【書評】「脳はなにかと言い訳する」池谷裕二著

昨今、脳科学がブームであるが、著者はその牽引車の一人。ただし、他のベストセラー作家たちと決定的に違うのが、情報の鮮度と客観性である。正直、他の作家の数ある著書もそれなりに面白くはあっても、内容自体は限りなく「文系」的なものが多い(あえて誰々とは言わないが)。嘘は書いてないのだろうが、どうしても説得性には欠ける。それに対して、池谷氏は薬学博士の立場から「脳科学」を説明してるのであるが、同業の研究者の著書があまりに専門的すぎて難解であるのと異なり、私のような素人が読んでも十分に楽しめる。しかも、常に最新の研究結果やデータを惜しげもなく出してくるのだから、きちんとした理解に関してこれ以上のものはないだろう。


本書は著者が商業雑誌に寄稿していた25のエッセイをそのまま掲載し、さらに一つ一つ書きおろしで解説する、二段構えになっている。25の章はもちろんそれぞれに連動性はあるのだが、どこから読んでも差し支えない。それどころか、一つ一つが上質なショートショート小説のようでもあり、いつでも片手間に知的要求を満たすことができる。


本書を一読して感じるのは、とにかく「脳」ってバカだな~と言うこと。複雑で精巧に見えながら、その機能はかなりアバウト。もっとも、人間自体がバカなんだから、その中の一部が賢いはずもない。例えば私たちは見た世界を真実だと思いたがるが、実際にはかなりのバイアスをかけてそれ見ている(脳はなにかと思い込む)。子どもが世界地図を書くとき必ず自国を大きく描いてみせたり、パッと見にコップっぽいものをコップと信じてそれ以上疑いを挟まないように、見ている世界と実際の世界とは大なり小なりギャップがある。しかし、それはそれで脳側にも理屈があって、あまり対象を細かく見過ぎると処理が追いつかないから、わざとアバウトにしているのだと言う。


その意味ではウツになりやすいのは真面目な人が多く、それは物事をきちんと考え過ぎて脳を酷使しているからなのだろう(脳はなにかとうつになる)。脳なんて元々アバウトなのだから、もっと楽観的に物事を考えたら、もっと生きやすくなるのかもしれない。さらに言えば、「思い込み」なども信念や意思の強さだけでなく、脳があまり多くの情報処理をしたがらない、ちょっとバカな人間の方が強くなるのだろう。確かに楽観的な意味で思い込みの強い人間は、どこか抜けたおバカな印象はある。バカでいいじゃないか。


本書はそれこそ各章ごとにトラックバックを付けて書評したいのであるが、書面の都合上、もう一つだけ興味深い話を紹介したいと思う。それは「自由意思」について。実はこの話、脳科学の世界ではおよそ「常識化」されてるのだが、実は私たちには「自由意思」なんてものは存在しない(脳はなにかとウソをつく)。この「自由意思」はこれまでずっと哲学上の論争テーマであった。すなわち、世の中は最初から決まっている「決定論」と、そうではなく世の中は自由に変えられるもだとの「自由意思論」の対立。


結局のところ、デカルトが「我思う故に我あり」というテーゼを発見し、それが西洋科学の基礎となったように、まず最初に「思考」ありきなのがある時期支配的であった。その意味では「自由意思論」に軍配だったのか。しかし、20世紀に入り、フロイトが無意識を発見し、量子力学が事物の不確定さを論証したように、「思考」そのものが相対化される流れがあった。そして脳科学はそれに、さらに追い打ちをかけてしまったのである。


もはや様々に引用される実験ではあるが、被験者があるボタンを押す際、「1.押そうと意図する」、「2.身体(脳)が動く」、「3.ボタンを押す」の順番があったとしたら、普通はその番号の通り「1→2→3」と流れると考えてしまうだろう。しかし実際には「2→1→3」の順になっており、ボタンを押そうと意思を持つ以前に身体(脳)が動いているのである。これがすべてにおいてそうだとすれば、私たちは一切の「自由意思」を持たず、脳のロボットであるに過ぎないことになる。


ただし、確かに「自由意思」はないけれども、それを否定する「自由否定」は存在するとのこと。つまり、ボタンを押そうと身体(脳)と意思が決定したとしても、実際に押すまでにはわずかなタイムラグがあり、その間に押すことを否定することができるそうだ。そうなると、その「否定」こそが自由意思のような気がしないでもないが、そもそも「理性」とはすべて「否定」的である。いい女がいたら、男なら少しは抱きつきたくなるところ、それを押さえているのは理性である。


つまりは「理性=否定」であるとすれば、科学そのもはすべて「否定」によって成り立つと拡大解釈もできようものだ。確かに社会哲学上も、「否定」が弁証法的ダイナミズムを生むものだと定義されているわけだが。


とにかく本書は一つ一つは短いエッセイと解説で構成されており、適度な疑問を残すところが、読者の知的好奇心をバンバンに刺激し、読むほどに新たな発想が生まれるような気がしている。ちょっと電車に乗るときなど、文庫本なのでカバンに入れてもかさばらず、それでいて最高の暇つぶしと、発想のトレーニングができてしまう。かなり重宝している一冊である。

脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)/池谷 裕二

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