- 千日回峰行、四無行、八千枚大護摩供など幾多の苦行を満行し、若くして大阿闍梨となった塩沼亮潤師と禅宗の板橋興宗師による対談集。
テーマは塩沼師の「行」について、板橋師が問いかけるというもの。
塩沼師は東北の仙台に生まれ育ち、高校卒業後、奈良県吉野の金峯山寺にて出家得度し、しばし後に吉野山にて百日回峰行に始まり、千日回峰行に挑戦する。
千日回峰行と言えば比叡山延暦寺が有名であるが、難易度で言えば吉野の方がはるかに厳しいとのこと。
本書では、その千日回峰行、及び、その後の四無行、八千枚大護摩供の様子が語られる。
まず「千日回峰行」とは毎日48キロの道のりを年間120日歩き、それを9年間の合計千日続ける行のこと。
言葉にすれば簡単だが、その実は想像を絶する、まさしく生死を賭けた修行となる。
食事は米と水ばかりで、途中で栄養失調になり、身体全体に不調を訴えながらも、それでもなお歩き続ける。
クマやマムシの恐怖とも闘いながら、すべては仏様の御心にお任せして。
そこで生まれいずる心とは。
感謝に他ならない。
以下、非常に心を打たれる記述があるので紹介したい。
「ある日、涙が止まらなくなったことがあったんです。それは大雨のときでした。手に持っているにぎり飯が大雨で手から溶けて落ちていくような寒さのなか、笠をかぶって、風雨にさらされながらしゃがんで、そのにぎり飯をいただいたときがあったんです。そのときに、自分はなんて幸せなんだろうと思いました。
自分には三度三度食べる食事が目の前に在る。帰ったらふとんもある、お風呂もある。でも、いまこういう時に、三度三度のご飯も食べられずに亡くなっている人が地球上にたくさんいる。
そのことを考えると、自分はなんて幸せなんだろう、なんて幸せな仕事をさせていただいているんだろうと思って、泣けてきました。自分の心で心を磨く、そういう尊い行いをさせていただいて、さらにご飯を食べさせていただける。そう思って涙が止まらなくなったのです。」
また、行中は不思議な体験も少なくないそうだ。
暗闇の中で何者かに足をつかまれたように感じたと思えば30センチ先は崖っぷち、行く手を阻む餓鬼、仏様の姿、天女、古戦場にて鎧甲冑からつかまれる。
極限状態の異常心理と言えばそれまでだが、まさしく極限を経験することで、感覚が研ぎ澄まされ、時には目に見えるものと接することもあるのだろう。
実際、感覚が鋭敏になり、天気の予測も外れることはないらしい。
千日回峰行を満行の後もまだ行は続く。
四無行と呼ばれる行で、断食、断水、不眠、不臥を9日間続ける。
医学的に見れば、これは自殺に等しいと言う。
その後は八千枚大護摩供に挑戦するのだが、烈火の真ん前で延々と護摩を焚くわけであるため、それに慣れた身体を作る必要がある。
そのためには100日間の五穀・塩断ちをする必要がある。
実際そのようにすると、熱を感じない身体になるのだと言う。
まさしく経験者にしかわからない話である。
塩沼師は現在、仙台の慈眼寺にて住職として活動されているが、一体なぜにあのような「行」を行ったのであろうか。
おそらく最初から決まっていたのかもしれないが、普通の人間にはまさしく想像を絶する体験である。
そして「行」を通して何を感じたか、何を悟ったか、何を残していくのか、そこが重要である。
感謝の心、利他の心、無心の境地、、、言葉にすればあまりに陳腐である。
しかし言葉を超えた何かが一人の青年の実体験によって伝わるものもある。
常人がそれを体験することは難しいが、少なくとも、そのような体験をした人間が平成の現在にも存在し、淡々とそれを語る。
そこに何の価値を見出すかは、人それぞれであろう。
対談の流れ自体は軽やかながら、世にも厳しい「行」を満行したもののルポルタージュとして本書は実はあまりにも重い。
しかし読了後はハラハラドキドキしながらも、塩沼師の経験の万分の一でも追体験した気にはなり、幾ばくかの心境の変化を体験することができた。
挫けそうになったとき、不満の心に満たされそうになったとき、また、平常な心境においても、何かにつけて読み返したくなる一冊である。