こんにちは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
石井裕之さんの公式ブログなるものがあるのを今知って、読みに行ってみました。真っ先に目に入った3月27日の記事に「後悔」なるエントリーがありました。そのまま引用します。
後悔というのは、精一杯やった結果、自分の力や知恵が及ばなかったことを苦しむ人だけに与えられる崇高な感情だ。
なんにもしなかった人に、後悔する権利なんかない。
同じようなことを最近、私も誰かに話しました。何か目標があって、それに向かって努力します。達成すればいいけど、しないことだってある。そんな時、「自分なりに精いっぱいやったから悔いはないです」などと言う人がいます。昔からどうも違和感がありました。だって、精一杯やって達成しなかったら悔しいじゃん。精一杯やらなくて達成しなかったら、「ま、こんなもんか」で済むと思うけど、そうじゃなくて命削る思いで努力しても叶わなかったら、私だったら悔しくて大泣きすると思います。
例えば何かの舞台ごと、私だったら以前、吹奏楽をやっててわかるのですが、一生懸命に練習した難しい箇所が本番でできなかったら、たとえ他の箇所がうまく行ったとしても泣くに泣けない。そんな時、「一生懸命練習したから悔いはないです」なんて言葉は絶対に出ないもの。
結局のところ、「一生懸命やったので悔いはない」なんてのは、自分自身、どこかで手を抜いたことに対する甘え、言い訳だと思うのです。大学受験にしても資格試験にしても、適当に勉強して落ちたらそれはそれで諦め付くけど、その日のために寝る間も惜しんで勉強したことが届かなかったら、やっぱり落ち込むでしょ。
だけど、そうやって泣くほどに後悔したことがエネルギーになって、その次につながるもの。悔しさってのはバネになるんです。そのバネは一生懸命に努力したものだけに与えられるもの。後悔することは決してカッコ悪いことじゃない。手を抜いて、そのことを言い訳する姿こそが一番カッコ悪いのです。