- 願望実現や成功法則に多くの著書を持ちながら、同時に社会変動論やパラダイム論など「社会の見方」にも深い洞察を示す神田昌典氏の監訳ということで手に取ってみた。
ローレンス・トーブという日本に居を構えていた在野の研究者による一冊。世界の成り立ち、社会の変動、未来の展望に関する新しい側面を提示している。
かつてをそれを資本家と労働者との階級闘争に依拠したのはカール・マルクスであったし、宗教による精神的原動力に置いたのはマックス・ヴェーバーであったが、本書は「3つの原理」という邦題が示すとおり「セックス・年齢・社会階層(カースト)」という切り口から世界を説明する。
その3つを個別に論じることは大よそ可能であろうが、本書の特徴はその3つを「関連付けながら」説明したところに新しさがある。
神田氏の序文には興味をそそられる。
・なぜ男性はピアスをしたり、化粧をしたりと、女性化しているのか?
・なぜ反日一色だった中国が、突然、親日路線に変わるのか?
・なぜスピリチュアル・ブームは止まるところを知らないのか?
・なぜ少子化にもかかわらず、教育ビジネスは成長し続けるのか?
・なぜ環境問題は、科学的根拠が曖昧という批判が一部にあるにも関わらず、常識化したのか?
・なぜ同性愛や不倫が増えづづけ、普通の家族・結婚観が揺らいでいるのか?
このような日常的な「なぜ」を解くカギが「3つの原理」にあると言う。
まず最初に説明されるのは「社会階層(カースト)」による歴史の生成であるが、踏み台としてマルクスの階級闘争を引き合いに出す。
マルクスの歴史観が洞察しきれなかった部分にこそカースト的な歴史観があると言う。つまりマルクスは資本家と労働者の闘争による弁証法的な社会生成を予見していたのに対し、カーストのいわゆる労働者階級(シュードラ)は単純な労働者だけでなく、財や技術を持つ資本家もが内包されていたという指摘である。
これは労使協調という戦後の価値観を見ても納得できる。そこで歴史を遡り、カースト的な階層史観を俯瞰する。つまり、
・精神・宗教の時代1(バラモン):Bc300万年~BC4000/2000
・戦士の時代(クシャトリア):BC4000/2000~17世紀初頭
・商人の時代(バイシア):1650年頃~1975年頃
・労働者の時代(シュードラ):1917年~2030年
・精神・宗教の時代2(バラモン):1979年~超人類
となる。
第一の時代は動物と人間とがまだ未分化であり、いわば本能や神と同化した時代と言える。
ところが王侯や貴族の出現により力の強いものが支配する第二の時代が訪れる。
それを覆したのは産業革命であり、資本を持つ者が力を持つ第三の時代となる。
その後、ロシア革命を得ていわゆるイデオロギーの時代が到来するが、共産主義国においては無階級社会、資本主義国においては労使協調といった、マルクス的には皮肉にも資本家と労働者が不可分な社会が到来し、それが第四の労働者の時代を形成する。
しかしその後、イデオロギー対立が解消され、新たに出現したのが宗教間の闘争である。
それは1979年のイラン革命に端を発するが、ハンチントンの「文明の衝突」理論や原理主義宗教の台頭を見ても分かる通り、宗教を軸とした新しい時代に入っている。それが今日である。
本書では第一の時代と今日第五の時代を区別する際、動物と未分化な状態ではなく、人類を超越した「超人類」という未来を予見する。
しかしそれを説明するには、二つ目の原理、つまり「セックス」による歴史観を眺望する必要がある。
この原理はさらにシンプルであり、歴史的には「女性優位」から「男性優位」へと変遷を押えておく。
有史以前は人類は自然と完全に調和した存在であり、月に満ち欠けとも関連しながら生きていた。
つまり人類はすべて「女性(的)」であったのが、人間と自然との分離、つまり人間が自然を対象化(切り離した)時点から「男性優位」の社会が始まる。
ここでは自然を支配し、無機物として扱うに至るわけだが、その際、男性のいわゆる「女性性」が希薄となり、「家父長」に代表される、男女の支配関係が生まれることになった。これは「歴史」の始まりから近現代に至るまで続く。
しかし現代は「男性優位」を超えるパラダイム、本書では「女性優位」と「男性優位」の弁証法的生成として「両性の時代」を掲げるに至る。その趨勢は例えばフェミニズム論の展開やホモセクシャルの認知拡大、女性化する男性、男性化する女性などの今日的状況から読み取ることは可能だ。そこにある意味「超人類」の条件があるのかもしれない。
と同時に、性を軸とした社会の生成論については、地理的な要因も関わってくる。
有史以前の「女性優位」の時代は「陰」、つまり東洋的な価値観が支配的だったのに対し、「男性優位」の時代は「陽」、つまり西洋的な価値観が支配する世の中へと変化していった。
そこで「両性の時代」においては、カーストの「精神・宗教の時代2」と結びついて、陰陽、東西という概念が相対化し、いくつかの「宗教ブロック」ができると言うのが本書の予想である。
さらに三つ目の原理である「年齢」については、さらにシンプルであり、歴史のビッグピクチャを人間の一生になぞらえて説明することは、本書の専売特許ではない。
霊長類から枝分かれしたばかりの「誕生記」、精神的発達と自己認識が芽生える「幼児期」、母なる大地に身を委ねる「母親期」、教祖的人物(ブッダやイエス)の登場により大地から父親的な象徴に従属する「父親期」を経て、親離れ(大地や教祖)し啓蒙が進む「思春期」の段階となる。
現代は国によっても異なるが、平均的には19歳と見ることができるようだ。この時期は人間にとっても非常に危うい時代である。自己の確立を求める中で、親や教師に反抗し、破壊的な行為を取ることもある。
これはまさしく核兵器、戦争、環境破壊などにスライドすることができ、その意味でも人類は「成人期」に向かう一歩前と考えることができる。
このように本書では「社会階層(カースト)」、「性(セックス)」、「年齢(エイジ)」、そしてその3つの相互関係を軸に人類誕生から今日に至るまでのビックピクチャを描いているが、これで終わっては片手落ちであろう(←差別語だが)。
やはりこの「3つの原理」を軸にした「未来予想」に興味が注がれる。
詳しくは本書に譲りたいが、一言でいえば「社会・人類の精神化」であろう。
経済・政治システムの「精神化」が進む中で、「自発的簡素(真の自己確立)」、「適正技術(過度な工業化の抑制)」、「経済的平等(貧困と格差の解消)」、「仕事の削減(いわゆるワークシェアリング)」が実現されるとする。
また、精神の時代の到来によって、アフリカや先住民が世界のトップランナーになるなど、大胆かつ斬新な予想を提示する。
結論的にはユートピア色が強い未来予想となるが、確かに今日はトーブ氏の言う「社会階層」「性」「年齢」の3原理において、一つの「転換点」であるとは思われる。
冒頭の神田氏の「なぜ?」への答えが、まさしくここにある。ややもすると混沌たる社会の転換点において、今後必要となる将来予想をする上で、本書は思考の幅を拡げてくれるものであることは間違いない。