【書評】「2022―これから10年、活躍できる人の条件」神田昌典著

マーケッターとして数々の企業を救ってきた神田昌典氏であるが、本書は冒頭でショッキングな報告から始まる。癌告知を受け、生きるか死ぬかの境に身を置いていたのこと。幸いにも今は克服したからこそ、このように新刊を出せたのであろうが、そんな背景があったためか、これまでのマーケティング本や小説、さらにはスピリチュアル本とも随分異なった印象を受けた。
と言っても話の内容は、ここ数年、著者が主張していたこととそう変わらない。つまり世の中を俯瞰的に見たとき、歴史には70年のサイクルがあるとの説がベースになっていること。それに従うと、今の日本はちょうど70年前の太平洋戦争終戦、そしてさらにその70年前の明治維新に匹敵するサイクルがやってきているとのこと。その変化は10年のうちに劇的にやってくる。それが2022年に向けたこれから10年、活躍できる人の条件と言うわけだ。
結論から言うと、著者は日本のこれから10年に対して、かなり楽観的な見解を示している。しかし、一般的にはエコノミストを中心にかなり悲観的な意見の方が目立っている。1990年辺りまでは、資源がないながらも圧倒的な内需拡大によって、ナンバーワンと呼ばれるほどの経済成長を遂げてきた日本だが、バブル崩壊以降は減速の一途をたどっており、さらには中国や韓国の追撃をくらいながら、国際競争力も弱まるばかりである。さらにこれからは高齢化による社会経済の停滞も避けられないところにある。
そのようなマイナス要因が重なりながらも「楽観論」を展開するのは、死を間近に見た開き直りかもしれない。もちろん良い意味で。ただ、私個人としては本書を読んでかなり勇気づけられたり、モチベーションも上がってきた。しかしそれは、私自身が本書の主張する楽観論にたまたま当てはまっている状況だからかもしれず、そうでない大多数の人たちにとっては手痛い内容かもしれない。
その手痛い当事者となるのは「会社」という従来の組織の枠組みで生きてきた人たちである。なぜなら著者は、今から12年後には「会社」がなくなると予想しているからだ。そもそも「会社」の役割とは何か。それは「取引費用」の軽減にあるとされる。簡単に言えば、一人一人が完全に独立した就業形態だと、技術や情報の蓄積、契約、営業、経理、税務、人材育成などに多くの「無駄」が生じるからである。しかし一方で、組織が大きくなればなるほど意志決定に時間がかかるなど硬直化が進み、イノベーションの勢いが減速するなどのデメリットもある。
 
