マウスを叩きつけられる男

以前、ある会でこんな話を聞きました。その中にBさんという男性がいたのですが、これまで同一の職種でいくつかの会社を渡り歩いてきたそうなのです。主にパソコンを使う仕事ですが、独立したブースで作業をするのではなく、横一列に数名が並んで形でパソコンを扱う形態です。
ですが、なぜかBさんの隣に座る人は、作業中にマウスを叩きつけるようにガチャガチャするんだそうです。Bさんとしても気になるし、仕事に支障がきたされます。ですが、注意をしても無視されます。
「あの業界は変な人多いですよ」
と、Bさんが言うのですが、私は今までマウスを叩きつけるような人に出会ったことはないし、そんな現場なども聞いたことありません。
「犬に三回噛まれたら、それは少なくとも犬のせいではない」
という言葉があるのですが、どの職場に行っても、隣の人がマウスを叩きつけるのであれば、それは言うまでもなく「業界」のせいではないでしょう。
そしてある重要な事実がそこにあったのですが、Bさんの話を聞いていると、、、どうもイライラするんです。もちろんそれを口に出したりはしません。だけど妙にイライラするんです。もし、私がBさんの隣でずっと仕事をすることになれば、もしかしたらマウスを叩きつけるかもしれません。
そのイライラの原因はどこにあるのか。一つだけ顕著な理由を述べるとなると、Bさんは、他人にほとんど関心がないようなんです。もちろん普通にコミュニケーションはとろうとするのですが、ほとんど人の話を聞いていません。悪気はない。だからこそイライラするのでしょう。
だからと言って、自分のことばかりしゃべるわけではありません。しかし、それ以上に人の話をまったく聞いていないのです。確かにこれでは周りはイライラするだろうと思います。マウスを叩きつけるのも理解できます。
人は口では言ってくれません。だけど、同じようなことがもしも続くのであれば、原因はどこか自分にあると反省するのも大切。そう言えば、以前、年に3回は裁判するって人がいました。一度電話でお話しただけですが、本人は「因縁でしょうか?」と聞いてくるのですが、電話してて感じたのは、その人はそもそも争うのが好きだってこと。
話を戻しますが、人をイライラさせることは簡単。無関心であればいい。だけど、それじゃあ本当は楽しくないので、少しでも人に関心を向けることからスタート。その一つが「聞く」ってことだと思うのです。Bさんは今どうしているだろうか・・・


