■奇跡の秘訣

こんばんは、石田久二です。
スティーブ・ジョブズの伝説のスピーチの中で「自分が本当にやりたいことをやりなさい」という話がありました。つくづく至言だと思います。そして同時に、本当に自分の好きなことしか続けられないのもまた事実だと思います。
私が2005年に会社を辞めてから、それこそ物販もやったり、委託業務もやったし、飛び込みもやった。だけど、今でも続いていることは、二つしかありません。それは「書くこと」と「話すこと」です。
「書くこと」については、毎日のブログがまずそうだし、本も出版させて頂きました。今後も出していくと思います。「話すこと」については、セミナーや講演、コーチングがそうです。ただし、私は何一つ「資格」と呼ばれるものを持っていません。
一応、コーチングを仕事としてさせて頂き、それなりにクライアントを持っている方だと思います。しかし、多くのプロコーチが持っているような、認定コーチ資格はないし、そもそも専門的なトレーニングを受けたこともありません。
だけど、私はコーチングと意識せずとも、人と話をすることは好きだし、それによって貢献することに喜びを感じています。セミナーも同様。そもそも人前でしゃべることは好きだし、それによって参加者に貢献することに喜びを感じています。
また、本の出版や雑誌等の取材についても、正直、突出した実績などもなく、よくぞお声をかけて頂けるな~と自分でも不思議に思うことがあります。ほんと、運がいいと思っています。
しかし、振り返ってみると、単に運がいいだけでもなく、単なる偶然ってことでもありません。人からいろんなチャンスを頂いたりするのも、結局のところ、「本当にやりたいこと」であり、そのことを愛してるからだと思うのです。
例えば私は毎日、ブログを書いていますが(「宇宙となかよし」というタイトルの方)、もしも10億円あげるからブログを書くのをやめろと言われても、「NO」と即答するでしょう。10億円やるからセミナーや講演をやめろと言われても同様。
「書くこと」や「話すこと」について、私は愛してるんだと思うのです。それは自分の家族(特に子ども)と同等に愛している。もちろんブログと子どもだと子どもの方が上位ですが、心から愛してることには変わりません。
独立してから今までの流れを見ると、まさに「運」や「奇跡」としか言いようのないことばかりなんですが、それを説明するための秘訣は、やっぱり「愛」なのです。これからも本当に愛することを続けていきたいと思います。



<○×計画10>5/7(×早起き、お菓子食べない)
<愛>何も言われずに、すすんで洗いものを手伝いました
<感謝>インドから帰って初めての日本風カレーを食べ、とても美味しかったです


カテゴリー: |―くじけそうになったら | 2件のコメント

■私の問題解決法

こんばんは、石田久二です。
以前「ダブルバインド」って話をしました。わかりやすく言うと、「どっちに転んでもダメ」って状況。例としてお話するのが、例えば「怒らないから本当のことを言いなさい!」と怒りながら子どもに言うお母さん。状況から、本当のことを言っても怒られるし、言わなくても怒られる。どっちにしても怒られる状況。これをダブルバインドと言います。
他の例としては、仕事のできないAさんをリストラしなければ、銀行からお金を借りられなくなる状態。Aさんをリストラしたら経営改善が認められて銀行は金を貸すが、しなかったら金が借りられず、早晩、会社は傾く状態。Aさんはどっちにしてもその会社から去るしかなくなる。Aさんはどっちに転んでもダメなので、これもダブルバインド。
そのような板挟み状態から脱出することは、とても難しい。だけど、経営に限らず、人生の問題とはすべからく「ダブルバインド」の状態に起因する。この状態から解放されるにはどうすればいいか。
私なりの方法はこうです。家から車で30分ほどのところに標高840mの「宝満山」という山があります。修験の山として有名で、福岡市民の憩いの山でもあります。私はしばしばその山に登ります。急こう配の階段が延々と続くので、かなりの健脚向け。富士山よりキツイと言う人もいます。
その山に麓から一時間ちょいかけて登ります。そして頂上で一服するのですが、そこで自分の家の方角を向き、問題に悩んでいる自分の姿を見つけます。もちろんそれはイメージ上の自分。
ずっとその姿を見ていると、いかに自分が小さな存在かを実感し始めます。十分に実感することができれば、ゆっくりと下山します。すると突然、問題解決の方法がひらめくのです。
メカニズムはこう。ダブルバインドとは「A」を取っても「B」を取ってもダメな状態。でも、どっちかしか選択肢がないと思い込んでいる。そんな時、AとBの両方を俯瞰的に見つめることのできる「C」のポジションに立ってみる。今の例では宝満山の頂上がCのポジション。
すると今まで考えもつかなかったアイデアがしばしば閃くのです。NLP(神経言語プログラム)の創設者の一人であるロバート・ディルツ氏は、この「C」のポジションのことを「神の視点」と呼んでいます。人は誰でも「神の視点」に立つことで、問題が問題でなくなるのです。



