■「障害のある人には優しくしよう」

コピペより。

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607 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2011/06/22(水) 12:19:04.60 ID:dgtnE454
小学生の頃の授業参観が
「福祉社会について書いた作文を読む」
(もっと簡単な言い方だったと思うが、趣旨は同じ)という内容だった。
担任は「障害のある人には優しくしよう」みたいな作文を期待してたんだと思うが、
私達はクラスメイト全員で事前に示し合わせて
「クラスのAちゃんは、先生にひいきされるのを嫌がっています。
先生は『障害のある人には優しくしろ』と言うけど、先生はAちゃんが嫌な事をしていいんでしょうか」
「Aちゃんは本が好きで休み時間も本を読みたいのに、
一人で本を読んでいると、仲間外れだと思われて
僕達が先生に怒られるので、学校で本が読めなくて困るそうです」
こんな感じの作文を書いて、途中で担任がヒス起こしても保護者がざわついても勝手に次々と読み上げた。
最終的にAちゃん本人が
「私は耳が不自由だけど、友達も沢山いて学校も楽しいので全然困りません。
それなのに、先生が私だけ特別扱いしてきます。
先生がいると、私は普通じゃないんだと思ってしまって悲しいです」
と読み上げたあたりで、担任が泣きながら教室から逃亡して授業が中断した。
Aちゃんは学期途中で親の仕事の都合で転入してきた子で、先天性の軽い難聴。
補聴器を付ければ支障は無いし、少し内気だけど頭が良くていい子なので誰も仲間外れになんかしてなかったのだが、
「障害者に優しい自分が大好き」な思想の担任が間違った方向に一人で突っ走っており、
小学生ながらに気持ち悪かったし、Aちゃんも皆もわりと本気で迷惑していた。
直談判しても、一方的に私達が悪者扱いされて一蹴された為の計画だった。
担任は辞めたのか知らんが、それ以降学校に来なかった。
AちゃんとAちゃん親には、校長から謝罪があったらしい。
Aちゃん親は後に学校に来て
「あなた達みたいな子達がAの友達で嬉しい」
と私達を褒めてくれ、気恥ずかしさで皆ニヤニヤしてた。
まだ「逆差別」って言葉が無かった頃の、クラス全員の武勇伝。
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これ読んでいろいろ思い出すことがありました。私も小学生の頃、同じクラスに身体障害者がいました(この時点で「障害」じゃなくて「障がい」または「障碍」って書け、などのツッコミはなしね)。生まれつき足が育たない障害で車いすと杖での生活。軽い脳の障害もあったようです。U君とします。

私はなぜか彼とは6年間同じクラス。高学年時のクラブも一緒(リコーダークラブ)。その間、担任の先生も変わっていったけど、今でも思い出すのが5年の時のM先生。女性。当時はたぶん20代後半。今のオレよりずっと下やん。

そしてもう一人思い出すのが4年と6年の時のS先生。おじさん。後に校長になる。そのS先生はそれはそれは人格者風で父兄からの信頼も厚かったように思います。話とか面白いし、基本的に優しいので、担任になって喜んでいました。

だけど、時々、それこそ烈火のごとく怒るときがあって、それがU君をいじめた時。もう、問答無用にどなり散らし、殴りたくり。だけど、私は殴られたことがなくて、実は後からわかったのだけど、殴られる人は決まっていました。それは「親の職業」とかなり関係があったのですが、それはさておき。

私もU君にはいろいろちょっかいかけたり、文句言ったりしたこともあります。だけどそれは、、、彼が障害者だからではなく、そもそもおかしなことを言ってたから。普通に考えて変なこともかなり言ってたのです。例えば自分は障害があるのだから、周りは言うことを聞いて当たり前、、、みたいな態度を露骨に取るわけで。今なら私も大人なので、それなりに対応できると思うのですが、当時はそんなこと関係ない。

