仏教学者のひろさちや師と、セラピストの石井裕之氏による共著。どちらもベストセラー作家。
実に面白かった。
「損する生き方」とは、仏教の知恵。生きる知恵。
ただし、間違っては成らないのが、「損」とは「得」のためにあるのではない。
いわゆる「損して得とれ」では決してなく、ここでは「損して損とれ」が極意となる。
世の中は誰かが「得」をすれば、必ずその分の「損」を誰かがするようになっている。
例えば同じ実力があったとして、一つしかない課長のポストに一方が入れば、その人は「得」であり、もう一方は「損」である。
今の世の中、あまりにも「得」を求め過ぎているが、全員が「得」することは、パイの大きさが決まっている以上、物理的に不可能。
「得」ばかりを求めるのではなく、むしろ「損」する時は積極的に「損」を求めた方が自然ですよ、、、と言うのが「損して損とれ」の真意である。
むしろ「損」をすることは「心」を豊かにするもではないか。
インド旅行に行くと、日本人はたいてい吹っかけられる。
200ルピーのところを1000ルピーは吹っかけてくる。
そこで値段交渉が出てくるのだが、300ルピーで落ち着いたところで、100ルピーは損している。
だったら最初から500ルピーは気持ちよく払った方が、お互い気持がいいではないか、と。
それくらいでは懐も痛まないのだし。
タクシーに乗ると、たまたま不機嫌な運転手にあたった。
乗客としては、愛想良くふるまって欲しいものだが、そんな時にこちらも不機嫌になるのではなく、支払いの際、「お釣りはいいです」と言ってみる。
運転手はギョッとするだろうが、乗客としては、なんだか心の面で運転手に勝ったような気さえしてくる。
もちろん運転手も気持ちがいいだろう。
つまりは、誰もが率先して「損」をするような姿勢でいれば、世の中はもっと豊かになるのに、、、という発想なのであろう。
世の中は誰かが「損」をするようにできている。
それが当たり前の世界であり、自然な姿だ。
自分自身を見ても、当然、人より劣っている部分はいくらでもある。
ただ、そのような「目盛」のついた物差しはしててしまい、これからは「目盛のない物差し」で生きていこうではないか。
もちろんそんなものは役に立たない。だからどうかと。別に役に立たなくてもいいじゃないか。
気持ちが苦しくなるのは、たいてい、何かと比較している時。
そんな時は「南無そんまんま」と3回唱えればいい。
「そのまんまにお任せします」と言う意味だ。
結局、何か必要だからこそ「損」をしているのだろう。
だったら、そのままでいいじゃないか、、、と言うのである。
「得」しようと思うから苦しくなる。
それを手放し積極的に「損」をすることで、救われる心もあるのだよ。
読んでてなんだか本当に心が軽くなったようだ。
・損する生き方は心を豊かにする
・問題を解決するな、むやみに関心を持つな、そして考えるな
・そのままで十分、生きてるだけで十分じゃないか
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人生を変える100日ブログ :4日目
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こんにちは。
いやぁ~、禅ですね~
損得を超えて。。。