■若さの特権

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
この時期になると毎年、勤めていた会社を思い出します。年度末は鬼のように忙しくなるのですが、そろそろ納品も進み業務から解放されつつある時期。まだ、忙しいことは違いないのだけど、気分はどんどん上がってくるんです。さらにゴールデンウィークにはまとまった休みも取れますし。
だけど、そう思えるのはそれまでの暗黒があったからこそ。闇があるから光があるように、忙しい時期があるからこそ、解放された時間を楽しく感じるのです。そして今、つくづく思うのですが、この39年間の人生において最も尊い時期はいつだったかと言うと、それは間違いなく会社員時代の4年間でしょう。いつの間にか辞めてから8年経ちましたので、会社新時代の倍も過ごしているわけです。だからと言って、戻りたいわけではありませんが、あの4年間がなければ今の自分は確実にないでしょう。
その時期に得たことして、まずワード、エクセルなどアプリケーションをかなり使えるようになったこと。誰に習ったわけでもなく、業務の必要性から事務所のマニュアルを開きながら覚える。私はパワーポイントは普段使いませんが、業務では使っていたのでいつでも使えます。また、会議やワークショップの運営も覚え、さらに営業で人と会うことも経験。しかし何より大きかったのは次の二つ。
一つは締め切りに間に合わせること。納品や会議があれば、それまでに徹夜してでも仕事して間に合わせる。誰も手伝ってくれないので、自分でどうにかするしかない。そしてもう一つが無理をすること。4日も連続して徹夜したこともあるし、目を真っ赤にはらせながら客先でぼろ雑巾扱いされたこともある。そして会社に帰ると上司からの叱責と嫌み。しかも私は契約社員で給料が極端に安かった。
だけど、その経験があったからこそ、今は何があろうとどうってことない気持ちになれるし、そして乗り越えられる。もちろん世の中にはもっともっと凄まじいブラック企業もあるでしょうが、若いうちはむしろブラック企業にこそ勤める価値があると思います。将来起業したいのであればなおさらのこと。
苦労は買ってでもしろ、と言われますがまさにその通り。だけどそれは、若いときに限る、、、ですが。とにかく20代は自我が無くなるほどに働くのがいいでしょうし、それができるのも若さの特権だと思うのです。


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■後悔してください

こんにちは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
石井裕之さんの公式ブログなるものがあるのを今知って、読みに行ってみました。真っ先に目に入った3月27日の記事に「後悔」なるエントリーがありました。そのまま引用します。

後悔というのは、精一杯やった結果、自分の力や知恵が及ばなかったことを苦しむ人だけに与えられる崇高な感情だ。
なんにもしなかった人に、後悔する権利なんかない。


同じようなことを最近、私も誰かに話しました。何か目標があって、それに向かって努力します。達成すればいいけど、しないことだってある。そんな時、「自分なりに精いっぱいやったから悔いはないです」などと言う人がいます。昔からどうも違和感がありました。だって、精一杯やって達成しなかったら悔しいじゃん。精一杯やらなくて達成しなかったら、「ま、こんなもんか」で済むと思うけど、そうじゃなくて命削る思いで努力しても叶わなかったら、私だったら悔しくて大泣きすると思います。
例えば何かの舞台ごと、私だったら以前、吹奏楽をやっててわかるのですが、一生懸命に練習した難しい箇所が本番でできなかったら、たとえ他の箇所がうまく行ったとしても泣くに泣けない。そんな時、「一生懸命練習したから悔いはないです」なんて言葉は絶対に出ないもの。
結局のところ、「一生懸命やったので悔いはない」なんてのは、自分自身、どこかで手を抜いたことに対する甘え、言い訳だと思うのです。大学受験にしても資格試験にしても、適当に勉強して落ちたらそれはそれで諦め付くけど、その日のために寝る間も惜しんで勉強したことが届かなかったら、やっぱり落ち込むでしょ。
だけど、そうやって泣くほどに後悔したことがエネルギーになって、その次につながるもの。悔しさってのはバネになるんです。そのバネは一生懸命に努力したものだけに与えられるもの。後悔することは決してカッコ悪いことじゃない。手を抜いて、そのことを言い訳する姿こそが一番カッコ悪いのです。


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■ナウル化する日本

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。


南太平洋に「ナウル共和国」なる国がありますが、非常に面白い歴史を辿った国です。20世紀初頭からリンが産出されることがわかり、そのおかげで国は信じられないくらいに豊かでした。税金なし、教育・医療はただ、年金でもないのに国民には生活費が支払われる。働いているのは公務人と外国人労働者とのみで、ほとんどの国民が遊んで暮らしていました。


しかし唯一の産業であったリン鉱床は21世紀には枯渇してしまい、突然、収入源がなくなってしまいます。当然、それまでの潤沢な国民福祉は維持できなくなり、現在の生活水準はどうなっているのでしょう。とりあえず哀れなまでの外交で援助を引き出すだけの国。だからといって、長年、働くことを知らなかった国民に、頑張って国を復興するだけの力はありません。わずかな望みとして、かつてのナウルを知らない若い世代への教育がどのように、どのように花開くかだけ。