しかし今の日本の現状を見ると、終身雇用や年功序列の神話化が進む現状で、若い人たちが一つの会社に留まっている必然性は薄れている。そのため外部市場経済が活性化し、技術や人材の蓄積へのモチベーションの低下が進んでいる。現に大企業からの、中国や韓国への技術流出が問題となっているではないか。さらにインターネットによって、情報そのものの価値が低くなり、企業が情報を持つだけでは成り立たなくなっている。また、インターネットは様々な事務コストを軽減するため、「会社」でコストを受け持つ意義も小さくなっている。
従って、今後はもちろん「器」としての会社は残るであろうが、就業形態はよりノマド化し、一人一人のネットワーク力、発信力が重要になってくるのである。そのような時代において、著者は次の3つの能力・体験を重要視する。
1.英語力、中国語力
2.ボランティア体験
3.優秀な人材のいる場所にいること
1の英語力・中国語力については、内需中心の時代にはさほど必要じゃなかったかもしれないが、今後はそうもいかない。しかし、重要なのはネイティブ並の会話力ではなく、仕事に使える力でいいので、その気になったらいつでも学べる。2のボランティア体験は痛みを知る上でも重要なこと。その痛みを知ることで強くなるのだから。3についてはなるべく若い時期から優秀な人たちを見ることで、セルフイメージも引き上げられる。
では、そう若くない人はどうすればいいのか。タクシー運転手を見ると、実は日本ほど知的教養レベル、経験レベルの高い人材が集まっている国も少ないと言う。つまり、高い技術や経験を持ちながら、会社の体力低下によってやむなくリストラされ、行くところがなく運転手になっている人も現実にいるし、それはもちろん運転手に限ったことではないだろう。もし、その人たちが事業の立ち上げ方を知っていたら、ものすごいことになっていた可能性は高い。
そして今、間違いなく時代はシフトしており、著者が言うには、以前ならば松下幸之助であっても乾電池や電球は売れなかったが、今なら視点を変えれば売れるではないか、と。漬け物石だって、以前は絶対に売れないと思っていたが、工夫次第では売れる時代になっている。時代が動く時期、それまであった商品とそのニーズとの間にはギャップが生じるが、そのギャップを埋めるようなアイデアを出せば、何だって売れるようになるのだ。
つまり、リストラにあった年輩の人たちだって、やり方さえわかればライフワークに身を投じ、豊かな後世を送ることだってできる。そのために必要なことは、経営者や起業家が集まる「場(コミュニティ)」にいるかどうか。「会社」という枠組みだけでライフプランを考えるのではなく、個人としてのネットワーク力、発信力を高めていけば、様々な形で価値を創出することができるのだ。そして著者は、今を「人類史上最も簡単に起業できる時代」だと言う。
それを聞いて、確かにその通りだと思った。私自身、何もない状態から独立して7年間、曲がりなりにもやってこれたのは、自分の実力では決してない。時代があったからである。実のところ、インターネットがなかったら、ブログがなかったら独立なんてできないでしょ、と揶揄されたことはあるが、それは言っても始まらない。今に生きている以上、条件は同じだからだ。もし今、高校を卒業したばかりの経験も何もない普通の青年が、今の時代の知識を持ったままタイムマシンで100年前の日本に行ったとしたら、誰だって歴史に名を残すであろう。しかし現時には不可能。つまり、今の時代にどのように生きるかだけが重要であり、その意味で言うと「人類史上最も起業しやすい時代」に生きているからこそ、起業できただけのことである。
本書のベースにあるのは70年サイクル説によって時代を俯瞰する視点。その点では、確かに今、激怒の時代に向かおうとしているのは確か。しかしどのような時代においても、そしてどの国(先進国)に生きていたとしても、「絶対的」な絶望はあり得ない。大切なのは「視点」である。これはもちろん起業するのがよくて、サラリーマンがダメと言ってるのではない。どの立場におかれようと、「視点」によって状況が180度変わることを言っているに過ぎない。
つまり本書の最大の読みどころは、将来予想とか、どうすれば儲かるかって話ではなく、どのような「視点」を今後持つべきかということであろう。私はそのように読んで、今、ずいぶんとモチベーションが上がってきているのは確かなことだ。
2022―これから10年、活躍できる人の条件 (PHPビジネス新書)/神田 昌典

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<追記>
ただし、星をつけるならば多くて三つかな。「優しい会社」も同じような結論だったけど、2015年以降の予想だにできない時代予想が「SNS」と「NPO」に落ち着いているところが、神田さんとて限界かなと感じます。NPOはドラッガーがすでに言ってることで新鮮味もないし、SNSは今の流れを踏襲しているだけ。なので「予想」としてはまったく目新しいものはないですが、世の中を俯瞰的に見る練習にはいいかな、と思いました。



人生を変える100日ブログ:67日目


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■世界観を広げるには

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
今、大阪の実家に家族で帰省中です。朝の9時に家を出て新幹線で午後に京都着。そこで3時間ほど遊んで、京都駅から大阪駅に向かうJRでのこと。満員電車で立っていたのですが、2歳の息子が人混みに埋もれてふらふらしています。
だっこというので、抱えあげたらそのまま寝てしまいました。私は片手で子どもを抱え、もう片手で身体を支えます。30分も立ちっぱなしなので、私もかなりきついです。周囲の人たちは、スーツケースの上に置けばいいなど、いろいろ気遣ってくれます。もちろん迷惑もかけてしまっている。しかし、目の前で座っている20代の「アベック」はまったく気づかないようです。
内心は「ここは譲るとこやろ~」と思わなくもなかったのですが、当然のこと、まったく悪気はない感じで、本当に気が付いてないようでした。もちろん目の前に小さな子どもを抱えた人(と妊婦)が立っていることは目に入っているのでしょうが、その「意味」にまで気が回らないのでしょう。
これは単純に「経験」に問題だと思います。子どもを持ったことのある人ならば、その大変さが身にしみてわかるため、席を譲ることを当然と思うところ、その体験がなければその意味がわからないのも当然のこと。
しかし、人間は自分の「体験」の範囲内だけて生きているわけではなく、自分が「体験」していないことでも、それを追体験しながら世界を広げることができます。。その「体験を超えた世界」をつくるのは、まさに「想像力」です。その意味で言うと、目や耳の不自由な人や、年輩の方など、未体験のことについては、私だってわからないことはある。だけど、そのわからなさを補うのが「想像力」であって、つまりは「体験+想像力」こそが、その人の「世界観」なのです。
ただ、体験自体は実際にそれを体験しなければわかりませんが、想像力については、日頃から「想像」する習慣によって身につくもの。想像が広がると、世界が広がる。それにより世界を俯瞰的に見ることができ、自分にとって重要なリソース、チャンスにも気が付くができるのです。
満員電車で子どもを抱きながら、何となくそんなことを考えたりしていました。


