営業力がなければこの世に存在しないのと同じ

コーチ、セラピスト、カウンセラー、ヨガインストラクター、セミナー講師、、、などの職種を目指している人が私の周りは結構います。そして私自身もそれを生業としています。
ただし、何度も言ってしつこいかもしれませんが、私は何一つ「資格」をもっていません。現在20名のコーチングのクライアントを持っていますが、資格どころかまともにトレーニングを受けたこともありません。ではなぜにコーチングを仕事としてやっていけてるのか。
答えは簡単。実践を積んだから。見よう見まねで3か月で100名に無料コーチングもしたし、年に一回は18時間連続耐久コーチングなんてこともしている。そうやってとにかく「量稽古」をしたんですね。そしたら特に学校に行かなくても、感覚でできるってもんです。
ちなみにジャズって音楽がありますが、ジャズ専門の大学があるのはご存知でしょうか。アメリカのバークリー音楽大学が有名ですが、日本ではバークリー理論を取り入れた洗足大学ジャズコースがあります。日本の名だたるジャズマンが講師(教授)を勤めています。
ただ、、、私は違和感あるんですよね。例えばレスター・ヤングが大学通ったかっての。マイルス・デイヴィスは一応大学入ってたけど、ほとんど行かずに中退。レッド・ガーランドはプロボクサー崩れ。ジョン・コルトレーンは元ど下手。でも、叩き上げでなんとかやりながら、あのような巨人になった。
コーチングの話に戻りますが、ただね、、、「量稽古」をしようにも相手がいなければ始まらない。「相互コーチング」のサービスだってあるけど、コーチングを知ってる相手にするのと、そうでないのとではガチンコ度が違う。
「相互コーチング」だと、お互いコーチングのルールってものを意識してしまうけど、コーチングを知らない人相手だと、いろんな人が来ますからね。それこそヤバイ人だっている。そんなガチンコの量稽古なので、実践力がついて当然と言えば当然でしょ。
ただ、そのようなガチンコの量稽古をするには、その前に「営業力」が必要。いくら無料と言っても、数分間は自分の時間を与えて、おまけに電話代も負担してもらう。少なくともそれくらいの負担をしてもいいと思わせるくらいの「営業力」は必要。
ランチェスター経営の本には「営業:商品=2:1」って書いてるんだけど、商品力の2倍は営業力が必要ってこと。とにかくまずは営業力(集客力)ありきなんです。それを勘違いして、「実力さえつけば客は来る」と思っていると、いつまでたってもプロになれない。
ジャズの話で言うと、確かにレスター・ヤングよりも上手なジャズマンはいくらでもいるでしょう。バークリーを卒業した人はならば、ほとんどがレスターより上手なんじゃないかな。だけど感動するのは、どう考えてもレスター・ヤング。大学出て実力付けても、ガチンコでサックス吹いてきた奴には敵わない。それと同じ。
コーチならプロコーチとして成功したいのであれば、やっぱりまずは「営業力」しかない。実力は後からついてくる。コーチングの勉強に50万円かけるのであれば、集客の勉強に100万円はかけないと釣り合わないのが本当のとこ。
だけど田渕さんのコンサルもそうだけど、5万やそこらで集客が学べるのだから、そう言うのを利用しないのはやっぱりどうかと思う。その5万なり10万をケチって、お勉強ばかりするのもどうかな、と思います。
そんなわけで、今の私はとにかく「営業力」を付けることに集中しているのであります。


