「99.9%は仮説」竹内薫著

 とても面白かった。通常、「科学」とは曖昧なものを排除しながら、客観性や再現性を限りなく追及するものであった。

 しかし本書では、そもそも科学の基本とは、逆説的ながら、世の中が「仮説」で成り立っていることを認めるところにあると主張する。

 だが、この主張は確かに「科学」的なのである。

 本書でも例示されている通り、飛行機が飛ぶ原理は実はまだ解明されておらず、実のところ「こうすれば飛ぶだろうし、今まで飛んできた」という推測や経験則からこれまで飛ばしてきたのである。

 つまり今まで100回飛ばして100回成功してきたのだから、101回目も成功するであろうという「仮説」のもので今日も明日も飛行機を飛ばしているのである。

 しかし、その101回目が確実に成功するという保証はない。そしてその保証のなさこそが「科学」であるとする(ポパーの「反証可能性」)。

 科学には「絶対」という言葉は存在しないのである。

 
 一方で、数学(も科学ですが、ここでは区別します)や宗教とは「絶対」という言葉の上で成り立つものである。

 数学は概念であるため、一つの定式ができ、それが一回でも証明されれば、二回目も絶対に証明される。そして宗教に関しても絶対的な存在(神)を前提として初めて成立するものである。

 従って、「科学」とは自らを「仮説」と認めるところからスタートし、いつもで反証される可能性があることをまた認めるところにある以上、我々が思っている以上に素直で謙虚な領域なのである。

 本書の言葉を借りると、科学だけが「言い訳」をしないのである。

 もしも異なる意見や反証が出てきた場合は、まずはそれを素直に認め、その上で反証に対する反証を重ねるなど、永遠に漸近線上にあることを認めながらも、とことんまで突き詰める姿勢がある。

 しかし宗教や似非科学にはそれがない。例えば似非科学の代表例として「水にありがとうと声をかけるときれいな結晶ができる」という説があり、それを扱った書物は世界的なベストセラーとなっている。

 もしもそれが「科学」であれば、科学のルールに則った上で、何度も同じ結晶ができることを証明するであろうが、残念ながらその説にはそれがない。

 仮に誰かが同じような実験をして、きれいな結晶ができなかったとしても、それは実験者の思いが水に反映されたからであり、実際、量子力学においても、、、などとおかしな「言い訳」をするであろう。

 宗教にしても似非科学にしても、「仮説」と言うより、常に絶対的な「結論」が前提となっているのである。

 本書はいわゆる「科学入門書」であるが、数式なども一切なく、おそらくは「科学」的な思考に慣れていない読者層を対象に書かれていると思われる。

 もしも何か信じたいことがあったとしても、安易に「科学は絶対ではない」とか「現代科学がすべてを解明したわけではない」などのプロパガンダを持ち出す前に、その「科学」とはいったいいかなるものか、それをまずは知るべきである。

 その点において、本書はいわゆる「科学」とは何かについて、平易な言葉で、そして極めて正しい論理で書かれているため、柔軟な思考能力を身につけるためにも一読をお勧めする。

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)/竹内 薫
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