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切り札を奪われた男

学生時代こんなことがありました。私は大学相互のあるサークルのような集まりに所属しており、そのサークルのリーダー的存在に別大学のAって男がいました。
ある日、サークルでイベントを開くことになったのですが、なぜかそのイベント当日、Aは参加できないと言うのです。今まで一番頑張ってきたはずのAが。理由を聞いてみると、その日は習い事の稽古があるんだそうです。
その稽古がどの程度大切なのかは知りません。だけど、稽古自体は何も特別なことではなく、週に何度かは通っていたもの。大会が近いわけでもないし、別段、休んだところでどうってことないようには思いました。
ですが、私に対して、その稽古を休めない理由をしつこく何度も言ってくるのです。最初のうちは、「オマエがおらな始まらへんやろ!」と言って、引き留めようとしたのですが、何度もしつこく参加できないと言うので、そのうち飽きてきて「わかった」と返事しました。
そのイベント当日、言っていた通り、Aは来ませんでした。だけど、、、そのイベント自体は大成功でした。その後、当然、打ち上げをします。その時、ふとAがやってきました。一応、打ち上げ会場だけは教えていたのです。最初は来ないと言ってたのですが、突然、現れました。
一応、Aに向かって「おお~!」と言って挨拶はするのですが、すぐにイベントの話で盛り上がります。必然的にAは取り残されます。私はちょっと遠くの大学だったので、最初からメンバーの家に泊めてもらうことになっていました。Aはすぐ近くに住んでいるにもかかわらず、ついてきました。
少人数になって飲み直しなんですが、Aが口を開きました。「オレがいなくてもできたみたいね」、と。私は言いました。「Aがおらんでもなんとかなった」、と。
そこでAがいきなりぶち切れ。と言っても、静かに、しかも悲しげにぶち切れ。
「そんな言い方せんでもいいやん」
つまり、Aはイベントの数日前から、壮大な計画を進行していたのです。イベントに参加しないことを告げることで、「オマエがおらな始まらへんやろ!」と何度も言ってもらう。だけど、意外と私が早くに引き上げたので、今度は当日に「やっぱりオマエがおらんかったから大変やったぞ」と言ってもらうことに作戦変更。
だけど、最終的には大盛り上がりに取り残されるハメとなり、つまり「切り札」を奪われた形になったのです。
いったいAは何をしたかったのか。簡単です。Aは単に「自己重要感」を満たしたかったのです。人は自分が重要であることを認めさせるために、様々な企てをしようとします。それはもちろん私もそう。
ミクシィやフェイスブックの「イイネ」のボタンは、まさに「自己重要感」を満たすためのツール。フェイスブックはそれで躍進したと言われ、ミクシィも即座に導入(パクリ)。再び躍進が始まりました。
つまり人間ってのは「自己重要感」をどうにか満たすことに必死で、そのためには多少の犠牲も厭わない性質がある。Aにしても、本当であればみんなと一緒にイベントと打ち上げを楽しめばよかったはず。だけど、彼は自分で思っているほどリーダーとしての「自己重要感」を満たせてなかった。
そこで最後の手段として「イベント不参加」というカードを引いたのです。だけど、しっかりと打ち上げには参加する。そして最後の最後の望みをかけて、自分の必要性をアピールしようとするのですが、いなくても大盛り上がりで、まるで翼をもがれたように消沈してしまう。
素直じゃない。ひねくれ者。それは本人もわかってるのだろうけど、なんとかして「自己重要感」を満たしたいと思い、強硬手段にでたのだけど、それも打ち砕かれた。
でも、そこに人間としての、大切な何かを見た気がしました。


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もしも出会い系サイトでHしまくってる男がネットビジネスに手を出したら

ブラマヨ小杉を見ていて、前々から「誰かに似てるな~」と思っていたら、思い出しました。今から10年ほど前、、塾講師をしている時の同僚講師の一人です。彼は当時30代前半だったと思います。顔もそうですが、何となく雰囲気も似ています。
そのようなキャラだったので、生徒にも人気がありました。ところが、自分の講義が休みの時間、机に向かってひたすら携帯をいじっているのです。何かと言うと「出会い系サイト」にハマっていたのです。何となく興味本位でやっていたそうで、最初は全然うまくいきません。
だけど、続けているうちに、1ゲット、2ゲットと成功率を高めていくのです。目的は当然「H」です。そのうちにコツがわかってきたのか、次々とゲットしていき、何となく「H」そのものよりも、「ゲット」するまでの駆け引きを楽しむようになっていたようです。
最初のうちは、今回のはこんな女だったあ~だこ~だと飲みながら嬉しそうに語っていたのですが、そのうち「攻略法」へと興味そのものが変わっていき、話の内容もそっちへとシフトしていきました。
ゲットするまでの手段は携帯サイトのみです。私はよく知らないのですが、専門サイトに登録などして、そこから直メールへと誘導し、直接会うところまで持って行くそうです。お互いの目的は基本的に一つなので、後腐れのない遊びができるのでしょう。ただ、相手が本気になったり、時には美人局のようなケースにも遭遇したことはあるそうです。ちなみにその彼は妻帯者です。
それはともかく、ゲットまでのプロセスは基本的に「メール(文章)」のみです。つまりテキストだけで、相手をその気にさせる。正直、「H」が目的の男など、たとえ利害が一致していたとしても、リスクは決して小さくないと思うのです。だけどそのような壁をテキストだけで乗り越え、成功率を高めていく姿は、目的さえ違えば極めて有能な営業マンになるだろうと感じさせました。
もしも出会い系サイトでHしまくってる男がネットビジネスに手を出したら(もしネト)・・・おそらくものすごい収益を上げると思うのです。ネットビジネスの基本はいかにしてテキストを読ませるか。そのためには相手(潜在顧客)の「心」がわかっていなければならない。
出会い系サイトでもそう。女性の「心」をつかむ文章を書かなければ攻略できません。目的は違えども、成功には何か共通するものがあると感じました。ちなみにその彼は、塾講師(専属)の給料があまりに安いため、副業でマルチビジネスを始め、瞬く間に軌道に乗せることができたようです。
その彼と同じ塾で働いていたのは9か月ほど。それ以降はまったく連絡も途絶えていますが、おそらく何かをまともにやっていたら、間違いなく成功していると思うのです。
商売であれ、Hであれ、基本は相手の気持ちをつかむこと。目的を明確にして、信念を持って突き進む。成功法則を王道を走っていたのだと、今なら素直に感心しています。


