「もしも月がなかったら」ニール・カミンズ著

 内容的には直接関係ないのだが、以前に紹介したことがある木内鶴彦氏の「生き方は星空が教えてくれる」に引きずられて本書を手に取ってみた。

 木内鶴彦氏は彗星探索家として著名であるが、彼の名を一般にまで知らしめたのが、臨死体験中に見た世界の記述であろう。

 正直、その手記を「真実」だと鵜呑みにして読むことはないにせよ、ところどころ科学的な記述もあったため、それなりに興味深く読んできた。

 実際、環境問題や新技術への取り組みなどが評価され、講演活動も精力的に行っていることもあり、木内氏を信奉する人も少なくない。

 しかし、その中で月誕生の年代が1万5千年前であるという記述にどうも引っ掛かった。そして当時はすでに人類が誕生し、文化的な生活を営んでいたという。

 月はそもそも巨大彗星であったが、太陽に近づいた時、太陽熱によってガス化した水分が地球に降り注ぎ、その核の部分が地球の軌道に乗り月となったとする。

 そして降り注いだ水分が、地球に洪水をもたらし、今のような海になったと言う。

 話としては面白いが、どうも眉唾だ。

 そもそもその根拠が「臨死体験での自分の記憶を頼りに」であり、それが果してどこまでの信ぴょう性を持つなのか。

 木内氏の話によると、月の誕生は比較的最近であり、それ以前にも人類は文化的生活を営んでいたという言う。

 つまり月がない時代に人類は今のように生活していたのである。

 

 そこでたまたま図書館で見つけたのが本書である。

 そもそも今の科学的定説によると、地球の誕生が46億年前に形成されて間もなく、火星とほぼ同じ大きさの微惑星が地球と衝突して、その破片が地球の軌道に乗って衛星となったのが月であるとする。

 では、その月がなかったと仮定するとどうなるか。それを科学的に推論したのが本書の第一章である。

 結論から言うと、もしも月がなかったならば、

・潮汐力の減退により自転速度がずっと速く、一日が8時間となる


・強風が絶えず荒れ狂っている


・風の音で耳が使い物にならない(別の感覚器官が発達する)


・高い山は存在しない


・生命の進化も遅い


・生命が今の形で存在するのに決して適した環境ではない

となり、今、我々が生きていけるのも、数十億年前に生じた微惑星との衝突、それも微妙な角度による、単なる偶然の産物か、それとも創生主の意思かで作られた「月」のおかげなのである。

 このような科学者による緻密な推論結果と、一個人による臨死体験中の記憶と、どちらが信じるに値するかは言うまでもないであろう。

 木内氏の発言のすべてが誤りだと言うつもりは毛頭ないが、少なくとも科学的に矛盾が生じる発言に対しては、もっと慎重な態度を取るべきであろう。

 そしてそれを妄信する信奉者ももっと冷静な考えをもってもらいたい。科学的・常識的な定説が実は誤りで、超科学的・反常識的な説こそが実は正しいとするある種の人たちにありがちな思考様式には、大いに疑問を呈したい。

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