旅好き、冒険好きにはたまらない一冊。
写真が多く、漢字にはルビがふってあるなど、どちらかと言うと少年向けに書かれたものであろうが、中身は著者である石川氏の経験そのものであるし、とにかく面白い。
石川氏は高校時代にインドに一人旅をしているが、それを皮切りに、アラスカ、大陸縦断、チョモランマ登頂、熱気球太平洋横断などの冒険を次々と敢行している。
本書は石川氏のそれまで旅の記録を自身の叙述とともに淡々とあっさりと綴ったものである。
インドでは列車の降りる駅を間違え、一駅分を歩く際、さっそく強盗に襲われようとする。
バラモンらしき老人に助けられるが、見事なまでの洗礼である。しかし石川氏は最初のインド旅行で次のような言葉を残す。
「インドという場所は、ヨーロッパやアメリカなどと違って、街を歩いているだけで生と死について自然と意識的になってしまう不思議な土地です。ぼくはそのような場所に十代の半ばで出会ってしまったがゆえに、生の意識が希薄な日本社会に本の少しの違和感を抱いて、ことさら世界に目が向くようになっていったのです。」
なるほど、よくわかる。
その後、世界各地を様々なスタイルで冒険していくのだが、普通なら経験できないと言う意味で、特に興味をそそったのが「熱気球太平洋横断」である。
準備としてまずは国内で気球の練習、その他気象に関することなど関連事項の学習が重要となる。
そして実際に飛行に出かけるのだが、およそ想像し難いのが、沸点の話である。水は100℃で沸騰することは常識であり、標高が上がるにつれて沸点が下がるのもよく知られている。例えば富士山の頂上で食べるカップヌードルなど沸騰したお湯をかけたのにぬるいものだと言う。
そこでさらに標高が上がるとどうなるか。およそ19,000mにも上がると、沸点は40℃程度となり、人間の血液は瞬時に沸騰してミイラになってしまうそうだ。
しかし気球の場合は上に上がれば上がるほど気流も安定して操縦しやすくなる。
低すぎず高すぎず。このわずかな位置を見つけて飛行することが横断の条件となるらしい。
この冒険は結局予期せぬ天候による燃料不足で失敗に終わるが、さすがに時化に荒れる海面に投げ出された時は、死を覚悟したそうだ。
最終的には漂浪中にコンテナ船に拾われ一命を取りとめるのであるが、それでも冒険を続けようとする。
石川氏は最後に「自己批判」とも取れる記述を残している。
そもそも「冒険」とは何か?辺境の地に行くことや、危険を冒して旅することが「冒険」なのか?決してそればかりではない。
「冒険」とは未知の場所に足を踏み入れることであり、それならば新しい友達を作ること、ひとり暮らしを始めること、会社を立ち上げること、いつもとは違う道で帰ることであってもいいはずだ。
つまり「いま生きている」ということ自体が立派な冒険ではないかと。
ここに本書のタイトルに帰結する。ただ、そう言えるのも、実際に辺境の地や未知なる場所に足を運んだ石川氏だからこその説得力があるものだ。
ちなみに本書は写真が素晴らしい。ただ、惜しむらくは「太平洋横断」時の写真が流されてしまい、それが掲載されてないことだろうか。
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