天職の三段活用

「仕事」には、いわゆる「やらなければならない仕事」と「やりたい仕事」があるように思います。多くの人は「やらなければならない仕事」から「やりたい仕事」にシフトして、それで十分な収入を得たいと考えるのですが、現実は必ずしもそうではありません。


やはり多くの人が「やらなければならない仕事」に甘んじています。確か中谷彰宏さんの本だったと思うのですが、この世の悲劇の一つに「やりたくない仕事で金を稼げてしまうこと」があると言われてました。同感です。やりたくない仕事で稼げなければ辞めればいいだけの話ですが、なまじ稼げてしまうがゆえに、その仕事に支配されてしまう。


ですので、どうにかして「やりたい仕事」で稼げるようにシフトしたいと思うのですが、そのためには今の仕事を勇気を出して辞めるか、または今の仕事そのものを「やりたい仕事」へとしてしまうかが必要。もしくは仕事は仕事と割り切って、仕事以外に人生の充実を求める。それもまたありだと思います。


ただ、「やりたい仕事」で稼ぐことが最上かと言うと、必ずしもそうでないと感じることがあります。確かに「やらなければならない仕事」(やりたくない仕事)」よりは上位かもしれませんが、「やりたい仕事」よりももっと尊い仕事があると思うのです。


それが、

「自分にしかできない仕事」

です。そしてその「自分にしかできない仕事」にこそ「天職」があると考えるのです。精神世界系ではとかく「ワクワク」が信奉され、そうでないことを精神性の低い営みだとみなされることがあります。


しかし単に「ワクワク」を錦の御旗として、それ以外を切り捨てる行為は、私は「無責任」だと思うのです。先日お亡くなりになられた長門裕之という俳優がいます。彼の奥さんは女優の南田洋子。


長門裕之という俳優は、若い頃から、とにかく女癖が悪くて、奥さんの南田洋子とはほとんど仮面夫婦だったと言われています。それこそ長門裕之は好き勝手。これを「ワクワク」するからと言えばそうかもしれません。


ところがご存知のように、南田洋子は晩年、重度の認知症となり、夫である長門の介護なくして生活できなくなりました。晩年はそれまでの女癖はどこに行ったのか、最後の4年間はまさに「生きがい」のごとく介護に集中しました。南田の死後、このように言っています。

「4年間、僕が介護することで、僕の人生をよみがえらせてくれて、人生観を変えてくれました」


この言葉にウソはないと思います。そしてその4年間こそに、長門の「天職(天命)」があったのではと思うのです。つまり、南田洋子の介護は他でもない長門裕之にしかできない仕事だったのです。


「天職」とは、稼げる、認められる、カッコイイなどの価値観を超え、さらに「ワクワク」をも超えたオンリーワンの仕事のこと。それが「自分にしかできない仕事」であり、何であれそのような仕事に出会うことが、今生における最重要事項だと思うのです。


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天職の三段活用 への2件のフィードバック

  1. HOKA-O のコメント:

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    なるほどぉ~と膝を打ちました。
    子育てであろうが普段の仕事であろうが
    「自分にしか出来ない」という思いで
    やるとより良くなるように感じました。
    ちょっとズレてますが。。(。-人-。)

  2. 石田久二 のコメント:

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    >HOKA-Oさん
    ええ、その通りだと思いますよ!

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