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「受け入れる」ってこと

今、ちょっとだけセンチになっています。今しがたミクシィの「共通の知り合いかも」ってコマンドが目に飛び込んできて、何気のそのIDをクリックすると本名が書かれてたので、どなたかすぐにわかりました。
もうここ数年はお会いしていない。10年くらい前は何かと気にかけてもらって、飲みに連れてってもらったこともある。年齢はもう50になるのか。その方には息子さんがいらっしゃいます。以前は何度もお見かけしたのですが、その息子さんは先天的な障害を持っており、しかもその症状は年々重くなる。
お見かけしていた当時、もう5年以上前かな。そう言えば、その子が中学生の年齢になろうって時、塾や制服の業者からDMが届くたび、切なくなるって話を聞きました。うちの子には関係ないのにって。
今、その方のブログを読みました。すでにほとんど自呼吸ができなくなって、喉を切開して呼吸器を付けているとのこと。ウイルスや雑菌があるので外にも出られない。そしてここ数年は手足も動かなくなっている。以前は不自由ながらも、多少は身体を動かしていたのですが。
知り合いから「進行を遅らせることはできないの?」と聞かれて、淡々と「できない」と答えた自分自身に驚いていたようです。
その子が生まれてから20年。もう、普通の人の人生10回分は涙を流したんだと思うのです。20年間、夫婦で協力しながら(ご主人もよく知っている方です)、現代医学では決して治るどころか進行を遅らせることもできない障害と向き合うだけ。
それでも時間が経ち、月は過ぎて行く。幸い私の子どもは元気で、ほとんど苦労をかけることもありません。でも仮に何らかの原因により、苦労をかけるようであったとしても、今と同じように愛すると思うのです。
だけど子どもができる前は、先天的な障害のある子どもを持つことは「大変」なんだろうな~と思っていました。もちろんそうでない子どもよりも大変は大変だと思うのです。だけど子どもに向ける愛がそれで変わるかと言うと、決してそうではない。それは実際に親になって実感できることだし、おそらくその知人のご家族も、大変以上の喜びを感じることもあったのかな。
他人事のように聞こえるかもしれませんが、そんなことはありません。自分のことのように感じます。そのような状況を「受け入れる」ことができるかどうか。以前は考えたと思いますが、今ならば当たり前のように受け入れられるでしょう。
理由は簡単。我が子だから。それ以前に命だから。アナタがアナタである以上の理由はこの世に存在しないのです。
以前、このようにもお話していました。息子が自分より長く生きることはない、と。医学的見地からそれはそうなのかもしれません。だとすれば、一日、いや、一分一秒がこれほど家族にとって尊いことはないでしょう。
同じ一分一秒であっても、その瞬間に対する思いの深さは、決して周囲と同じではない。そして人間の価値は、その瞬間、瞬間をどれだけ生き尽くすかにかかっていると思います。
同じ一分一秒。その瞬間の尊さ。実際、突然の津波で多くの命が失われたことは、決して他人事ではありません。つまり、いつ何時、私自身もどうなるかわからない。決してわからない。だけど、今この瞬間を生きることにおいては、今から50年生きようが、5分後に閉じようが、変わることがありません。
しっかりと生きる。ただ、それだけでいい。それだけがこの地球上の60億の人類に与えられた使命であり価値。その価値は今まさにこの瞬間にある。
今、ふとそんなことを思いました。


