ボクの居場所がない

先ほど「お受験・ママ友」のドラマをチラ見して思ったことがあります。私の息子(2歳)は1歳の頃から保育園に通っているのですが、どう言うわけか、そのことに対して難色を示す人がいるのです。最低でも3歳までは母親とべったり過ごすべきだとか、おまけに保育園に行くと不良になるなどと言う人も。本気で言ってるのかわかりませんが、確かに保育園に通わすことは、最初は不憫に思ったことあります。
それはあるにしても、一方で、家庭内保育のデメリットもないわけではありません。今から書くことは統計的根拠があるけじゃなく、私の勝手な思い込みかもしれませんが、ちょっと思ったことを書こうと思います。
保育園に預けることのデメリットは、私にはあまり実感がないのですが、メリットはたくさんあると思います。一つは共働きができること。一つは、小さいうちから人と接することに慣れること。そして何より大切だと思うことは、母親のストレス軽減です。
どんなに可愛い我が子であっても、24時間一緒にいることは多少なりともストレスになるでしょう。現に育児ノイローゼなんて言葉があるくらいですから、多少の息抜きは必要。そのためには夫や家族の協力が必要となりますが、そう言うわけにいかない家庭だってあります。
夫は残業で夜遅くにしか帰ってこない。実家が遠いので、両親に面倒見てもらうこともできない。そうなると、母親が育児の大変さをほとんどすべて引き受けることになります。そしてそのイライラは子どもにも伝わるし、場合によっては児童虐待に発展することだってあるでしょう。
そして思うのは「子どもの居場所」です。「居場所」とはホッとする場所のこと。保育園に行けば、確かに自分に思い通りにならないことばかりで、必ずしもホッとする場所とは限りません。それでも保育士はプロですので、できる限り、園児の精神的ケアにも心を配っています。
ですが、少なくともうちの息子に関して言えば、やっぱり保育園よりも家庭の方が好きなようです。そして「家庭」こそが自分の「居場所」だと感じているようです。
一方、家庭内保育だけの場合はどうか。24時間の「居場所」を確保されているかと言うと、必ずしもそうではありません。母親のストレスはそれ自体が子どもから「居場所」を奪ってしまう可能性があるからです。もちろんストレスのない状態、そのための家庭内のケアがあれば、子どもにとって「家庭」は「居場所」でしょう。
しかし、必ずしもそうでない家庭があるのも事実。そもそもなぜに「居場所」が大切なのか。これは「潜在意識」のメカニズムにも関係してきます。「潜在意識」が求めるのは「安心・安全」です。「居場所」とは「安心・安全」が確保された場所のこと。
しかしその「居場所」がなければ、子どもの「潜在意識」はただひたすら「安心・安全」だけを求めて、それでアップアップしてしまうのです。「居場所」のある子どもは、「安心・安全」を求める必要がないので、そこで「創造性」を発達させることができます。
茂木健一郎氏は子どもにとっての「安心・安全」を「セキュアベース」と呼んでいますが、それはそのまま「居場所」のことでもあります。そして人間の創造性とはセキュアベースが確保された状態でなければ育たないと言われています。
つまり「居場所」とは、子どもの「創造性」を育てる場所なのです。その意味で、もしも保育園が「居場所」を確保するためにいちやく買っているのであれば、それだけで大きなメリットだと思うのです。
子どもにとって一番大切なのは「居場所」であり、それを確保するためだけにも、保育サービスを活用するのは、決して不憫なことではないと考えています。


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ここ一番の場で緊張して動悸がする

先ほど、知人と電話で話をしている時、次のような相談を受けました。

最近、人前に出ると緊張する。これまでは普通にできていたことなのに、ある日突然、緊張が走るようになり、そのことを考えると動悸が起ることもある。どうすればこの状態から脱することができるのか。

