「大麻」の有用性を環境貢献、医学的な効用、資源活用の可能性等の点から概説するとともに、人類と大麻の歴史、さらに宇宙文化や未来文化とのかかわりなど、様々な資料をもとに壮大なスケールで語っている。
我々は「大麻」というと麻薬のイメージが先行してしまいがちであるが、そのようなイメージが定着したのは戦後のことであり、実際、日本はもとより世界中で大麻は親しまれ、様々な用途に活用されてきた。事実、日本においては罪穢れを祓う聖なる植物として神事等に使われてきたし、大麻の名がつく地名、麻がつく人名も数多く存在している。それほど、大麻は社会や文化と密接にかかわってきた植物であるが、戦後、「麻薬」としてのレッテルを貼られるようになった経緯として、次のような説明がなされている。
「1900年代の初頭に石油資源を中心に経済を発展させようという政治的、経済優先的な考え方の中で、大麻産業のような循環産業が石油化学産業を推進する時代の流れには不必要だと理解され、大麻をはじめとした多くの天然循環資源が衰退していったという歴史的な背景があります。」
つまり、大麻規制の背景として、アメリカを中心とする巨大資本が石油など化石エネルギーを中心に経済進出するために、本来的に極めて有用性の高い大麻をその薬効成分にかこつけて資源エネルギーから締め出したという経緯がある。石油とは「限られた資源」であるのに対し大麻は「栽培等によって無限に生産できる資源」なので、その限られた資源を「持つ国」は「持たざる国」よりも優位に立つことができるのだ。
実際、石油は海底に溜まったプランクトンが何万、何億年かけて作られるものであるのに対し、大麻は100日~200日程度で育つために、非常にリーズナブルと考えられている。
通常、ヘンプと呼ばれる産業用大麻は、紙や繊維、建材、プラスチック、食料、医療など様々な用途の材料となる。そして著者である中山康直氏はヘンプで走る車で全国行脚したりなど、大麻(ヘンプ)の復権に向けて活動している。スピリチュアルな話では中山氏と大麻との出会い方が実に興味深い。
中山氏が少年時代、池で遊んでいる時に溺れてしまい、もがき苦しみながら「死」を意識した時に、体が楽になり光に包まれながら感謝の念を抱いていると、緑色の植物に出会い、そこからやさしい癒しのエネルギーを感じていると、気が付いた時は岸辺で息を吹き返していた。何年か経って東南アジアを旅行している時に、その緑色の植物に再び出会い、それが大麻だったということだ。
そこから自らと大麻との運命的なつながりを意識し、現在でも代替エネルギーとしての大麻の普及活動に精力をあげているとのこと。実際、中山氏は民間人としてはただ一人、産業用大麻の栽培資格を持っていることのことだ。
大麻の普及活動というと、どうも怪しい響きを感じるが、中山氏のそれは純粋に産業用大麻(ヘンプ)の普及活動であり、地球環境や人類への貢献を目的として身を削った活動をしている。
本書では人類の歴史の中での大麻とのかかわり、資源エネルギーとしての大麻の効用、そして精神文化における大麻の役割など、様々な文献、資料、フィールドワークを基にして描かれている。単なる思い込みでは決してない。本書は大麻を単なる麻薬の一種としてとらえるのではなく、歴史や制度の中で影の部分に置かれてきた大麻の効用や素晴らしさを改めて認識できる、優れた啓蒙書であると考える。
世の中何が正しくて何が間違っているのか、真実とは何かを純粋な気持ちで考え直したい人には是非一読を促したい。
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