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コミットメントの不必要さ

最近、いろんなアメブロを見ることが多いのですが、中には不思議なブログを見かけることがあります。
例えば、、、
「アクセスアップの方法教えます!」
→せめてfc2のカウンターで自分のアクセス数を開示して欲しい!
「お金のブロックを外して収入アップ」
→その前にアナタがブロックを外す必要があるんじゃない!
「パワーブロガー田渕さんの教えでセミリタイヤ」
→田渕さんの教えって言うなら、まず広告外せよ!
「金運!開運!恋運!を劇的に上げる方法(byツイてるラッキーボーイ)」

→本当に運のいい人は自分で「ツイてるラッキーボーイ」とか名乗らんって!

「一瞬で輝くモテ男に大変身ブログ」
→オマエ、絶対モテないよな!
てな感じで、ブログで発信していることと、書いてる本人とが、明らかに一致してないようなブログをよく見かけるのですが、絶対に読みたくならないです。
それから多いのが、「これから成功するので見ていてください」的なブログ。成功してからならいくらでも見させて頂きますので、それからでもいいじゃないでしょうか。
ただ、その人が「連帯保証人で借金5000万円がある日突然やってきてとりあえず中国で腎臓を一つ売ったけどまだまだ足りないのでアメブロで人生逆転します」的なバックグラウンドがあったらめちゃくちゃ読みたくなりますよね。それがマジである限り、すっげえ応援したくなるし。
ちなみに今まで、「成功してからQさんに会いに行きます」的なメールを頂くことが何度かありましたが、まだ誰も会いに来て頂いてません。逆に、「現在、慶応大学を目指して1浪中ですが、大学に入ってまずやりたいことは起業家の仲間探しです。そして25歳までには会社を上場させて・・・云々」ってなメールが来て、そのためには「潜在意識の活用法を学びたいのでセミナーに参加してもいいですか?」って申し出を頂いたことがありましたが、愛を込めて「まずは慶応大学に入学してください、それからお待ちしております」とご返事を出しました。もう2年以上経つのですが、まだ連絡がありません。
確かにコミットメントは大切だと思うのですが、中には「コミットメントをすること自体で目標達成した気分になっている」ってケースもあり、必ずしもコミットメントのすべてがいいわけじゃない。
もしもコミットメントするのであれば、それをしなければ自らにペナルティを課すことを客観的にわかる証拠と共に宣言するといい。
例えば「これからタバコを吸ったら、一本につき一万円を寄付します」などと公に宣言して、周りからもしっかり管理してもらう。その方が単に「禁煙します」よりも実行力が高いでしょう。
ブログの話に戻りますが、要するに「未来形」のブログとか誰も読まないし、続くわけもないのです。ブログを書くのなら、「過去」か「現在進行形」の話に限ります。実際にしっかりと実績を積んで、そのノウハウを公開されるのであれば、誰だって読みたくなりますからね。
その点で言うと、やっぱり「パワーブロガー養成講座」のブログは実績・内容ともに申し分ありません。それから、来週、「美塾」なる大胆不敵なネーミングのイベントがあるそうなんですが、やってる人たちが「美」でなければまったく意味がない。だけど、その点で言えば、こちらの方は何度もお会いしていますが、申し分なく「美」ですので信頼できますよね。

読者は未来へのコミットメントが読みたいのではなく、きちんとした実績に基づいたノウハウが読みたいだけなのです。


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