簡単ですが、このような内容。いわゆる「スランプ」の状態と言えるのでしょうか。これを聞いて、私も思いだしたことがあります。2004年に滝行を始めて、かれこれ7年目に入りましたが、その間、一度だけ「滝の中でお経が唱えられない状態」に陥ったことがありました。
普通の状態だと唱えられるのに、滝の中にはいると飛んでしまうのです。般若心経なんかも、最初の一行から飛んでしまう。観音経も同じ。そうなると、適当な時間だけ滝に入って、真言をいくつか唱えて出るしかない。そんな状態が何日か続きました。
そんなある日、突然、わかったのです。考えているから唱えられないのだ、と。般若心経なんてのは、もう、何万回となく唱えているので、完全に身体が覚えているはず。だったら「身体」に任せてしまえばいいものを、頭の中で考えている。
そして「今日も唱えられないのかな・・・」などと考えてしまったら、もう完全に飛んでしまうのです。では、この状態から脱するにはどうすればいいのか。
それは「滝の音に集中する」ことだったのです。
頭の中で考えるとをストップし、ひたすら「滝の音」を聞きながら、後は身体が勝手に般若心経を唱えるままに任せればいい。そして最後まで唱えることができました。観音経も同じ。
この相談者の方の「ここ一番の場で緊張して動悸がする」という悩みもこれに似ていると思いアドバイスしました。今まで普通にできていたことなのに、ある日突然できなくなる。この理由は簡単にわかります。
それは意識が「内的対話」の方に向いてしまったから。意識ってのは「内側」か「外側」のどちらかしか向いていません。その中間はなく、両方同時に向けることも不可能。常にどちらかなのです。
NLPでは意識が内部に向くことを「Ti」と呼び、外部に向くことを「Te」と呼んでいます。「T」とはタップル(要素)のことであり、「i」が内部(internal)、「e」が外部(external)のことを意味します。
そしてスランプ状態に多いのが圧倒的に「Ti(内的対話)」に向いている時。人が「内的対話」をする時は、そのほとんどがネガティブな対話です。それは私もそう。なぜなら人は「安心・安全」を無意識のうちに求めるため、それに反する「危険」に対する注意を向ける本能があるから。危険に注意を向けられなかったら、人類はとっくの昔に滅んでいるでしょう。
この方の場合、「内的対話」の多くは、やはり「失敗したらどうしよう」とか「緊張したらどうしよう」などの、いわゆる本能的な「内的対話」でした。そうなったきっかけはいろいろ考えられると思いますが、何かを「守りたい」などと思う出来事があったのかもしれません。
では、どうすればこのスランプ状態を脱することができるのか。答えは簡単。「Te(外部音)」に耳を傾ければいいのです。例えば会場で聞こえる人々の話声、せき込む音、空調の音、外の車の音、、、など何の意味もない「音」が聞こえているはず。
「内的対話」に夢中になっている時は、おそらく聞こえてなかったであろう音たち。そこに意識を向けることで、自然と「内的対話」に向ける割合が低くなり、同時に緊張からも解放されることでしょう。
そこで注意しなければならないのは、「外部音」を聞いたところで、その意味にまで注意を向けないこと。空調の音が聞こえたら、「空調の音」とただ客観的に認めるだけで、「今日は暑いのかな」とか思う必要もなし。
そしてさらにパワフルな方法があります。それは会場や室内から聞こえる「外部音」が自分の味方であることを意識する。そして会場・室内それ自体が「自分の手足」のように感じること。すると空気に飲まれることもなく、リラックスした状態で仕事をこなすことができるはずです。
なぜならそこには「自分を超えた力」が働いているのだから。とにかく意識を「内部」から「外部」へと向けて、その「外部」それ自体を味方だと思うこと。そのような意識で会場・室内に入ることで、緊張や動悸からは完全に解放されることでしょう。


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天国も死後の世界もない

「天国も死後の世界もない」、英物理学者ホーキング氏が断言
 [ロンドン 16日 ロイター] 「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホー……….≪続きを読む≫

つ、ついに言ってしまいましたか~!!!!
実は私もそう思っているのです。「死後の世界」など存在しないのです。「臨死体験」なんてのは、完全に脳内現象に過ぎません。ヘミシンクで死後の世界に行けるってのもウソ。物理的に脳波をコントロールして明晰夢を見えやすくするためだけのもの。
これ、何度も言ってることですが、この世に死んだ経験のある人は誰ひとり存在しません。臨死体験と言っても、その人は死んではいない。木内鶴彦さんは「臨死体験」ではなく「死亡体験」をしたと言われてますが、今現在生きている以上、それはない。
「死」とは決して生き返ることのできない状態のことを言う。生き返ってくる以上、その人は死んではいない。医学的に死と認められても、「医学的な死=死」ではないのだから。
ですので、あえて方便とわかってて言うのでもなければ、「死後の世界」について語る人のことは、その時点で信用しません。
では、「死後の世界」ってどうなってるのか。答えを言います。「しらん」です。
ただ、ホーキング博士が「死後の世界はない」と言ったのと、「宇宙人は実在する」と言ったのとは、きちんとした関係があります。
結論から言うと、宇宙人は確かに実在します。しかし、私たち地球人は、どんなことがあっても宇宙人と出会うことはありません。一般に言われている「宇宙人」とはあくまで「3次元」という条件下にあるもの。グレイ型の宇宙人なども実在しません。
宇宙人とは、私たち3次元人の概念・観念を超えた存在。この無限の宇宙には、私たち地球人の概念・観念を超えた存在が無限に存在します。そう、無限に。その中で私たちが認識しうる3次元上の存在など、宇宙レベルで考えるとないに等しい。
ただ、ホーキング博士レベルに抽象思考のできる人は、一般人の概念を超えた世界について臨場感を感じることができる。彼の頭の中の数式には、宇宙人は紛れもなく存在する。だけど、私たちはそれを認識できない。それだけのこと。
そしてホーキング博士の抽象思考をもってしても「死後の世界」を認めることはできなかった。だからこそ存在しないのです。
ただし、、、「死後の世界」に関する観念を私たちは持っているのは事実。それはなにか。まさに「いま、ここ」でしかない。私たちは生きていながらにして、すでに「死後の世界」を生きているのです。これが真実。


