■本当にやりたいこと

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
時々思うことがあります。自分の命があと一年だったとしたら、どんな一年を過ごしたいと思うか。行ってない国を訪れるか。それもいいけど、なんか違う気がする。絶世の美女とHをするか。それもいいけど、なんか違う気がする。とびきりの美味しいものを食べるか。それもいいけど、なんか違う気がする。高級車でも買うか。それはぜんぜん違うなあ。
おそらくこの答えが、自分が本当にやりたいことなんだと思います。今の私が自分以上に大切にしたいものは、子どもです。なので、子どものために生きることは間違いない。子どものために資産を残すか。でも、残したところでなくなるしなあ。たくさん遊んで、思い出を残すか。それはなくならないけど、子どもにはもっと未来に目を向けて欲しいしなあ。
結局、私ができるのは、子どものために残せるのはメッセージだけかもしれません。では、どうやってメッセージを残すか。そう考えると、やっぱりブログしかない。もちろん本もいいけど、ダイレクトなメッセージを残すにはブログが一番。と言うことは、今、毎日やってるのが、私が本当にやりたいことだった。
自分の命があと一年だったとしても、今の同じく、特別なこともせず、毎日、ブログ書くだけだと思います。いつか子どもも物心付いたら、そして今の私と同じ年齢になれば、きっと私が書いたブログを読むと思うのです。そしてもちろん、子ども以外の人も読むことがあるでしょう。それこそ今日生まれたような人が20年後に、今日私が書いた文章を読むかもしれない。それを読んで何かを感じて頂ければ、ものすごく尊いことじゃないでしょうか。
自分が本当にやりたいこと。私はそれを毎日やっている。それってものすごく幸せなことじゃないかと、今、改めに気が付きました。ハッピーです。


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■この世に無駄はない

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
最近、「あき竹城」というタレントさんがテレビに出ているのをよく見かけます。私が知ったのはつい最近です。だけど、何やっている人かは未だにわかりません。なのに、あき竹城さんはものすごい便秘で、毎日、浣腸してるって話は知っています。
これ以上にどうでもいい話はないと思います。世の中には無駄はないと言われながら、どう考えても、この情報だけは人生に役立つものとは考えられません。
と、書きながら、ちょっとネタに息詰まった今、ブログの一ページを費やす分に役だったことに気が付きました。やっぱりこの世の中に無駄なのは存在しないのです。真理なりです。


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■メルマガブームが到来している・・・らしい

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
昨今、フェイスブックを始めとしたソーシャルメディア華盛りですが、言うまでもなく、ソーシャルメディアの移り変わりは激しく、だいたい3年から5年くらいで寿命が尽きてしまうと言われます。ミクシィなどその典型で、一時は隆盛を誇りながら、正直、今は衰退の一途をたどっています。
最近はツイッター、フェイスブック、アメブロなどが主流なのでしょうか。特にアメブロはもはや「ブログ」からは独立した、ユニークなソーシャルメディアとして活用されています。周囲では主にビジネスユースがメインのようですが、実は最近、アメブロサイドでビジネス利用への制限がかけられているそうです。アメブロサイドとしてはおそらくピグやゲームなどの課金サービスで利益を出したいとの意図があるのでしょうか。
いずれにせよこの2~3年、ビジネスに大いに活用されてきたアメブロもその点ではそろそろ減速か。フェイスブックも同様のことが起こっているようで、あからさまなビジネス活動にはかなり制限されているようです。そもそもソーシャルメディアとは、顔の見える友人同士か、または一部の著名人とのつながりを持つよう活用されてきて、顧客獲得のためでは決してないのです。
その一方で、最近、新たなソーシャルメディアがまた流行りつつあるとの話も聞きました。そのメメディアとは「メルマガ」です。何を今さら、、、と言うかもしれませんが、新たなブームの兆しがあるのは「有料メルマガ」です。おそらく堀江貴文氏が獄中で書いたメルマガが、それだけで月収1000万円を超すなどのニュースがきっかけになっているようですが、確かに最近は有料メルマガを始める人も増えてきたようです。
ただし、こればかりはアメブロやフェイスブックを始めるようなわけにはいきません。なぜなら、コンテンツが命だから。もちろん知名度もです。ですので、いくらブームと言えど、無名でコンテンツのないような人が始めてもまったく無駄。だけど、もし有料メルマガで一定の読者が見込めるのであれば、これほど効果的なメディアもありません。
メルマガなりブログなりは、確かに自分の持ってるコンテンツを与えるものであり、それなりに手間はかかります。しかしその分の直接的利益はあるわけだし、さらにそれ自体が広告ともなります。しかし、読者がいなければ意味がない。そのためにはどうすればいいのか。当たり前の話ですが、まずは無料のメルマガなりブログなりで読者を集めるしかありません。
聞くところによると、無料メルマガの読者、無料ブログのユニークアクセス数の5%が有料購読するとの目安があるそうです。仮に一ヶ月の購読料を500円として、1万人の無料読者を持っていれば、
10,000人×0.05×500円=25万円
なる計算ができます。800円にすれば、40万円。これくらいあれば有料メルマガを検討する価値はあります。では私はと言うと、、、ブログ(宇宙と~)のUAが2千人、メルマガ読者が3千人ですので、間をとって2500人の無料読者がいるとします。すると、
2,500×0.5×500=62,500円
これではちょっと弱いかな。800円にしても10万円。やはり10万円だと、モチベーション的にも弱いので、私に関してはまだまだ無料メディアで地道に読者を増やしていく方がいい段階です。だけど、将来的には有料メルマガの発行は視野に入れていいと思います。
いずれにせよ、ソーシャルメディアとて小手先のテクニックはますます通用しにくい時代に入ってるのは確か。つまりコンテンツ重視の傾向は高まるばかり。そうであるならば、コンテンツを高められるメディアを地道に育てていく方が将来的にも得策。そのメディアはまさにブログとメルマガです。フェイスブック、ツイッター、アメブロなどは力技で読者を増やすことはできても、精読率は決して高まらない。それよりも純粋に読んでくれる読者を地道に増やす方がいいに決まっています。そのメディアがまさにブログとメルマガ。これからもこの二つの力を入れて、地道にやっていこうと思います。


