■魔女狩りからの生還(前半)

こんにちは、石田久二です。
スピリチュアル好きな人と話をしていると、しばしば「私の前世は中世の魔女狩りで殺された」と言う人います。なぜか前世話で「魔女狩り」は人気ワードのようで、霊能者っぽい人からそう言われて、まんざら悪い気はしてないようです。
その気持ちの中には「私は中世から犠牲になっている」との被害者意識と、「私は魔女としてのサイキックな力を持っている」との自意識が読み取れるのですが、史実的には魔女狩りで犠牲になった人は、必ずしもそのような能力がある人ばかりと限りません。むしろ少数派。
魔女狩りの背景としては、カトリックの保守派がいわゆる「異端派」を弾圧する流れがあり、とにかく疑わしきはすべて処刑、なる極端な状況があったのです。有名なのがセーレムの魔女裁判。いったん魔女の疑いがかけられるとそれで終わり。
水槽に沈めて、それでも生きていたら魔女認定で処刑。死んでしまったら魔女の疑いは晴れますが、どちらにしても殺されることには変わりありません。これを心理学ではでは「ダブルバインド」と言います。つまり「どっちにしてもダメ」って状況。
元々は統合失調症の研究をしていたグレゴリー・ベイトソンの用語だったのが、今ではコミュニケーション全般からセールスにまで応用されています(ちなみにダブルバインドと言えばベイトソンと並んで、ミルトン・エリクソンの概念が有名ですが、コミュニケーション全般に応用されているのは、エリクソンの方です)。
この「どっちにしてもダメ」の「ダブルバインド」は日常でもしばしば見られます。例えば、「怒らないから正直に言いなさい!」と怒りながら子どもに言うお母さん(お父さん)など。子どもはどちらにしても怒られます。
また、経営者にとっても非常に身近な状況。例えば経営改善のために人件費を削減するようメインバンクから強く言われました。そこで真っ先に思い付いたのは仕事のできないAさん。しかし「社員の生活を守る」は社是でもあり、設立当初からの骨となる理念。
Aさんを解雇すればその理念が破られるが、もししなかったら会社自体が危うくなる。どちらにしてもAさんの生活は守られない。つまり「経営」と「理念」の板挟みになり、「どっちにしてもダメ」って状況に悩まされるのです。
まさに経営上のダブルバインドであり、実のところ、問題ってのは突き詰めるとすべて「ダブルバインド」にぶち当たります。
そして多かれ少なかれ、経営者のほとんどはこのダブルバインドを経験しているし、そしてそれを「超越」してきたからこそ会社が残っている事実があります。
では、どうすれば「ダブルバインドの超越」が可能になるんでしょうか。後半に続きます。


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