- オウム真理教の脱洗脳で有名な苫米地英人氏が「スピリチュアル」について語る。苫米地氏は直近では脳科学アプローチによる「能力開発」に関する著書を中心に出してきたが、本書はそれらとはやや異色で、氏の名を著名にした「洗脳」への色合いが強い。そして同時に、いわゆるマスコミ批判か。現在、空前のブームと言われる「スピリチュアル」を斬る。
「現在、日本は空前のスピリチュアル・ブームで、代表的人物は江原啓之氏です」、といきなりの名指しにてスタート。現在、江原氏を批判する雑誌記事が出始めているが、その大半は本質を理解した上での批判とは思えない、と前置きをしながら、苫米地氏の本質を突いたスピリチュアル論への期待が高まる。そして江原氏に対する本書の立場はこれ以上にない程の、けちょんけちょん、である。
一言で言うと、江原啓之とは「催眠にかかりやすい自分探し君」と、それが江原氏の本質であると語る。江原氏はもともと20人もの霊能者を渡り歩いて人生の意味を解明しようとしたらしいが、それ自体がすでに単なる「自分探し」であり、最終的に傾倒した英国スピリチュアリスト協会では、9回の渡英で実際の交霊を見ることになり、そこで一つの目覚めに達したと書かれる。そもそも普通は目に見えないものが見えるということ自体、単に変性意識(トランス)に入りやすいことの証であり、そういった点で、江原氏のことを「催眠にかかりやすい自分探し君」と結論付ける。
江原氏が拠り所としているものの一つに「シルバーバーチの霊訓」があるが、そこでは、アプリオリに「永遠の魂(アートマン)」なる存在があり、その「魂をレベルアップ」していくことが人間の使命であると説かれる。苫米地氏はこの教義自体、バラモンやヒンズーなどの原始宗教と同じであることを看破し、江原氏の説く「スピリチュアル」もつまりは原始宗教の単なる焼き直しであると指摘する。
しかし江原氏の学びのレベルは原始宗教の巨大な体系から見るとまだまだ入門編の域を出ておらず、それがある意味、幸いであるとする。現在の浅薄な学びのレベルでは芸能人相手に御託を説く程度で済んでいるが、この先、より学びを深めることで、最終的には「オウム真理教」の境地に行きつくであろうと予測する。
そもそも「オウム真理教」の教義そのものはチベット密教原理主義のそれと同じであり、チベット密教はバラモンやヒンズーなど原始宗教の復活であると言う。そして、原始宗教及びチベット密教はシルバーバーチと同様、アプリオリな「永遠なる魂(アートマン)」と「輪廻転生(生まれ変わり)」を協議の根本とする。
言うまでもなく世界三大宗教である仏教(釈迦)は「アートマン(空・無ではなく実体としての)」を批判することから始まり、キリスト教及びイスラム教は「輪廻転生」を批判している。それ自体が正しいか否かを論証する術はないが、世界三大宗教が批判するには、それなりの理由があるからと見るのが妥当であろう。
従って、現在(日本)の「スピリチュアル」とは、世界三大宗教が批判するところの原始宗教及びシルバーバーチと同一視してもよく、それが発展した形が「オウム真理教」であると指摘する。その論拠を少し詳しく説明すると、まず「アートマン」と「輪廻転生」が結びつくと、そこには「絶対差別」なるものが生じることになる。魂は生まれ変わることによって磨かれ進化する。その進化の過程こそが、人間そして魂の存在意義であるとする。となると、まだ磨かれていない魂はそれだけ低いレベルであり、人間としてのレベルも低いとみなされる。
そこにカースト制度が正当化されるそもそもの根拠があり、現世において一生懸命努力をすれば(魂を磨けば)、来世には上のカーストに生まれ変わることもできる。となると、「オウム真理教」の「ポア(殺人)」の背景には、まさしく殺してあげることが、その人の魂を上昇させる最良の手段であり、ここにオウムの犯した大量無差別殺人という犯罪が成立する。
このように現在の「スピリチュアル(江原氏の説く)」には、その根底に「絶対差別」があり、それは「魂のレベル」という言葉によって言い換えられているに過ぎない。
苫米地氏が指摘するように、江原氏がまだ入門編の今ならば社会的な害悪は少ないが、この先、学びを深め、そしてテレビに出続けるに従って、麻原と同じことを言い出すかも知れない、というのは極論に聞こえるかもしれないが、マスコミと視聴者を取り巻く現在のムーブメント全体を俯瞰すると、無視できるものではないと感じる。
また、昨今、スピリチュアルの分野でしばしば「アセンション」という言葉が聞かれる。アセンションとはここでは「魂の昇華」のことを言い、2012年を境に、アセンションで生き残れる者とそうでない者とに分けられると言われている。これを「絶対差別」と言わずしてなんと言うのだろうか。さらに言えば、いわゆるスピリチュアル教を信じる者は救われるし、そうでない者は滅びるともされる。これを「危険思想」と言わずしてなんと言うのだろうか。
本書が発売された2007年8月当時は、まだまだ江原氏の番組は堂々と表を向いていたが、2008年2月現在、江原氏の能力への疑問や番組自体の社会的悪影響が表面化しつつあり、そろそろ本格的な放送規制が敷かれようとしている。
元はと言えば、この種の番組は公共の電波で流すべきものではなく、放送倫理規程にも明らかに反している。スピリチュアル・ブームが巻き起こる以前は、オウムによる一連の犯罪問題によって、少しでもそれの援護に繋がるような、いわゆるオカルト番組は自主規制されていた。
しかしながら、オウム問題もほとぼりが覚め、元々「数字になる」とされるこの種の話は、江原啓之という人の良さそうなおじさんと、スピリチュアルという耳障りのいい言葉に取って代わられ登場したというのが、現在のスピリチュアル・ブームの背景であり本質である。
本書では江原啓之だけでなく、中沢新一やその他のオカルト、似非科学に対しても鋭く矛先が向けられているが、それらとマスコミが手を組むことによる社会的害悪への警鐘として、大きな意義はあると考えられる。確かに苫米地氏の語り口には、時には論理性を欠き、それが事実なのか推測なのかわからないような記述も散見されるが、もともと「洗脳」を専門とし、オウム事件の際に一定の役割を果たしたという事実からも、本書には看過できない説得性があると思われる。
最後に蛇足であるが、江原氏のカウンセリング(霊視)のやり方は、現在催眠療法の創始者であり「天才」と名高いミルトン・エリクソンの亜流に過ぎないという記述は非常に興味深いと感じた。なぜなら江原氏が影響を受けたイギリスのスピリチュアリストはミルトン・エリクソンの自然主義催眠に強い影響を受けており、江原氏はそれを無意識的にも用いているだけなのだとする。だからこそ霊視されているタレントさんは彼の前で泣きだしたり、尋常でない反応をしたりする。確かにこれは典型的な催眠状態であると見ることができる。非常に興味深い指摘である。
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