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■霊性と科学

こんばんは、石田久二です。


霊性と科学とは、一見、真逆のように感じられますが、実際には完全にイコールの関係で成り立っています。霊性と言うと、とかく霊だとか、占いだとか、宗教だとか、科学とは相容れない概念のように思われますが、エジソンが「霊性=インスピレーション」と言った例にならうと、科学の発展において「霊性」は無くてはならないことがわかります。


実際、科学的な発展において、完全に論理的、演繹的に進展することはほとんどなく、発展を導く下地は論理的であっても、新しい発明、発見については「直感」としか言いようのないケースがほとんどです。または偶然と言うこともできます。


論理的演繹的な動線としては「三段論法」がシンプルです。つまり、

1.A=B
2.B=C
3.∴A=C

しかし、本来の科学的発展はこの図式に留まりません。仮のこの図式で「A=C」という商品を開発したとしましょう(純粋自然科学ではなくマーケティングの話で恐縮ですが)。まず、地道な開発ベースがあったとして、これを「A=B」とします。そこで例えば市場調査などをして、ニーズをかき集めます。これを「B=C」とします。ここから「A=C」なる商品が導かれるのですが、勘のいい人は、市場調査)(B=C)などなくとも「A=C」を導き、それを後付けで市場調査等により根拠付けすることはあります。


しかしそれでは、斬新な商品開発はできません。アップルの元CEOである故スティーブ・ジョブズは、決して「A=C」で満足する人ではなかったのでしょう。彼は常に、

「A=D」

を模索する人でした。「A=C」ならば思いついても「B=C」なる根拠を提示できますが、「A=D」にはどこにも根拠はありません。「Dはどこから出てきたんだ!おい!」と言われても、「直感だ」としか言えないでしょう。


この「直感」こそがまさに「霊性」の源です。「霊性」が「直感」の源と言った方がいいのかな。いずれにせよ、商品開発せよ、自然科学にせよ、大きく発展するには常に「D」の存在が重要でした。


「科学」は「霊性」によって導かれました。つまりサイエンスとは限りなくスピリチュアルな営みであり、サイエンスを否定する人にスピリチュアルを語る資格はないと言えましょう。


ただ、言うまでもないですが「A=D」を導くには、それまでの論理的演繹的積み重ねが不可欠ですので、「D」を導くために瞑想ばかりしててもダメ。「直感」は大切ですが、そのための基礎は大前提なのですから。


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■不増不減

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
今朝も滝に打たれてきたのですが、滝の中では必ず般若心経を一巻は唱えます。その中の一節に「不増不減」なるフレーズがあります。文字通り増えもせず減りもせず、という意味です。
これはすなわち「エネルギー保存の法則」を意味します。地球上のエネルギーは常に一定という意味です。エネルギーは増えもせず減りもせず。例えばお店で800円のランチを食べるとします。私はそのランチを戴く代わりに、800円をお店に渡します。私はランチを食べて800円分のエネルギーを戴きましたが、お店も800円分のエネルギーを手にすることになります。つまり等価交換です。
そして食べたランチは消えて無くなるのではなく、私の身体に栄養として貯えられ、残りカスは排出されます。そのカスはトイレに流され、下水を通ってどこかに集められます。集められたカスは例えば肥料になるなどして、土壌や植物にエネルギーを与えます。さらにその植物を私たちは食べてエネルギーにするので、結局、元に戻ってきて、やっぱり増えもせず、減りもしなかったことがわかります。
しかし、エネルギーは地球上の物質界において一定なだけで、世界には食べるものもなくて飢えている人もいれば、食べ過ぎて太っている人もいます。それは明らかに不均衡です。だけど、飢えている人にはとても申し訳ないのですが、あまりにエネルギーが減りすぎると地球上からいなくなり、それと同時に飽食で太っている人もまた、病気になるなどして早死にしたりします。お釈迦様は「中庸(ほどほど)」を是としましたが、エネルギー保存の法則から、あまりに極端に流れると消されることもあるのです。
なので太っている人は、ほどほどに食べるようにして、先進国に偏ってるエネルギーを、エネルギーの足りない国地域に循環させるような仕組みを作る必要があります。でないと、結局は自分で自分の首を絞めることになるのです。
つまりはこれがエコロジーの思想なのです。やりすぎると、どこかが奪われている。不均衡になると共倒れしてしまう。たくさん奪って得した気になっても、ゆくゆくはそれ故に自分も倒れてしまうことがある。
願望実現においても「エコロジー」の視点はとても大切。収入をアップすることに偏りすぎると、例えば健康を害したり、家族関係が壊れたりすることもあります。アメリカの大富豪などは、稼いだお金を一定割合必ず寄付しているそうですが、それはおそらくエコロジーの感覚を知らず知らずに身につけているからなのでしょう。
たくさん稼いでも健康を害したら医療にお金を取られますし、家族が壊れたら慰謝料や養育費に結局取られてしまいます。だったら最初から価値ある使い方しておいた方がいい。そんな感覚なのでしょうか。
「不増不減」は間違いなく真理です。2500年前にすでにエコロジーの思想を予見していたわけですね。滝に打たれながら、そんなことを思ったりしました。


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