独立奮闘記(8) ~100日滝行の奇跡~ (2006)

2005年10月に奇跡のアレ がやってきたことで、じり貧状態だった私の家計も一気に満たされていきます。

本当に不思議なできごとでした。

とにかく私は絶対にサラリーマンには戻らないとの強い「信念」と「覚悟」があり、そのためにできることをひたすらやっていただけ。

しかし、ネットワークビジネスで成功しようとも思ったようにいかず。

アフィリエイト収入なんかおやつ代にもならない。

NPOの仕事だって不定期。

そして貯金が底をついたと思った時、加賀田DVDがやってきて、その数日後にアレがまさに引き寄せられたのです。

まさに神がかり。

そんな奇跡のような出来事が、2006年に入ってすぐにやってきました。

私は2004年から滝行をしており、翌2005年には真冬の一番寒く、そして会社の仕事が忙しい時期に「21日行」を満行しました。

「21日行」というのは、文字通り、21日間毎朝滝に打たれるとともに、肉、酒、H(自慰も)を禁止するのです。

真冬の寒い時期、しかも繁忙期で徹夜も辞さない、さらに30代前半にとってHまで禁止するのは、相当に過酷でした。

そんな行だったからこそ、やり遂げたことは大きな自信となりました。

2006年。

21日行の次に待っているのは「100日行」です。

それはまさに21日と同じことを単純に100日行うのです。

21日の5倍。

滝はともかく、、、Hが我慢できるかどうか。

そんな心配もありましたが、それ以上に深刻だったのが、やはり経済状況です。

アレがやって来たとは言え、それはまだブレイク以前であり、完全に家計を支えるものかは心もとない状況。

そんな時、100日行もちょうど半分に差しかかろうとする、2月の後半のこと。

貯金がなんと3万円になってしまったのです。

これでは月末の家賃も払えないし、カードの支払いもあります。

普通に考えたら、いよいよ就職活動です。

その時は確かに考えました。

このまま100日滝行を続けるべきか、中断して就職活動をすべきか。

私の選択はもちろん「100日行」でした。

もう、腹をくくるしかありません。

もしも考えうる限り最悪のことがあるとすれば、何だろう?

「家賃が払えなくて、保証人(親)に連絡がいく」

「カードが使えなくなる」

・・・ん?

たったそれだけ?

命とられるわけでも、牢屋に入るわけでもない。

ちなみに牢屋はエジプトでピラミッド(クフ王)に登って、降りたところで警察に捕まって、数時間入ったことあったっけ。

最後は数百円の賄賂で釈放。それは普通に入場するより安かった。

それはともかく、一度やると決めた「100日行」を断念してまで避けなければならないペナルティでもない。

家賃が払えなくても、カードが使えなくなっても、一度やると決めた「100日行」を断念することに比べたら、本当に些細なこと。

家賃はいつか払えばいいし、カードはだって復活できる。

しかし「100日行」を断念したって後悔は一生残る。

もう迷うことはありませんでした。

なにはともあれ、100日行を満行する方がはるかに大事。

だったら、毎日、淡々と滝に打たれるしかない。

そうやって腹をくくったところ、関わっていたまちづくりNPOから連絡が。

ちょうど市町村合併(平成の大合併)の終盤の時期であり、佐賀県のある市町村が合併する。

それに先だって、合併前の町として提出しなければならない報告書がある。

それをいそいで片づけてくれとNPOの依頼があり、元建設コンサルタントで、作業も早い私にその仕事が周ってきたのです。

そしてダッシュで報告書を作成し、2~3回、会議に出席して提出。

合併が3月だったので、2月中に提出し、そして2月中に支払いもせねばらない。

ですので、町からすぐにNPOに支払いがあり、そのまま私の通帳にも振り込みがされたのです。

30万円。

これで一応の急場をしのぐことができました。

その後、、、アレが大ブレイクし、サラリーマン時代をはるかに超える収入を実現するのです。

ここで得た人生哲学とは、とにかく「信念」を燃やすこと。

そしてピンチに際した場合、考えられる最悪の事態を想定する。

すると、意外と「信念」を曲げてでも避けねばらないペナルティでもなかったりする。

だったらその「信念」をつき通すしかないじゃん。

そしてその「信念」の先に、もしかしたら「奇跡」が待っているのかもしれないのだから。

ちなみに、100日行はもちろん満行。

最後の100日目は滝場のお堂にこもって24時間の「四無行」を経験します。

「四無行」とはつまり、食べない、飲まない、眠らない、横にならないの4つのこと。

それを24時間やるのです。

本当の行者はこれは10日間続けます。

医学的にはほとんど「死」と等しいと言われますが、私の場合はそれを24時間だけ経験します。

その24時間の間に7回の滝行、それ以外はお堂で観音経をひらすら唱えます。

それを経て晴れて満行。

ちなみに満行後、初のHは、、、気持ち良いを通り越して、尿道が焼けるように熱かったです。

失礼しました。


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