本格的な「行」は一般人にとって未知の世界である。何をするのか。そして何のためにするのか。謎に包まれた「行」の一部始終が事細かに記録された本書は貴重であるとも言えよう。
例えば真言密教の代表的な「行」である、八千枚護摩については、護摩木を八千枚、火の中にくべていく行であるが、それに入る前に準備段階がある。まずはナスやトマトのみの食事から徐々に減らしていき、最後は水だけとなる。生の極限状態におかれ、さぞ強靭な心身であろうとも推測するが、実際の話は苦しくて仕方ないのだと。それでもやりきった時には達成感で涙が出るなど、行者と言えど身近な人間を感じる。
とにかく行三昧である。一日一日の行の概要と回想をひたすら綴るだけの日記であり、その淡々とした様子が妙なリアリティを感じさせるものだ。とにかく苦しくて仕方のない様子だけは伝わってくる。
そして最終的な到達点がまさに宗教体験であり如来との一体化。この「体験」なき仏教書は意味がないと著者は言う。しかしここで大きな疑問がわく。
最終章にて著者は、
「形あるもの、言葉で表現できるものはすべて虚であり、仮のものです。この虚であり、仮のものを人々は求めており、逆にこれらによって迷わされて苦悩しているのが現実ではないでしょうか。形のないもの、言葉で表現できないものが本当のものなのです。如来・如来のいのちと言っても良いし、真如と表現できるものです」
と述べているが、確かに20余年にわたる苦行の重ねてきた著者だからこその説得力がある。しかし、誰もがそのような苦行をできるわけではない。苦行せねば悟りには到達できないのか。もちろん著者はそうは言ってないが、壮絶な体験をした著者だからこその上から目線を感じてしまうのは私だけだろうか。
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