国が平和なのは幸いですが、絵に描いたような「キリギリス」の国。しかし、私たちとてナウルを笑うことはできません。何だかんだと言って、やはり日本は恵まれています。ナウルの実状を見るたびに、日本の生活保護世帯を連想せずにはいられません。


一定の条件を満たせば、何もしなくても生活できる資金が保証される。むしろ何かしようと働こうとも、生活保護費よりも少ないことがある。と言うか、ほとんどがそう。だったら、嫌な思いして働くのは損。となると、毎日が暇。そこでパチンコにでも手を出したらもう終わり。どんどん資金を吸い取られて本格的に生活苦が始まる。どうしようもなく手を出すのが高利貸しのサラ金。このパターン、決して少なくないようです。


しかしこれからも未来永劫、このような状況が続くとはまず考えられません。リン鉱床が枯渇したように、日本の生活保護予算が大幅に削られないとも限りません。と言うか、その方向に進んでいることは間違いありません。


これは生活保護だけじゃなく、親にパラサイトしているニート・フリーター、終身雇用神話を信じているサラリーマンもそう。今までそうだったから、これからもそうだなんて幻想は通じない世の中がやってきています。そこで私たちは今後、どのような生き方を目指せばいいのか。


やっぱり最後は自分次第なんですよね。今の仕事、会社、資産、資格などがすべてリセットされたとしたら、自分はどうやって生きて行くべきか。この「質問」に明確に答えられる状態を、私は「安定」と呼んでいます。全国民が肝に銘じておくべき「質問」だと思います。


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■普通の人

おはようございます、行動強化コンサルタントの石田久二です。


「九州ベンチャー大学」やその他のDVDにて私のセミナーを見た人から、最初はどれだけ激しい人なのかと緊張していたけど、実際会ってみると「普通の人ですよね」と言われることがよくあります。さすがに普段からあんなテンションでしゃべったりはしません(笑)


また、ブログ(宇宙となかよし)には真冬の滝行の話があったり、スピリチュアルを批判してたり、かと思うと怪しげな話してたりなど、これまたお会いするまでは緊張を強いることがあるようですが、やっぱり実際に会ってみると「普通の人ですよね」とよく言われます。


この「普通の人」ってのは、私にとってすごく嬉しい褒め言葉です。確かに人は誰もが「ユニークで特別」と思われたい存在であり、ややもすると「普通の人」は揶揄するかのニュアンスもあります。しかし、本当に特徴もない目立たない人に対して、わざわざ「普通の人」と言うことはありません。


口に出して「普通の人」と言うからには、それだけ「特別な部分」が普段から目立っている証なのでしょう。とにかく今さら「特別」を目指すわけでもなく、ただ淡々と自分らしく「普通の人」であり続けたいと思います。


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■セミナー講師最大の難所

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。


セミナー講師になりたい人は多いと思うのですが、実のところ誰だって一回や二回はできるもの。華々しく「講師デビューしました!」とブログなどで大騒ぎしたとしても、ほとんどが続かないのが現状。


一番の理由は「集客」に息詰まること。最初は物珍しさとか付き合いとかから、割と集まることがあっても、同じ人の同じ内容に何度も何度も付き合ってくれるほど参加者も暇じゃありません。となると、外に向けて開拓する必要があるのですが、ほとんどの人がここで行き詰まります。


だけど、この段階をクリアできたとしても、次に最大の難所を迎えることになる。今までは知り合い中心の「ホーム」でよかったけど、外に集客を向けると当然「アウェー」の割合が増えてきます。言うなれば「さらし者」にされる。アンケートでも取ろうものなら、辛辣な意見を頂くこともあるし、メールでクレームのような感想を頂くこともある。


これがある意味、講師を止めてしまう最大の壁かもしれません。どんなに優れたコンテンツであろうと、万人が万人にウケるとは限りません。中には丁寧にネガティブなコメントを残してくれる人もいる。仮に10人中9人がよい評価をしていたとしても、1人でも悪い評価を残されると、そればかり気になってしまうもの。時には全人格を否定されたかのように思い悩むこともあります。


結局、セミナー講師として残る人は、そのネガティブなコメントを超えた人たち。気にしないのも一つの手ですが、前向きに受け止めて改良の材料にする。それでコンテンツに磨きがかかったりもするんです。


言うまでもないですが、私も今まで幾度となく落ち込むようなコメントを頂いてきました。正直、見るのもいやです。だけど、それを素直に受け止め、次に活かそうとするだけの前向きさは私にはあったのかもしれません。または、セミナー講師としてやっていくしかないとの強い思いがそうさせたのかもしれません。


いずれにせよ、まずは集客に行き詰まりながら、それを超えたところで最大の難所が待ち受けているのは避けられないこと。そこでセミナー講師として残る人、消えていく人が選別されるのです。


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