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【書評】「脳はなにかと言い訳する」池谷裕二著

昨今、脳科学がブームであるが、著者はその牽引車の一人。ただし、他のベストセラー作家たちと決定的に違うのが、情報の鮮度と客観性である。正直、他の作家の数ある著書もそれなりに面白くはあっても、内容自体は限りなく「文系」的なものが多い(あえて誰々とは言わないが)。嘘は書いてないのだろうが、どうしても説得性には欠ける。それに対して、池谷氏は薬学博士の立場から「脳科学」を説明してるのであるが、同業の研究者の著書があまりに専門的すぎて難解であるのと異なり、私のような素人が読んでも十分に楽しめる。しかも、常に最新の研究結果やデータを惜しげもなく出してくるのだから、きちんとした理解に関してこれ以上のものはないだろう。


本書は著者が商業雑誌に寄稿していた25のエッセイをそのまま掲載し、さらに一つ一つ書きおろしで解説する、二段構えになっている。25の章はもちろんそれぞれに連動性はあるのだが、どこから読んでも差し支えない。それどころか、一つ一つが上質なショートショート小説のようでもあり、いつでも片手間に知的要求を満たすことができる。


本書を一読して感じるのは、とにかく「脳」ってバカだな~と言うこと。複雑で精巧に見えながら、その機能はかなりアバウト。もっとも、人間自体がバカなんだから、その中の一部が賢いはずもない。例えば私たちは見た世界を真実だと思いたがるが、実際にはかなりのバイアスをかけてそれ見ている(脳はなにかと思い込む)。子どもが世界地図を書くとき必ず自国を大きく描いてみせたり、パッと見にコップっぽいものをコップと信じてそれ以上疑いを挟まないように、見ている世界と実際の世界とは大なり小なりギャップがある。しかし、それはそれで脳側にも理屈があって、あまり対象を細かく見過ぎると処理が追いつかないから、わざとアバウトにしているのだと言う。


その意味ではウツになりやすいのは真面目な人が多く、それは物事をきちんと考え過ぎて脳を酷使しているからなのだろう(脳はなにかとうつになる)。脳なんて元々アバウトなのだから、もっと楽観的に物事を考えたら、もっと生きやすくなるのかもしれない。さらに言えば、「思い込み」なども信念や意思の強さだけでなく、脳があまり多くの情報処理をしたがらない、ちょっとバカな人間の方が強くなるのだろう。確かに楽観的な意味で思い込みの強い人間は、どこか抜けたおバカな印象はある。バカでいいじゃないか。


本書はそれこそ各章ごとにトラックバックを付けて書評したいのであるが、書面の都合上、もう一つだけ興味深い話を紹介したいと思う。それは「自由意思」について。実はこの話、脳科学の世界ではおよそ「常識化」されてるのだが、実は私たちには「自由意思」なんてものは存在しない(脳はなにかとウソをつく)。この「自由意思」はこれまでずっと哲学上の論争テーマであった。すなわち、世の中は最初から決まっている「決定論」と、そうではなく世の中は自由に変えられるもだとの「自由意思論」の対立。


結局のところ、デカルトが「我思う故に我あり」というテーゼを発見し、それが西洋科学の基礎となったように、まず最初に「思考」ありきなのがある時期支配的であった。その意味では「自由意思論」に軍配だったのか。しかし、20世紀に入り、フロイトが無意識を発見し、量子力学が事物の不確定さを論証したように、「思考」そのものが相対化される流れがあった。そして脳科学はそれに、さらに追い打ちをかけてしまったのである。