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がんばれない症候群

さっそく次のようなメールを頂きました。ありがとうございます。ちょっと長いですが全文掲載したいと思います。改行と文字強調は私の方でさせて頂きました。

「宇宙となかよし」の記事を拝見して、私も人生相談に投稿してみようと思いました。現在25歳の男性(電話の声は女性っぽい)で、今年の3月までで事務職員を退職したところです。
私の相談事は、「がんばれない(努力を放棄してしまう)こと」、「自分が生まれてきたテーマを知りたい」です。
自分で言うのも何なのですが、昔から、いわゆる優等生でした。まじめで素直で、なるべく波風を立てないようにしてきましたし、今でもそれは間違ってなかったと思っています。高校は地元のそれなりの進学校でした。人生で一番がんばったのは、この高校入試の時だけです。なぜかこの高校には行きたくてたまらなかったのを覚えています。結局、2ヶ月ほど高校に行ってない時期もあるのですが。(笑)
母からピアノをちょこちょこ習ってはいたものの、クラシックを小学校の時点で挫折。それからは流行のPopsばかり弾いてきました。
(がんばれない・その1)
中学校のころ、テンションコードに出会い、ジャズってかっこいいなぁ・・・と思うようになりました。高校卒業時、音楽の勉強をしたいとおぼろげに思いつつも、両親や担任の勧めもあり、普通の大学進学を選択しました。この時、がんばって受験勉強すればもっと上の大学に行けたかもしれません。
が、ある意味妥協して地元の大学を受験、合格して進学しました。
(がんばれない・その2)
大学在学中はバンドサークルに所属、キーボード担当の人口が少ないためバンドを掛け持ち、昼夜逆転、ぎりっぎりで卒業しました。曲のコピーも適当、勉強も適当・・・。
(がんばれない・その3)
就活時期になり、やっぱり音楽の道に行きたいとおぼろげに思いつつも、無難な公務員を目指しました。が、やっぱりまじめに勉強できず…。
(がんばれない・その4)
大学をとりあえず卒業して、就職浪人、公務員は落ちるもののなんとか地元の私学短大に就職、晴れて事務員となりました。が、この職場の水がどうやら合わなかったようです。自分が悪いとわかっていても、どうしても職場のせいにしてしまい悪循環のスタート。精神的にきてしまい、体重が50キロをきった時期もありました。
ここでいわゆるスピ系に出会いました。しかし、本を読んでもうまく実践できず、自分が変われず、結局苦しいままでした。
やっぱり音楽したいなぁ、と「決めた」ところで、職場の偉い人から、「うちで一生働けるのか?」と言われました。両親とも話し、「音楽の道にすすむ!」ということで3月に退職しました。1年準備して、来年4月から神戸にある専門学校→バークリー音大に留学!が目標です。
ところが・・・いざ辞めたら辞めたで、「本当に音楽したいのかなぁ」と思うようになりました。決めたはずなのに、がんばれない。練習したら楽しいですし、スピ系の本・ブログを読めば、「これでいいんだ!」とも思います。でも、がんばれない。両親になるべく金銭的な負担をかけたくないのに、今はニート状態です。
正直、がんばりたくない、というのが本音だと思っています。痛い・辛い・疲れることを避けてしまいます。楽して生きていきたい…。神様が僕に能力を与えてくださったのは、怠けるためではないはずなのに…
痛みを前払いするのがおっくうなんだと思います。とりあえず、小林正観さん的エンドレスありがとうと、トイレ掃除、石田さん的「運を味方に!」は楽しく続けられています。確かにラッキーに気づける瞬間が増えています。ありがとうございます。
「宇宙となかよし」の過去ログを拝見していて、21日間全力で走りきるアイデアを見つけました。どうせ暇なんだから、やってみればいいのに、やっぱりがんばれないのがなんとも・・・
「なるようになる」というお言葉を、自分への甘やかしでしか使えないのです。もう一押し、自分に喝を入れたい気分でメールいたしました。超意識からのメッセージは必ず来てるはずなのに、今はなかなか目を向けられません。
石田さんのお力をお借りできればとても嬉しいです。もういっそ、「お前は○○のために生まれてきた!!」とまで言われたい気分です。
と、ここまで自分の文章を読んで、まだまだ子供だなぁと痛感いたしました。もしよろしければ、アドバイスをくださいませ。いつもブログ等の更新、ありがとうございます。楽しみにしています!

最初に一つ言えることは、ここまで自分の「がんばれない遍歴」をアウトプットすることで、潜在意識的な「浄化」が進んだように思います。まずは一歩です。おめでとうございます。
ところで、私はアナタのことが嫌いです。なぜならまるで私のようだから。アナタの「頑張れない遍歴」を読めば読むほど、オレのことだ、、、と思いました。私も「がんばれない遍歴」を軽く紹介しますと、、、
・中学高校と全然勉強頑張れない!
・大学に入って一冊は原書で哲学書を読もうとするが挫折で頑張れない!
・就職活動するが、安易に放浪の道に進んで途中でストップして頑張れない!
・放浪から帰って2年間大学院でモラトリアムだが中途半端で頑張れない!
・就職がなくて研究者を目指すべくさらに進学するも3か月で中退して頑張れない!
・なんとかアルバイトから契約社員になるも4年で退職して頑張れない!
・早起きを目標するけどいつも目覚ましを止めて頑張れない!
・何度もダイエットを決意するも途中で停滞して頑張れない!
・2冊目を書くぞ書くぞと言いながらいまだ着手せずで頑張れない!

