「夢をかなえる洗脳力」苫米地英人著

 筆者の苫米地氏はオウム真理教の脱洗脳で広く名が知られているが、彼自身がエリクソン催眠に造詣が深いこともあり、その点でも個人的関心は強い。「夢をかなえる洗脳力」というタイトルはラディカルな響きがあり、帯には「本書の悪用を禁じます」と書かれてある。それで思わず手に取った読者も少なくないであろう。

 前半は世にある「成功本」に対するアンチテーゼのような論調で始められる。かいつまんで言うと、一般的な「成功本」では「競争に勝つ=成功」という図式の上で人を「洗脳」に追い込み、主体性を失った「奴隷」のように仕立て上げるツールだという論調である。アメリカ輸入の成功プログラムはそもそも軍隊での教育に親和性があり、それをそのまま企業のプログラムにしているなどと主張されている。

そもそも、多くの人が語る「夢」とは、お金持ちになりたいとか、いい家に住みたいとか、いい車に乗りたいとか、非常に利己的な欲望に基づいているため、それを以ってして本当に「夢」と言っていいのか、と苫米地氏は語りかける。道徳論っぽくも感じるが、決してそうではなく、実はそのような「夢」は「夢」と言うにはあまりにも簡単でレベルが低過ぎると言うのも彼の主張である。

 仮にフェラーリのオーナーになるのが「夢」であるならば、その気になれば2千万円程度はサラリーマンでも用意できるわけだ。それができないのであれば、その気になってない証拠であり、本来「夢」でも何でもないのかもしれない。そもそも金で解決できるものを「夢」と言っていいのか、とも主張する。この論調は痛快である。そもそも「お金」とはその気になればいくらでも稼ぐことが可能である。実際、お金を稼ぐための手段は世の中にたくさん存在している。それこそ知恵と努力さえあればいくらでもお金は稼げるのであろう。

 しかしながらマーフィーを始めとする「成功法則」には、そういう「知恵」や「努力」がなくても「成功」できるような論調が多くを占め、「成功本=楽して儲けるノウハウ」のような風潮は感じられる。もちろん、マーフィーは決してそうは言ってないのであろうが。

 しかし実際は「知恵」も「努力」もなくして本当に成功している人は皆無であることは誰もが知ってること。しかし悲しいかな、何かウルトラCを期待してしまうことも事実。逆に言うと「知恵」と「努力」だけで叶えられる夢など、確かに小さなものなのかもしれない。それでもやはり、「知恵」や「努力」さえも出したがらない人は少なくない。挙句の果て「努力」ってのは「奴隷の力だよ」なんて否定し、楽してことを成すことを美化しようとさえする。私に言わせると、「努力ってのは女の又の力でしょ。それこそ生命の源じゃないですか!」ということになる。

 話がそれたが、そのように、前半は世にある「成功法則」へのアンチテーゼとして、そして後半で、そういう煩悩的な欲望を超越した「夢」を持てという話になる。ちなみに苫米地氏の夢は「世界から戦争と差別がなくなること」だそうであり、確かにそれが実現できれば、世界中のすべての人が悩みから解放されるであろう。抽象的過ぎる議論かもしれないが、苫米地氏は抽象化する思考こそが夢実現のプロセスだと主張する。ただ、そういうスケールの大きな話だけではついていけない読者もいるので、その辺にも配慮して煩悩的な欲望を満たす方法論も述べている。そして、その後にもっとスケールの大きな夢を叶える方法も紹介される。

 一言でこの本の主旨を述べると、「抽象化の思考の大切さ」であると考えていい。結果の出ない成功法則に飽きている人には一読を促したい。

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