■植物と一体となる呼吸法

こんにちは、石田久二です。


先ほど本を読んでいたら、その中に「瞑想することは植物に近づくこと」なる項目がありました。瞑想により深いところまで入っていくと、そこにはあらゆる「境目」がなくなり、すべては一つ、すべては宇宙だと体感することがあります。


それはもちろん人間同士でもそうだし、あらゆる動物とも一体であることを実感するのです。それをさらに進むとまさに「植物」との境目もなくなり、その本の通り、瞑想も進むと植物のようになるわけです。例が適切じゃないことを承知で言うと、脳死によりいわゆる「植物状態」にある人にとっては、この世は間違いなく「一つ」なのでしょう。実際、脳科学者のジル・ボルト・テイラー女史は脳卒中により左脳が損傷し、言語機能が低下していきました。しかし、その代わりにこの世界が「一つ」であることを確認したと言います。


実際、私たちは日常、よくもこれだけのおしゃべりをしているものだと感心します。起きている間はまず間違いなく、頭の中で何かをしゃべっています。その8割がネガティブなおしゃべりだったりするのですが、瞑想体験も深まると、このおしゃべりがどんどん静かになり、テイラー女史のごとく、この世の本当の姿を見ることになるでしょう。


では、おしゃべりを止めるにはどうすればいいのか。それこそが仏教であれ、キリスト教であれ、イスラム教であれ、あらゆる宗教体験の境地と言えるのですが、禅ではその練習として「数息観」を教えます。それは単に呼吸を数えながら瞑想するだけ。また、密教では梵字を目の前に貼り、それをただ見つめるだけの瞑想法もあります。また、いわゆる伝統宗教に限らない瞑想体験としては、特殊なマントラ(呪文)を唱えながら瞑想する場合もあります。


いずれにせよ、左脳のおしゃべりを止めるには、何かに集中することが最も効果的です。その集中する対象がマントラだったり梵字だったりするのですが、私は2年前、滝行中に突然メッセージを授かりました。それは「植物」と一体となる呼吸法だったのです。


動物と植物は一般的に呼吸が逆です。動物は酸素を吸い、二酸化炭素を吐きますが、ほとんどの植物は酸素を吐き、二酸化炭素を吸っています(まれに反対の植物もあるそうですが)。と言うことは、私たちが吐いた息を植物が吸い、植物が吐いた息を私たちが吸っていることになります。


そのことを意識した上で静かに目を瞑り「あいしてる」とささやきながら息を吐きます。ちなみに「数息観」においてもスタートは吐くことから。まずは出す、与えるが基本です。そして次に「ありがとう」とささやきながら息を吸います。「あいしてる」で息を与え、「ありがとう」で息を頂く。この繰り返し。「あいしてる」と「ありがとう」をただ呼吸に合わせて唱えるだけ。すると、突然、植物との一体感を感じ、至福の境地におかれます。


なるほど、やはりこの世は「一つ」なんだと実感するのです。私は瞑想においてこの呼吸法を取り入れ、しばし大自然との一体感に恍惚となる瞬間をよく楽しんでいます。


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