まだあるけどこの辺で。ここまで読んでもらって一つ聞きたい。
「この世の中に完全に頑張っている人なんているのか?」
少なくとも私は会ったことがないです。孫正義は頑張ってるか。確かにそう見える。だけど「100億寄付すると言いながら結局やってないじゃん」ってケチがついてしまった。いいタイミングで大口叩いたんだから、週刊現代からすっぱ抜かれる前に被災者のために頑張れと言いたい。
て言うか、菅直人、もっと頑張れ。枝野、最近頑張ってないじゃん。日本のトップでさえ頑張れてないのに、私たちに頑張れってのも酷な話。そもそもアナタは完璧を目指し過ぎ。て言うか「頑張れない」と言いながら、「自分は完璧を目指してるんです!」って自慢してるようにも聞こえる。嫌らしいぜ。
何だかんだと言ってまだ25歳でしょ。チ○コだって67度くらいは立つ。私が25歳の時って、、、大学院で遊んでました。親のスネかじってました。何の目標もビジョンもない。スピリチュアルも知らない。さらに大学院を修了してからは悲惨。アルバイトにも雇われない。もちろんビジョンもない。彼女もいない。毎日がオ○ニー耐久レースのようなもの。
そんなのに比べたら、アナタは遥かに恵まれてる。だってピアノ弾けるんでしょ。大学時代はキーボードを掛け持ちするほどの人気。ポップス系はある程度ビジュアルも大切だから、まあまあのイケメンと見た。そもそもピアノを弾ける男は、それだけで無条件でカッコイイ。その気になれば女に食わせてもらうこともできる。
もう一回言うけど、私はアナタのことが嫌い。だって、これでもかとばかりに「男前加減」を見せつけるんですもの。どんどん自分がみじめになる。と言いながら、せっかく相談を頂いたのでお答えしたいと思います。
まず、事務職は辞めてよかったです。おそらく人生における最も賢明な選択の一つとなるでしょう。なぜ辞めてよかったかと言うと、辞めない方がマシだったから。正直、短大の事務職なんてダラダラやっても食わせてくれるでしょ。
人間関係がうっとうしくても、あと5年も我慢すれば、今度は自分がうっとうしがられる立場に立てるからちょっとの辛抱。世の中の人って、そうやってちょっとの辛抱を乗り越えて、うっとうしい上司へと育って行くんです。アナタはそんなうっとうしいけど、ダラダラやって生活できるだけの身分と、部下をいびる楽しみを捨てたのですから、もったいない限り。
でも、そんな人生ってどうよ!ってのが正直なところ。一度の人生。やっぱりやりたいことやって死にたいじゃん。その意味で、アナタの選択はものすごく賢明。だけど言っておきます。バークレーに行っても一流にはなれません。それどころか食えるかどうかもわからない。
ジャズ関係の友達が多いから知ってることだけど、今、アメリカ人はバークレーなんて行かないんだって。キース・ジャレットの時代が最盛期。吉本のNSCの第1期にダウンタウンがいて、それでNSCが流行るようになったけど、結局、ダウンタウンを超えるタレントが出ていないように、バークレーにしてもキース・ジャレット以上のミュージシャンは出ていない。
今、バークレーに行くと、日本人と韓国人と中国人しかないそうです。そこでそこそこに単位をもらって帰国するんだけど、食えてないですよお。それならいっそ洗足大学のジャズ課にでも行った方がマシ。その方がまだ現実を見れるわけだし、日本にいる限り、それなりにアルバイトだってできるしね。
でも、思います。あなたは音楽しかありません。売れなくても、食えなくても、音楽しかありません。バークリーに行ってもいい。そこで現実を見るのもいい。とにかく、しばらくはまったく日の目を見ないでしょう。月に7~8万のギャラもらって、食いもの屋のバイトで食いつなぐか、女に食わせてもらう日が、最低でも5年は続くでしょう。
それでも、アナタはきっと音楽を捨てることができない。まるで現実逃避のようにピアノにしがみつく。相変わらず頑張ってないと自己嫌悪に陥りながら、それでもピアノから離れられない。そして30歳になると、、、突然、天啓が啓けて、、、と言いたいけど、そんなにアマくない。
それでもアナタは何とか食べていける。自己嫌悪を闘いながら、それでも生きてける。ピアノも弾ける。ただ、その繰り返しの日々が、もしかしたら10年、20年、30年続くかもしれない。でもどうだろう。30年後もピアノ弾いてたら、それはそれで幸せじゃないかな。もちろんその保証もないけど、いずれにせよ、アナタはこれからも頑張れないし、変わらないと思います。
だけど、そんなこと、私の知ったことじゃないし、誰も気にしない。世の中ってそんなもの。だけど、もしかしたらこれから先、アナタのピアノが、アナタの存在がなくてはならないと思う人が出てくるかもしれない。そんな人に出会うためだけでも、アナタはピアノを弾く価値があると思うんです。
正直どうなるかわからない。でも、アナタが存在している以上、アナタのことを必要している人が、この60億の地球上に少なくとも一人は存在する。そうでなければ、アナタは生まれてない。だったら、それが一人か百人か一万人かわからないけど、少しでも「誰か」のために生きてみてはどうかなと思います。
そう、、、誰かのために。その言葉だけを私はアナタにプレゼントしたい。そうである限り、アナタの価値は最大限に輝くのだから。正直、めちゃくちゃ応援しています。嫌いだけど大好きなアナタのことを。


