行動」もどちらも苦手な人。そしてそんな人は決して少なくないどころか、世の中の大半がそうです。特別な目標もなく、かといって行動してるわけじゃない。毎日を「なんとなく」で過ごしているだけ。


だからと言って、決して満足しているとも限りません。なんとなく毎日が不快で不満で不安な感情に支配されて、そんな自分を変えたいと思っています。また、身近に恵まれたように見える人がいると猛烈に嫉妬します。そのような人を猛烈に引き付ける言葉が「あるがまま」だったりして、つまり自己肯定して欲しいだけ。だけど、その時は少し気分が上向いても、根本的に自分を認めてないのでいつの間にか元に戻っています。


そんな人たちが突破口を見出すとすれば、裏技などなく、なんでもいいので「目標達成」してみるといいです。ただし、最初は決して大きな目標を設定してはなりません。まずはできそうなこと。その目安として「期限型」と「結果型」があります。


「期限型」とは「一日30分のウォーキングを100日間続ける」、「毎日腕立・腹筋を50回ずつを100日間続ける」、「100日間は缶コーヒーを飲まない」、「21日間毎日滝に打たれる」、「一日一時間の瞑想を100日間する」など。


一方、「結果型」とは「3か月で5キロ減量する」、「一年で100万円貯金する」、「親に電話してアリガトウを言う」、「交流会で名刺を1,000枚集める」、「ブログのアクセスを一日100人にする」など。


どちらもでいいので、なるべくできそうなことをする。そして絶対自分に妥協せず、達成すること。すると「達成」そのものが快感となり、同時に目標達成に対する心理的抵抗が外れます。それからより大きな目標に向かっていけばいいのです。


カテゴリー: ◆目標達成・願望実現 | ■目標型と行動型 はコメントを受け付けていません

■瞬君にゲキを飛ばす!!

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
私の知り合いに「瞬君」という大学生がいます。彼は私のセミナーにも何度か参加したし、昨年は一緒にインドにも行った関係。その瞬君に新年度早々、熱いゲキを飛ばさせて頂きました。かなり容赦ない言葉だけど、他ならぬ瞬君だからこそ言ったまで。だけど、そんな「他ならぬ」みたいな言い方すると、「ボクのためを思ってのことですね、ありがとうございます」みたいな、生ぬるい考えしてもらっても困るんだけどね。言葉ではそう言ったとしても、内心では「うるさいわ!このハゲ!見とけよ!このやろ!」くらいに奮起されることを願います。
その問題となるブログが次の二つ。
未来に期待したことが失敗の原因|人生は自らが創る
人の縁と厳しさ|人生は自らが創る
両エントリーともに、私のコメントがかなり秀逸です!!!ぜひ読みに行ってみてください。火傷しないようにね。
<一応フォロー>
なんだかんだ言って、ほっとけないのが正直なとこだから。まるで自分を見てるようなとこあるし。あえてサラシモノにしたけど、エントリーとコメントは消さないでね。たまにはこんなことあっていいじゃん、と思うし。とにかく頑張れ。6月のQ州ツアーはとりあえずお待ちしてますんで。だけど、キャンセルされても、待ちの方が3名ほどいらっしゃいますので、その辺もご心配なく。4月の東京での飲み会にはオレは参加しないけど、火だるまになることを覚悟あれ。だけど、みんな優しいからな~。


カテゴリー: |―熱い話 | 2件のコメント

■米教

おはようございます、行動強化コンサルタントの石田久二です。
お米を研ぐとき、米粒が数粒、流し台に飛び散ることがあります。ふと気付いたのですが、たった数粒の米粒なのに、私はそれを一生懸命に拾い上げていました。粒にして10粒もないと思います。一方、リンゴを切っているとき、一欠けらが流し台に落ちてしまったとき、それはそのまま残飯に入っていました。
でもよく考えると、米数粒とリンゴ一欠けらだと、大きいのはリンゴです。勿体ないのも本当はリンゴです。だけど、私(たち)は米粒を懸命に拾っているのです。なぜか。おそらく私たち日本人は「米」に対する並みならぬ「思い」があるのでしょう。また、子供のころから、ラーメンを一滴も残すさず食べつくせと言われることはないのに、ご飯(米)だけは残さず食べるよう強いられてきました。
私たち日本人はおそらく「米」に対して「宗教」のような感情を抱いているのかもしれません。そこで思い出したのが、隠れキリシタンを摘発するための踏み絵。果たして私たちは米を踏めるだろうか。特に炊きたてのホカホカしたお米。罰当たり甚だしい。そこで、ランク付けしてみたいと思います。あなたは、どのレベルまでなら踏めるか。ただし、どれも素足です。
「自分の写真」
「親の写真」
「前田敦子のブロマイド」
「新田純一のブロマイド」
「ポテトチップス」
「パン」
「仏像」
「聖書」
「卒業アルバム」
「2012年12月のカレンダー」

私の順位はこうです。上から「踏めない順」です。
1.親の写真
2.仏像
<炊きたての米>
3.パン
4.ポテトチップス
5.自分の写真
6.聖書
7.新田純一のブロマイド
8.卒業アルバム
9.前田敦子のブロマイド
10.カレンダー

よって「炊きたての米」は「パン以上仏像以下」となりました。総じて食べ物を踏むのは抵抗があるようです。


カテゴリー: ◆息抜き | 4件のコメント