いつの間にか仏教学者のようにもなった苫米地博士の読みやすい一冊。
本書の斬新な視点の一つは「神が存在しないことは数学的に証明されてる」と一般の人たちに発表してしまったこと。
ただ、特に目新しいことでもなく「神=完全情報」とした上で、ゲーデルの「不完全性定理」から、神の不在を説明したに過ぎない。
しかし、それの示唆するところは大きい。
例えば私たちは、神、教祖、または特定のカリスマに対して「完全性」を求めようとする。
そうでなくても、「あの人は悟っている、目覚めている」などと言及するのもよく聞く話だ。
しかし、それはすでに論理的にも破たんしている。
なぜならある対象を「完全」であると認めるためには、その認めた本人が「完全(以上)」でなければならないから。
しかし、教祖と教徒がいたとすれば、教徒は教祖以上に「完全」には成りえない。
それでも教徒は教祖のことを「完全」であると認めたがる。
つまりは、誰それが「悟っている」と認めたいのであれば、その前にあなたが悟らないと無理ですよ、という話である。
と言うことは、完全なる神や教祖は存在しないことになり、ゆえにそれらを擁する「宗教」も存在しえないことになる。
しかし、そうなるといわゆる「拠り所」を必要としている人たちはどうなるのか。
政治や国家に求めるのか。
もちろん違う。
最終的に求めるべきは、まさに「自分」という価値観である。
宗教にしても政治にしても会社にしても、それは他人に依存した価値観である。
しかし、それらはすでに「完全」ではない。
となると、あらゆる価値を極限まで抽象化し、そこにある「自分」という価値観を見ることが重要なのだ。
そしてそれにこそ、本当の意味での「満足」がもたらされると、苫米地氏は言う。
本書の示唆するテーマは「不完全な神やその他の派生物から自由になり、自分を生きましょう」と言うことであろうが、
それ以外にも西洋宗教と東洋宗教の違い、その成り立ち、原始仏教からみた現代日本仏教のおかしな話など、
宗派やセクトを超えた「宗教」を軸とした世界のとらえ方及びその知識的背景が学べるという意味で、
新書にしてはかなり内容の濃い一冊であった。
・完全なる神は論理的に存在しえない
・原始仏教(釈迦)さえも「神」の存在は否定している
・「神」を絶対視しないことであらゆる「盲点(ストコーマ)」から自由になれる
・自分という価値観を大切にして生きよ
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人生を変える100日ブログ :5日目
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う~ん。ちょっと、考えさせられるなぁ・・・。
そもそも、「完全」とか、「完璧」なもの、ってあるんやろか、って。
あるアメリカのスピ系の人は、(すみません、誰かわすれた。)この宇宙は、ひずみから生まれた、神も、実は完全に完成したものではなかった・・・とか、言ってたそうです。神も完全になるために、この世を作ったとか。
その話を聞いた(読んだ)ときは、「おとぎ話みたいでおもしろー。」くらいにしか思ってなかったけど、今考えたら、もっとちゃんと読んどくんやった。