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しょせんは幻想なんだから・・・

お釈迦様が「色即是空」と言うように、世の中ってのは「空」であり、しょせんは「幻想」に過ぎません。だけど幻想は幻想でも、そんな世の中に生きていることは事実。
だとすれば、その「幻想」を自由に書き換えれば、人生はもっと楽しくなると思うんです。そのためにも、まずは「世の中=幻想」であることを知る必要がある。それで半分はOK。その上で自由に「幻想」を描く方法を知れば、人生は思いの通り。
それを一般に「ビリーフチェンジ」と言ったりするのだけど、まさに「幻想」のチェンジです。
例えば「私はできない」と思ってるのも、それは決して真実ではなく、自分で勝手に作り上げている「幻想」に過ぎません。それは「私はできる」と書き換えれば、目の前の現実だって変わります。その方法を汗を滴らせながら伝えて行くのが私の活動です。
ちなみにこんなご感想を頂いています。
今年の最初に、この方のセミナーに行ってから、
なんか目まぐるしく、次々に予定が入ってます((((((ノ゚⊿゚)ノ
嬉しい悲鳴~♪^^
時間ってこんなに早かったっけ…?

いいな~(笑)
この方は「カラーリスト(セラピスト?)」として福岡で活躍中。「カラーリストとしてやっていくんだ!」って「幻想」を描いたら、それだけでなく予定がどんどん入ってくる。世の中ってそんなもんなのです。ようは気持ちひとつ。
この方は9月に12名グループでインドに行くメンバーの一人。標高5,000m以上の高地に向かう。私にとってもこんな高い陸地は初めて。
「幻想」を書き換えるには、、、やっぱり「旅」は良いと思います。私たちが描いている「幻想」がいかに限定されたものかを思い知らされますし。山に登るだけでもいいと思いますよ。近所に「宝満山」って800mちょいの山があるんですが、そこに登頂するだけでも目の前に広がるイメージが変わりますから。それを5,000mともなるとどうなるんだろうか。
ちなみにビリーフ(幻想)を書き換える簡単な方法を教えますね。
ストップ!!!!
今どこ向いてましたか。あ、パソコン見てますか。それか携帯。どっちにしても「視線」は下を向いてますよね。で、次のようにやってください。

立ちあがる
首をのばす

これだけで「視線」が10㎝は上がったんじゃないかな。背筋を伸ばすんじゃないです。背筋を伸ばすとお腹がつき出る形になる。首を伸ばすんです。すると目線は上がるし、姿勢もよく見えます。女性ならバスト一つ分は持ちあがる。
これだけで瞬時に見てる世界が変わるでしょ。それがまさに「幻想」の書き換え。どうせならどっちがいいですか。