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検索ワードに本名が上位

今、何気にアクセス解析から「検索ワード」を見てみました。ここを覗くのは久々です。これからはマメに覗きたいと思うのですが、見てビックリ。
なんと「石田久二」が一位。関連ワードでも「アメブロ いしだひさつぐ」「石田久二 ポールマッケンナ」「石田久二 ブログ」「中村天風 石田久二」「石田 久二」などが続いています。
$「信念が人生を創る!」石田久二公式ブログ
ちなみに「宇宙となかよし」の方はどうか。5月から今現在までで、
$「信念が人生を創る!」石田久二公式ブログ
となっています。なぜか「田原俊彦」が2位なのですが、ブログタイトルが一位に来ててよかったです。ちなみに「田原俊彦」と「クリオネ」の謎はグーグルの画像検索で判明されます(笑)
そう言えばこちらのブログエントリーで関連する記事が書かれていました。
⇒「ブログのアクセスアップは認知度があがった証明なのか!?」

本記事によると、

認知度があがったかどうか、手っ取り早く確かめる
1つの方法は、検索されているキーワードをチェックすることです。
・あなたの名前で検索されている数が増えているか?
・あなたのサービス名・会社名・ニックネーム・キャッチコピーなどの
 検索数が増えているか?
・あなたの著書の検索名が増えているか?

とのこと。この点で言えば、まだまだ決して多いわけじゃないですが、少しずつ認知度も上がってきているのかな、、、と。これからも頑張ります!


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執着を手放すと幸せになれる

精神世界系の成功法則の中に「執着を手放すと幸せになれる」というものがあります。お金持ちになりたければ、お金持ちになりたいという執着を手放す。恋人が欲しければ、恋人が欲しいという執着を手放す。初めて聞いた時、「目から鱗」でした。


つまり願望を実現するには、その願望自体を手放せばいい、ようするに努力しなくても願望は実現するのです。そう考える人ももしかしたら多いかもしれません。


しかしこれはよく考えると変です。例えば「お金持ちになりたい」って願望があったとします。「手放しの法則」から言えば、その「願望」に対する執着を捨てればいいわけです。ただ、これは、、、

願望を実現させるために手放すことに執着している

ことになり、結局のところ二重の執着にがんじがらめになっているに過ぎないのです。実際聞いてみたい。本当に手放して願望が叶ったどうかを。

確かに「手放すと叶う」はメカニズムとしては正しいです。しかし正確な言葉遣いをすれば、「手放ば叶う」のです。つまり「執着」なんてものは、手放そうと思って手放せるわけではなく、勝手に放れて行く。その時に「実現」するってのが正しい理解なのです。


では、具体的にどうすれば手放すことができるのか。これは逆説的ながら、めちゃくちゃに「執着」することに他なりません。つまり「願望」があるのだとすれば、それを絶対に叶えてやるぞと執着し、そのためにできることをすべてやる。


もしもお金持ちになりたければ、自分にとってのお金持ちのラインを設定して、ラインを突破するためのできることをすべてやる。やってやってやりまくるんです。
するとある時、ラインを突破して一気に執着が外れます。または、突破しなくても、そこから多くの学びなり、、、そして「感動」を得ることで、自分にとって満足のいくラインへと着地することができる。その時に初めて執着が手放るのです。


こんなことは世の中を見ればすぐにわかります。世界のエンジンを開発した本田宗一郎氏が最初からエンジン開発への執着(執念と言った方がいい)を手放してたでしょうか。世界のケンタッキーフライドチキンを創業したカーネルサンダースはチキンのレシピを1000軒以上のレストランに営業のですが、それもまさに執着(執念)ですよね。


もしも恋人が欲しければ、その恋人にふさわしい男(女)になれ。人間を磨け。執着しろ。執念を燃やせ。やってやってやりまくった時、ある瞬間に、「ふう・・」と力が抜ける時が来る。それがまさに「執着」が手放れた瞬間であり、意中の恋人が引き寄せられるんです。


執着を手放すのではないです。手放そうと思って手放せる人がいたら教えてください。執着とは手放すのではなく、手放れるものなんです。それまでやってやってやりまくれ!!!


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