■死ぬ日のこと

こんにちは、行動強化コンサルタントの石田久二です。本日二つ目の投稿。変な言い方ですが、今、ハイヤーセルフが書けと言ってきたので書きます。
どうやら、人は自分の死ぬ日を決めて生まれてきているようです。そして一日違わず、決めた通りの日に一生を閉じています。その日は、生まれてきた瞬間はきちんと覚えているのですが、その記憶も徐々に薄れ、言葉を習得し始める2歳前後には完全に忘れてしまっています。
多くの赤ちゃんは、自分が母胎の中にいる時の記憶があり、産道を通る時のこともしっかり覚えています。それを言わないのは、赤ちゃんにはそれを言語化するだけの能力がないからに過ぎません。しかし割としばしばあることですが、言葉を覚えたての子どもに、生まれる前のことを聞いてみると、しっかり答えることがあります。まったく珍しい話ではなく。
ですが、自分で決めた死ぬ日だけは、完全に忘れてしまうようです。人間の脳は面白いほど都合よくできていて、必要なことはほとんど可能にする一方、自分にとって不要または負担のあることは寄せ付けません。その意味で言うと、「死ぬ日」を覚えておくことは、生きる上で完全に不要なことなのでしょう。
実はこの「死ぬ日」を決めて生まれている、と言うのは人間に限ったことではなく、ほとんどの動物がそうです。そして動物はその日に近付くと、その準備をし始めます。よくきく話としては、象の墓。野生の象は死期が近付くと人目につかない象の墓場に歩いて行って、そこで静かに生涯を閉じます。
また、雀やカラスはあれほど目にするにも関わらず、その死体を見ることはほとんどありません。私も野生の動物が死んでいる姿を見たことが一度もありません。野生動物は自分たちが死ぬ日をわかっていて、そのための場所へと帰っているからなのです。そしてそのまま、人目に付くことなく死に、自然に帰っていくのです。
それに対して、人間はその日を忘れてしまって生きています。発達した脳が、自分にとって不都合な情報を隠してしまうから。ただし、人間の中にもちゃんと理解している人はいます。その一人がお釈迦様。お釈迦様は80歳で天命をまっとうしましたが、死因は食中毒だと言われています。その原因はキノコを食べたこと。
これは後世のいい伝えなのですが、実はお釈迦様にはそのキノコに毒があることを知った上で食べたのではないかと。もちろん、キノコを振舞った人には殺意があったわけではなく、純粋なおもてなしとして差し出しました。お釈迦様は他の弟子たちにはキノコを与えず、自分一人で食べたと言われています。
お釈迦様のような超越した人物は、言わずとも死ぬ日を理解していたようです。そうでない普通の人たちは、幸いにもその日を思い出すことはありません。なぜなら、普通の人には、それを思い出すだけの準備ができていないから。もちろん思い出す必要もありません。
つまり何が言いたいかと言うと、人は誰もが例外なく、すでに「死ぬ日」が決まっているってこと。どんなにあがいてもそこから逃れることはできません。「引き寄せの法則」によると、現実はすべて自分自身が引き寄せたものだと言われていますし、まったくその通りだと思います。
しかし「死ぬ日」だけは、唯一、「引き寄せの法則」の例外となっています。人の生死だけは「引き寄せ」とは関係なく起ります。逆に言うと、生死以外はすべて「引き寄せ」であり、自由に創造することが可能。ですので、死ぬ日のことだけはもうお任せしてしまって、今できることを精一杯やればいいんだよ。
ハイヤーセルフが今、そのように伝えてきました。


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■死ぬ日のこと への1件のフィードバック

  1. ぼくはけんちゃま6 のコメント:

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    良いお話をありがとうございます。
    そのとおりだと思います。

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