■311よりも310

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さて、何位まで上昇するでしょうか。ありがとうございました。
ところで、ここ数日、テレビを付けるとどっこも震災関連ばかり。普段はテレビはほとんど見ないのですが、家族と一緒だと付けていることが多いです。でもまあ、こういう言い方したら反感買うかもしれませんが、震災の番組はNHKだけでいいと思うのです。実際どうかはわかりませんが、津波の映像なんかをたびたび流されると心中穏やかにはなれませんし、何より違和感あるのが、どうも「視聴率とれ」みたいな匂いを感じるんですよね。
嵐とかAKB48とか印象のよいタレントを起用して、いかにも感動、お涙ちょうだい的な番組を見せつけられるのかと思うのと辟易します。もちろん日本国民として3.11のことは忘れてはならないし、これからもずっとできる限りのご支援をさせていきたいと思っています。
しかしそれを言うなら、3.10のことだって決して忘れはなりません。だけど、日本人の多くはその日のことを問われてもわからないと思います。その日、一日にして10万人もの人が亡くなりました。しかもしれは天災ではなく、明確なまでの「人災」として。そう、昭和20年3月10日と言えば「東京大空襲」の日です。
詳しくはこちらを見て頂きたいのですが、戦争ってのは本来、「国対国」の戦いであって、その「国」の中に原則として民間人は入っていません。であるにもかかわらず、隅田川や荒川などへの逃げ道を焼夷弾で完璧に防ぎ、誰一人として漏れのないように虐殺を企てた。しかし今となっては、そのような「事実」はもはやなかったことのように。
確かに戦争はどちらが正義でどちらが悪なる線引きはできません。強いて言うなら「勝った方が正義」となるのが現実。日本の弱腰外交を見ても、日本はまだまだ「敗戦国」なんだと言わざるを得ない。
つい先日、ある地方の首長が「南京大虐殺はなかった」と発言して物議を醸していますが、確かにそのような議論はあります。あったとしても不自然な伝聞も少なくありません。しかし、いくら戦争と言えど、逃げ道をなくして民間人10万人を殺害した「事実」は議論の余地もない歴史的事実です。しかし、そのことを声高に訴える日本の政治家は皆無です。なぜ何も言わないのか。理由は簡単。敗戦国だからです。
この手の話は熱くなるのでこの辺にしておきたいですが、いずれにせよ日本人にとって忘れてはならない日があるとすれば、それは815、806、809、そして310です。もうすぐ戦後70年を迎えますが、戦争を知らない世代の人たちにとっても、絶対に忘れてはならない事実だし、正しい歴史をきちんと後世に伝えて行く義務が、先に生まれた人たちにはあると思っています。このような悲劇を2度と繰り返さないためにも。


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■311よりも310 への8件のフィードバック

  1. のコメント:

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    東京大空襲の詳細を日本国民が認識し、その日を「記念日」として年一回迎えるのにどのような「効果」があるのでしょうか?
    個人的には痛ましい事実を目の当たりにすることによって、今まではアメリカに対して無知なゆえになんら敵意を感じていなかった後世の人々が、事実を知る事によって少なからずアメリカに対する「憎しみ」を抱くのではないかと思います。
    それでは「憎しみの連鎖」を発生させる効果しかないのではないでしょうか。
    現に日本が犯したとされる「人災」を記念日として制定している近隣諸国は、戦後半世紀以上もたった今でも連綿と日本に対する憎しみを継続し、謝罪と賠償を求め続けています。
    日本人は良くも悪くも忘れっぽい国民です。
    平和に貢献しない事実なら改めて周知させなくてもよいのでは?と思ってしまいます。

  2. 石田久二 のコメント:

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    >糸さん
    その考え方、絶対ダメ。

  3. のコメント:

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    >石田久二さん
    すみませんお時間あればその根拠をお聞かせ頂きたいです。

  4. 石田久二 のコメント:

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    >糸さん
    歴史に対する無関心、無教養は国力を弱めるからです。

  5. のコメント:

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    >石田久二さん
    なるほど。確かに歴史あっての国家なのでQさんがおっしゃる内容は至極当然だと思います。
    歴史を共有していなければ国の概念が曖昧になりますよね。
    ただ、歴史における人間の「恨み」まで共有しなくても良いのでは?と思ってしまいます。
    つまり、Qさんが今回の記事に書いた「川に焼夷弾を落として民間人を虐殺した」という描写は、歴史を共有する上で無理に伝えなくても良いのではないかということです。
    ただ「東京大空襲で10万人の方がお亡くなりになった」という事実だけではだめなのでしょうか?
    戦争での人間の非人道的な行為を後世に伝え続けることは、ワイドショーが猟奇殺人犯の人物像を詳細に報道し、それを見た視聴者の気分を最悪な物にするのに似ている気がします。
    ひとつの痛ましい事実でいつまでも何万人、何億人の人たちの気分を最悪にすることは平和にとって有益なことなのでしょうか?
    長文失礼いたしました。

  6. 石田久二 のコメント:

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    >糸さん
    どのような事実を伝えるかは人による。
    何を伝えて何を伝えないかの絶対的な線はありません。
    歴史を知ることは怨みの共有では決してない。むしろ逆。
    そのうち記事にします。

  7. 大阪 アジロ のコメント:

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    いい文章を紡ぎはるわ
    勉強になったし感動しました
    やっぱいつもかっこいいわー

  8. 石田久二 のコメント:

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    >大阪 アジロさん
    ありがとうございます!

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