「一〇〇年前の世界一周 ある青年の撮った日本と世界」ボリス・マルタン著

今から100年前、ドイツの公務員が一年半の休暇を取って出た世界一周の回想録と写真。著者はライターであり、実際に世界一周をしたのが写真を趣味とするドイツ人、ワルデマール・アベグという人物である。

100年前と言うと、戦前も戦前で、ヨーロッパでさえも戦争を繰り返していた時期である。ちょうどフランスとドイツが戦争をしていた時期に重なる。そんな時、2台のカメラを持って、ドイツからアメリカにわたり、西回りで世界一周をした。

行った国はアメリカ、日本、朝鮮、中国、東南アジア、インド、スリランカなど。とにかく写真を眺めているだけでも胸が熱くなる。やっぱり特筆すべきは日本であろう。当のワルデマール氏も日本の虜になったそうだ。

サンフランシスコからハワイを経由して横浜に着くや否や、ガイドと一緒に人力車に乗る。100年前の風景が目の前にある。誰もが「和服」を着こなし、低層の木造建築の建ち並ぶ商店街。看板の横文字も右から左である。

ワルデマール氏が通された宿は当然ながら見事な和室。実はこれは今とさほど変わってない。襖と畳で布団が敷いてある。変わってないことを知るのもまた感動だ。食事は質素なちゃぶ台。三味線に太鼓。おいらん。相撲。富士山。浮世絵の世界がここにある。

ワルデマール氏にとっても、その旅で最高だった国が日本だったと言う。

次に進んだのが朝鮮。滞在が短かったそうだが、日本と比べて見るべきものがなかったとも言う。中国の属国から日本に併合される直前の朝鮮。次に中国に向かったのだが、朝鮮と中国に比べて、当時から日本は相当な先進国であったことが、これらの写真からもうかがえる。

その後は列車で香港に行き、そこから船でシンガポール。インドネシアを簡単に周遊した後、再びシンガポールから北上してインドに向かう。当時は旅客機も飛んでおらず、列車と船が国際線となっていたが、アジアの船はまた劣悪だったようだ。

ワルデマール氏はその時、すでに一年間の休暇を過ぎており、一方的に延長の願いを出して南アジアを旅に回った。カルカッタからダージリン、そしてバラナシ。そこでは今も昔も、ガートで沐浴する人々の姿があった。この写真を見て胸が熱くなる。なぜなら私が2年前に行ったガンジス川と何ら変わることがないからである。

ワルデマール氏は旅の最後にマラリアにかかって苦しんだそうだが、それでも祖国には帰りたくなったと述懐する。なぜなら「退屈」であるからと。根っからの旅人だったのだろう。

交通も通信手段も未発達な100年前、とにもかくにも西回りに世界一周した人物が降り、しかも美しい写真まで残している。資料的価値以前に、今の私たちにある種のロマンを残してくれたようだ。

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