先日、サッカー選手の長谷部誠さんの「心を整える。」という本を読みました。
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そのことによって先祖からの大きな力を頂けるなどと、スピリチュアルな解釈をすることは自由ですが、私はもっと現実的に考えています。それは「親」や「先祖」によって絶対的な「安心・安全(セキュアベース)」を得られるからではないか、と。
「セキュアベース」という考え方は茂木健一郎さんによってしばしば取り上げられるのですが、例えば幼い子どもは、目の前のことに対していろいろチャレンジする際、時には失敗したり、上手くいかなかったりすることがあります。
一例をあげると、積木を高く積み上げる遊びなどもそうですが、そこでその積木がドカドカと崩れてしまった時など、多くの子どもは親の顔をうかがうのだそうです。しかし、その時、親が別の方向を向いていたり、または無視したりしてしまうと、子どもはそれ以上、遊ぼうとはしなくなるのだそうです。それはおそらくその遊びに危険を感じて、それ以上のチャレンジをしなくなるからではないかと思われます。
しかし、そこで子どもの方をしっかり向いていてあげると、それだけで「安心」して、再び積木を積み上げようとする。チャレンジを開始するのです。これがまさにセキュアベース。チャレンジ精神や想像力とは、自分自身が「安心・安全」でなければ発揮されないこと。
その意味で「先祖」などは、絶対的に自分を愛している、守ってくれている存在であるし、それが目に見えない存在であろうと、いやむしろ目に見えない存在だからこそ、根拠のない「安心」を感じ、それによって大胆な行動に出られるのではないかと思います。
長谷部選手の場合も、亡き祖母がいつも見てくれていると思うだけで、心が整えられ、自分の力を最大限に発揮することができるのでしょうか。その意味で、本のタイトルの通り「先祖供養」は心を整える上で、とても大切なことなんだと思われます。