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二つの真実

ホーキング博士による「天国も死後の世界もない」という発言は宗教界・科学界で波紋を呼んでいるようですが、実に示唆に富む発言だと感じています。
ただ、ホーキング博士の言うことは2,500年前にお釈迦様が言ったことに驚くほど通じています。お釈迦様の中心的思想は「空」の思想。般若心経にも出てくる「色即是空」の思想です。これを一言で言い現わすと「世の中はすべて幻想だ~」ってこと。イリュージョン。
これは決して観念論に終始する話ではなく、まさに世の中の「真実」です。私たちは前頭葉が発達していますので、言語と記憶を進化させてきました。人はなぜ苦しむのか。それは過去の記憶を未来へと反映させているから。
過去に苦しいと思うことがあったから、きっと未来も苦しいであろう。これが「苦」の正体です。確かに過去の一時点において、痛いとか、悲しいなどの感情をともなったことはあるでしょう。それは認めます。しかしそのことと、今や未来とは何の関係もないこと。
例えば幼少期、犬に追いかけられたとしましょう。雑種の小型犬。その経験によって犬が嫌いになった。だけど、実際に恐怖を感じたのは、幼少期に追いかけられた、あの雑種の小型犬に過ぎないのに、大人になっても「犬」という幻想に怯えているわけです。
そのように考えると「世の中=幻想→空」ってことですべてが片づけられる。ただし、こんな世の中でも二つだけ「真実」はあります。
一つは「人間は必ず死ぬ」という真実です。ここでの死は肉体的な死を意味します。もう一つの真実は、この世の中には「今、ここ」しかないこと。
先ほど言ったように、過去も未来も単なる幻想の産物です。その幻想に現実を投影して世の中を創っている。これが世の中の正体です。しかし、私たちが生きられる唯一リアルな世界は「今、ここ」にしかありません。
この二つ、つまり「人は死ぬ」と「今、ここ」という真実に立脚すると、未来でさえもすべて幻想なのに、死後の世界が現実にあることは考えられません。また、霊界なる世界を主張する人もいますが、それまた「今、ここ」から見れば、やはり単なるおとぎ話。
そもそも「死後の世界」や「霊界」なるものは、苦に生きる人間に対する一種の「方便」として語られる世界に過ぎません。今苦しくても、あの世で救済される。そのような「思想」が人の心を救うことは確かにあったかもしれません。しかし、その「思想」を広げることが、宗教・宗派の拡大に結び付くだけで、人間にとって最もリアルな「今、ここ」を忘れることにつながってしまうこともまた事実です。
ホーキング博士がいみじくも「天国も死後の世界もない」と言ったことは、別の言い方をすれば、「今、ここ」を思い出そうと言うことに他なりません。人間にとって最もリアルな世界を思い出そう。そろそろ既存宗教なるものに頼る必要もなくなっている。人間はそれだけ進化しているんだから。
そんなリアルな現実(真実)に立脚した時、私たちはどのような生き方を目指せばいいのでしょうか。それもまたホーキング博士が私たちに呼びかけています。つまり、、、
自らの行動の価値を最大化するため努力すべき
ということ。「行動の価値」はどこにあるのか。お金、名声、そんなものにあるんじゃないです。自らにおける最高の表現をせよとのこと。それは決して未来で花咲くものではなく、過去に蓄積されるものでもない。
まさに「今、ここ」に最高の自分があるのです。最高に生きようぜ。ホーキング博士が言いたかったのはここではないか。時代は私たちが思っている以上に進んでいるんです。


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アメブロランキングって・・・

5月16日(月)のアメブロ総合ランキングは4646位でした。fc2のアクセス数は260名。それに対してアメブロ内部のアクセス解析は以下のようになっています。
$「信念が人生を創る!」石田久二公式ブログ
細かくは説明しませんが、ご存知のようにアメブロのアクセス解析はデタラメです。それに連動してアメブロランキングもデタラメです。なぜなら無名で更新頻度も少ないブログが、上位にバンバン出てくることもあるから。
ちょっと不思議に思って「アメブロランキング 不正」で検索すると、おなじみのブログが一番上にヒットしました(笑)
アメブロの解析なりランキングはデタラメなので、私は客観的に見て頂ける指標としてfc2カウンターを設置しています。田渕さんも当然そうされています。
名前は言いませんが、ネット業界で有名なある人のアメブロを見ると、更新が一週間に1~2回程度なのに、なぜか総合1,000位以内にいつも入っています。確かにネット業界ではちょっとだけ名が知られていますが、一般的知名度は限りなくゼロ。このようなのは、完全に「不正」をしていることがわかります。
ですので、私のその方のお客さんには絶対になろうと思いません。油断するとメールアドレスを取られて(笑)、DMが一日に何通も送ってくるようになるのですが、問答無用で解除。私はその人を絶対に応援しません。なぜなら、私は「不正」が大っ嫌いだから。
私は不器用でもいいから、愚直に記事を書いていきます。そのうち面白い・役に立つと思ってくれる人も増えてくるでしょう。そうやってまともにやって、そしてランキング上位を目指したいと思います。
当面の目標はfc2カウンターで1,000を突破すること。fc2カウンターはユニークアクセスですので一日に何度も訪問されても、カウントは1です。しかもかなり正確だと聞きます。
fc2カウンターは、私の中では設置しているだけで誠実な印象を受けるツールです。カウンタが上がってなくても、設置してるだけで積極的に応援したくなるブログです(笑)


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