もはや様々に引用される実験ではあるが、被験者があるボタンを押す際、「1.押そうと意図する」、「2.身体(脳)が動く」、「3.ボタンを押す」の順番があったとしたら、普通はその番号の通り「1→2→3」と流れると考えてしまうだろう。しかし実際には「2→1→3」の順になっており、ボタンを押そうと意思を持つ以前に身体(脳)が動いているのである。これがすべてにおいてそうだとすれば、私たちは一切の「自由意思」を持たず、脳のロボットであるに過ぎないことになる。


ただし、確かに「自由意思」はないけれども、それを否定する「自由否定」は存在するとのこと。つまり、ボタンを押そうと身体(脳)と意思が決定したとしても、実際に押すまでにはわずかなタイムラグがあり、その間に押すことを否定することができるそうだ。そうなると、その「否定」こそが自由意思のような気がしないでもないが、そもそも「理性」とはすべて「否定」的である。いい女がいたら、男なら少しは抱きつきたくなるところ、それを押さえているのは理性である。


つまりは「理性=否定」であるとすれば、科学そのもはすべて「否定」によって成り立つと拡大解釈もできようものだ。確かに社会哲学上も、「否定」が弁証法的ダイナミズムを生むものだと定義されているわけだが。


とにかく本書は一つ一つは短いエッセイと解説で構成されており、適度な疑問を残すところが、読者の知的好奇心をバンバンに刺激し、読むほどに新たな発想が生まれるような気がしている。ちょっと電車に乗るときなど、文庫本なのでカバンに入れてもかさばらず、それでいて最高の暇つぶしと、発想のトレーニングができてしまう。かなり重宝している一冊である。

脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)/池谷 裕二

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人生を変える100日ブログ:66日目


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■瞑想は気持ちいい

こんにちは、石田久二です。


習慣化におけるネックは「気持ちよさ」です。最近はすっかり「瞑想」するのが習慣になっているのですが、以前は雑念や座り心地の悪さで気分が悪くなることもしばしば。しかし、必要によって続けていると、いつの間にかしないと気持ち悪くなっています。


実際、瞑想をせずに寝ると、どうにも寝付けないのです。どうやらそれは頭がスッキリしていないからのよう。特に夜にインターネットなどしていると、様々な情報の残骸が頭に残っていて、眠りを妨げます。


この残骸をさっと掃除してくれるのが瞑想です。しかし、瞑想しても雑念が入って集中できない人もいるでしょう。そんなとき、座禅の基本にもある「数息観」をお勧めします。それはゆっくりと一息ごとに「いち、とー、に、とー、さん、とー、、、」と呼吸をただ数えるだけ。一応、決まりとしては、1から10まで数えるのに、途中で雑念が入ったら1からやり直しなどのルールがあるのですが、あまり気にする必要もないでしょう。


まずは形からでも、1から10までゆっくりと呼吸を数えるだけ。それだけで、頭の中がスッキリして、寝付きがよくなります。また、アイデアやインスピレーションもわきやすく、こうやって瞑想が習慣になってからこそ、いろんな効果を実感しているところ。


昼間はバブル期の証券マンのごとく行動し、夜かまたは早朝は達磨大師のごとく瞑想する。これが習慣化すれば、毎日の生活はめちゃくちゃ充実して、楽しくワクワクな人生がやってきます。


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【書評】「営業マンは『お願い』するな!」加賀田晃著

2010年に64日目でストップしていた「100日ブログ」を再開します。



契約率99%の「営業の神様」が完全引退前に悩める営業マンに向けて書きおろした、初めての著書。私が加賀田氏のことを知ったのは、今から7年前。知人から何気なく借りた営業研修のDVDを見たのが最初だが、広告代理店の営業研修をホームビデオで撮影しただけの、映像としてはかなり劣悪な内容であるにも関わらず、それが私の人生を変えた。
営業は科学である。それが加賀田氏の一貫した主張であり、科学と言うからには、再現性が担保されなければならない。しかし、加賀田氏が言うには、自分自身が売ることは簡単だが、それ以上に得意なのは人に売らせること。なぜなら加賀田氏は営業に関する再現性あるノウハウを完備しており、それを伝えればいいだけだから。39歳で一線の営業マンから引退し、手探りで研修業を開始したのだが、どの会社も驚くべき営業成績を生み出し、それ以降現在に至るまで加賀田氏の研修は常に5年待ち。それゆえにPRする必要もなく、口コミだけで知られる伝説的な人物だった。
加賀田氏の研修は自身の「セールス6法」に基づいて進められるのであるが、本書はその「6法」を忠実に再現したものである。6法とは次の通り。
1.哲学編
2.礼儀編
3.話し方編
4.セオリー編
5.技術編
6.極意編