障害のない人からされて嫌なことは、障害がある人からされても嫌。障害あるなしではなく、普通のクラスメートとして普段から接していたし、だからこそ普通に向き合ってきた。だけど、ちょっとでもU君が泣いたりすると、S先生は問答無用で生徒をどなり散らして中心人物を次々と張り手。だけど、親の職業には配慮して(この辺はかなり特殊な環境なので説明が難しいのですが、いわゆる宗教法人関係でして、教団サイドの子どもには手を出さないことが徹底されていました。あとは同僚の子どもとか)。

ま、S先生の言うことも一理あるので、私たちはある程度、反省して、、、でも同じことを繰り返していました。それが4年の時。5年になると担任がM先生に変わります。ちょっと怖い先生でした。だけどすべての人に平等でした。U君がまたいじめられても、まずはいじめた子たちを叱るのですが、きちんと話を聞いて、その上で「U君だって悪いことしたんじゃん」って認めてくれるのです。

その時、私は忘れもしません。U君が微笑んだのです。これは後からの作り話ではなく、小学生ながらに敏感に感じ取ったこと。U君はいわゆる「絶対弱者」みたいな立場なので、ケンカとかイジメとか完全にタブー。だけど、M先生はU君の悪いところもちゃんと認めて、それを指摘した。その時、U君は微笑んだ。今思うと、U君は「特別扱い」が嫌だったのかもしれない。自分は何やっても許される立場。そんな時別扱いが嫌だったのかもしれません。

そう言えば一度、M先生から本気で怒られたことがありました。いつものように、U君に意地悪をしていたのです。家庭科の調理実習の時間。その時、教科のF先生が私たちを見ていて、目があった瞬間、私だけ意地悪を止めました。でも、そのまんま。

F先生からM先生に報告がいき、私たちはU君をのぞいて全員放課後残されて説教です。確かにあの時の意地悪は陰険だったので、私も悪いことしてる自覚がありました。その時、皆の前でなぜか私ばかり怒るのです。他の意地悪に参加してた人はあまり怒らず、私だけ集中して怒るのです。後から言われたのは、「石田君はわかっててやったのが許せない」ってこと。なんか強く堪えました、あの時は。

雪が降った日がありました。M先生が「雪合戦に行こう」と言ってクラスが盛り上がります。U君も一緒に喜んでいます。だけど、、、U君だけクラスでお留守番。バカな小学生のこと。そんな時、U君が的になるのはわかっています。せっかくの楽しい雪合戦が、一部のバカな小学生のために台無しにされる恐れがある。きっとM先生も「雪合戦しよう」って言った瞬間、「あっちゃ~」と思ったに違いありません。U君への配慮がなかったと。でも、言ってしまった手前、するしかありません。U君を留守番にしたのは担任として仕方ないこと。

とりあえずU君を残して外に出ます。するとM先生は雪合戦をしながら、雪だるまを作り始めたのです。10分ほどして切り上げたのですが、M先生の手には雪だるまがありました。「せんせい、それなに~」って誰かが聞いた時、「U君へのお土産」と一言。その瞬間、バカ小学生の私は、「M先生、本気でええ先生やんけ!」と思いました。

今考えると、S先生は表向きはよかったけど、大人の論理に毒されたクソでしたが、M先生はたぶん、オレ達と一緒に悩んで頑張ってきたんだな~と。私が10歳の時に20代後半だったから、今は50代半ばくらいかな。結婚と共に退職したのだけど、今どうしてるのかな~って時々思い出すことがあります。


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■「障害のある人には優しくしよう」 への2件のフィードバック

  1. kaorin のコメント:

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    そうなんですよね。
    障碍があるからと、何でもかんでも 「(特別視して過度に)過敏になる」 っていうのは、逆に 「疎外」 してるのかもしれませんよね。
    逆の立場だったら、叫びたいかも…。
    「(そこ以外は)みんなと同じだよ~~!!みんなと違うようにされるのは悲しいよ~。」 ってね。
    障碍のあるところだけ、気を配ればいいんだと思います。^^

  2. 石田久二 のコメント:

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    >kaorinさん
    ですね。

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