「『いま』このときを、生きる」酒井雄哉・孔健著

これまで二度の千日回峰行を満行した酒井雄哉天台宗大阿闍梨と孔子の第75代の直系子孫である孔健氏との対談。対談のDVDもついている。もっぱら孔健氏が大阿闍梨にインタビューする形となっている。

普通は若い頃に仏門に入り、そして若いうちに回峰行を満行して阿闍梨になるのが道だが、酒井大阿闍梨は40歳からと、俗世から仏門に入るのも遅く、それも過去3人しかいないと言われる二度の回峰行満行を果たしたのだから、その「行」の過酷さも並ではなかったであろう。

それだけに表紙の顔写真にもあるように、まさしく「生き仏」と言われるにふさわしい人相をしている。回峰行に入る前、やり遂げたものがおらず明治以来禁止されてきた「常行三昧」なる行にも入るが、その時に至ったのが、仏様にすべてお任せしてしまえ、という心境だそうだ。それを終えてから一回目の千日回峰行へと入った。

とにかくとてつもなく苦しい行であり、何度か死さえも覚悟するほどの行であったにも関わらず、それを二度行った。しかし二度もやり遂げたとて、人間は何も変わることのないと大阿闍梨は述べている。

そもそも何のために「行」をしたのか。はっきりした理由などなく、仏様に命じられたからだと言う。これはいわゆる特殊な「行」に限らず、私たちの営みそのもの仏様の命によるものなのかと考えさせられる。そんな大阿闍梨も若き日にはズルをしたり、仏様にそむくようなこともあったそうだ。

大阿闍梨は「一日一生」と言う。それは、

「ありがとう」

「すみません」

「おかげさまで」

の気持ちで生きることを意味する。今ここに生きていることは「有り難し」であり、それ自体が素晴らしいから「ありがとう」。相手や自然から様々な恩恵を得ているのに恩返しができていないから「すみません(済んでいません)」、そして「おかげさまで」と感謝する。これが幸福になる秘訣だそうだ。

人は謙虚に「いつでも仏様が見守っている」と思って生きることが大切。これがすべてではなかろうか。

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