正確にはまず「哲学編」によって営業の大前提を押さえ、あとは「セオリー編」にかぶせる形で進められる。「哲学編」は本書のテーマにもあるように、お客に買ってもらうようお願いするのではなく、あくまで営業マンが主導で「売ってあげる」ものだと力説する。その考え方については、おそらく違和感のある人も多いであろう。なんせほとんどの会社が「お客様は神様」のような対応を是としており、「売ってあげる」などの高飛車な態度は営業マンにあるまじきだと考えるのだから。
しかし、営業は「結果」がすべてである。買ってもらう態度で売れるならそれでいいだろうが、実際、それで売れるほど営業は甘くない。「売ってあげる」とはまさに売ることに徹底した営業哲学であり、著者はそれで99%の契約率を残したのだから、周囲はグウの音が出ないのが実際であろう。
しかし、単に高飛車に「売ってあげる」とアプローチするだけでは、お客から嫌われるのは当然である。そうならないためには6法の通り、「礼儀」や「話し方」を徹底するのである。前提としては「売ってあげる」であったとしても、お客に嫌われては元も子もない。
そして「セオリー編」では、営業の黄金パターンを徹底的に叩きこむ。多くの営業マンはアプローチからすぐに商品説明に入るのだが、それでは嫌われて当然。飛込み営業ならなおさらのこと。アプローチからクロージングまでには、絶対に破ってはならない順版・鉄則があると言い、それが人間関係と必要性である。事実、人は同じ商品で同じ値段であれば、好意的な人、印象のよい人から買うものであり、それを作るのがまさに加賀田式人間関係構築法である。
ちなみに私も何度か加賀田氏の研修に接する機会があったのだが、どんな人間に対してでも本当に瞬時に人間関係を築くその一貫性にはビックリさせられた。エレベーターでたまたま乗り合わせたビルの清掃員に対してさえも、相手が笑顔になって気持ちよくエレベーターを降りるまでの時間、わずか数秒である。優れた営業マンになるための秘訣はもしかしたらここにあるのでは。
モノを売ろうが売るまいが、会う人を徹底して気分良くさせてしまう習慣。オンとオフを切り分けるのではなく、常にオンの状態。契約率99%、そして本書に書かれてある内容は決して嘘でないことは、実物の加賀田氏に会うと実感できるかもしれない。
そして圧巻が「極意編」にある。徹底的に相手を愛する「愛対意識」、相手は勝って当たり前と思いこむ「当然意識」、そして絶対にあきらめない「不諦意識」からなり、おそらくこれだけでもマスターすれば、他のあらゆるテクニックは必要ないかもしれない。しかし、それは決して容易ではないだろう。そのことは本書の中の原野商法での初契約エピソードを読めばわかる。これを読んでその通りにできる人は、ビジネス書など最初から読む必要ないであろう。そしてそのエピソードを読んだ読者は、大方二通りに反応が分かれるに違いない。
一方は怒って本書を放り投げる人。そしてもう一方は感動で心を震わす人。私は後者だった。どう言われようと、営業マンに徹し、その役割をまっとうするまで譲らない。昨今はインターネットが普及し、アメリカ発祥の効率的なマーケティングや、中には人と会わない営業技術なども紹介されたりするが、そのような小手先のテクニックはやがて陳腐化される。
しかし、どんな時代にあっても「絶対に売るんだ」という心構えと気迫は、扱う商品が何であれ決して色あせることはない。本書は発売一年にして20万部の大ベストセラーらしいが、今の時代にこそ、そのような古臭い、ある意味、体育会的、浪花節的な情感が悩める多くの営業マンの心を打ったのかもしれない。
本書は現役の営業マンはもちろんのこと、生きた人生哲学書としてもお勧めである。これ読んだらぶつくさ言わずにまず動くことだ。
営業マンは「お願い」するな!/加賀田 晃

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人生を変える100日ブログ:65日目


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