合法の最後は、方三位(ほうさんい)です。となり合う三つの支が、ひとつの方角、ひとつの季節をまるごとつくる形。広がりは、合法のなかでいちばん狭い。けれど、そのぶん深いのです。
仕組み
となりの三支が、ひとつの方角になる
方三位は、十二支の円のうえで、となり合う三つの支がそろう組み合わせです。ひとつの方角、つまりひとつの季節の集中をあらわします。全部で、四つの組があります。
- 寅 ・ 卯 ・ 辰 …… 東方三位。春の三支。木の気が強まります。
- 巳 ・ 午 ・ 未 …… 南方三位。夏の三支。火の気が強まります。
- 申 ・ 酉 ・ 戌 …… 西方三位。秋の三支。金の気が強まります。
- 亥 ・ 子 ・ 丑 …… 北方三位。冬の三支。水の気が強まります。
たとえば寅卯辰なら、辰はもともと土の支ですが、寅と卯にはさまれて、東方の木の気に染まり、木として強く働くようになります。三支のうち二支だけがそろっている場合は、準三位と呼びます。準三位に残りの一支がめぐってくれば、方三位が完成します。
意味
狭くて、深い広がり
三合会局は、円のうえで百二十度ずつ離れた三支、いわば別々の季節から一支ずつを集めて、五行の誕生から収束までを貫く形でした。方三位は、その正反対です。となり合う三支、ひとつの季節のなかだけで完結します。
だから、性質は変わりません。同じ季節のなかで、同じことを繰り返しながら、少しずつ固めていく。広がりはありますが、狭い範囲の広がりです。商いにたとえるなら、三合会局が海を越えて店を展開していく形だとすれば、方三位は、地元のなかに二号店、三号店を出していく形。遠くへは行かない。そのかわり、足元は誰よりも固いのです。
この対比は、音楽にもあります。三合会局の三支は、十二支の円を三等分する正三角形。これは、ジョン・コルトレーンが「ジャイアント・ステップス」で描いた、十二の音を三等分して跳んでいく和声と、おなじ幾何です。この話は、別の随筆に書きました。巨人の歩幅で円を跳んでいくのが三合会局なら、方三位は、ひとつの調のなかを、となりの音へと歩いていく旋律です。学校の「一同、礼」で鳴る、じゃん、じゃん、じゃん。あれはドミナントモーションといって、帰る場所はここしかない、と調性がはっきり指をさす響きです。方三位は、その世界。対して三合会局は、円を三等分してしまうので、帰る場所がひとつに決まりません。あの和音では、礼ができないのです。跳躍と、歩み。どちらにも、その音楽があります。
合法の広がりを大きい順に並べると、半会、支合、方三位となります。方三位は、合法のなかでいちばん広がりの小さい形です。けれど私は、これを弱い形だとは見ていません。ひとつの季節を生き切るというのは、ひとつの世界を極めるということ。職人や専門家、土地に根を張って生きる人の強さは、まさにこの形の強さです。狭さは、裏返せば深さと密度なのです。
宿命
宿命に、方三位を持つ人
宿命の地支(年支・月支・日支)で、方三位や準三位がそろっている人です。ひとつの世界、ひとつの分野のなかで、同じ営みを繰り返しながら、深く固めていく人といえます。あちこちへ手を広げるより、決めた場所を掘り下げる。交友も、広く浅くではなく、狭く濃く、です。
まわりからは、変化のない人に見えるかもしれません。けれど、変わらないというのは、それだけでひとつの力です。同じことを、同じ場所で、続けられる。時代が揺れるほど、この形の人の足元の固さが、光ってきます。
後天運
方三位が、めぐるとき
宿命に準三位(同じ方角の二支)があり、そこへ大運や年運として残りの一支がめぐってくると、方三位が完成します。その季節の気がぐっと強まり、狭いながらも、確かな広がりが生まれるときです。
このときの前進は、半会のような華やかな飛躍ではありません。行動の範囲も、交わる人の輪も、大きくは広がらない。けれど、いま立っている場所での歩みが、一歩ずつ固まっていきます。手を広げるより、足元を耕すこと。それが、この時期のいちばん実りある過ごし方です。
ひとつだけ、先の話を。この方三位と三合会局、二つの合をまとめて崩す組み合わせが、散法の「刑(けい)」です。くわしくは、刑の記事に書きました。
遠くへ広がる力だけが、力ではありません。ひとつの季節を、生き切る。
狭くて、深い。方三位は、その形です。