<○×計画9>5/7(×早起き、お菓子食べない)
<愛>保育園の運動会のお手伝いをさせて頂きました
<感謝>運動会で、ちびQの成長する姿に改めて感謝することができました


カテゴリー: |―リフレーミング | 2件のコメント

■1年を過大評価する人

こんばんは、石田久二です。
確かアンソニー・ロビンズの言葉だったと思うのですが、私の座右の銘の一つとしてこんな格言があります。
「人は1年を過大評価し、10年を過小評価している」
つまり、何かモノにするのに人々はとかく早く結果を出したがります。1年ならいい方で、半年、3か月、いや1週間ほどで結果が出るよう急ぎます。典型的なのはネット起業など。とあるネット起業家の話によると、ネットで稼ぐのはやり方がハッキリしてるのだから、適切なやり方を学んでその通りに実行すれば、半年足らずである程度の収入になる、とのこと。
ネットの場合は足が早いので、半年も続ければ結果がでるそうなんですが、それでも半年続ける人がほとんどいないのが実状。1か月もやって結果が出なければ、別の手段に鞍替えする人がほとんど。
でも、本当は一つの商売をモノにするには10年は必要だと言われています。先ほどの格言の話ですが、一つの商売を極めるのに、1年やそこらでは不十分。だけど、10年も同じことをやり続ければ、相当な位置にいることは明白。
私自身、独立して6年ほどになり、セミナー・研修を始めてから4年。まだまだペーペーではありますが、3年続ければその後も続けられるとの説もありますので、このまま10年続けると自分でどうなってるか楽しみではあります。
そう言えば昔、こんな話を聞いたことがあります。
「10年間、毎日、日記を書き続けている人に、大成しない人はいない」
日記を書くことは自分との対話でもあります。つまり10年間、自分自身としっかり向き合っている人が、成功しないはずはないということなのでしょう。それは今ではブログやメルマガでもいいと思います。
私はブログに関しては今年で7年続けています。あと3年もやれば、それもまたどうなっているか楽しみです。よほどの才能や経験がある人でもない限り、一年やそこらブログを書き続けたところで、見えてくるものは限られているでしょう。しかし、どんな素人でも、10年続ければ相当なものが見えてきます。
それは7年続けた今はもちろんですが、3年も続けた頃には、その可能性の大きさに驚いた経験があります。仕事も趣味も、とにかく10年はやって見ると、驚くほどの高みに達していることは間違いないでしょう。
ブログも仕事も、まずは10年選手目指して毎日コツコツやって行きたいと思います。



<○×計画8>6/7(×早起き)
<愛>駅まで送り迎えと、家の手伝いをさせて頂きました
<感謝>今日も早起きに失敗し、つくづく自分の弱さに反省するきっかけを頂きました


カテゴリー: |―信念の強化 | 4件のコメント

■シンクロニシティのメカニズム

こんばんは、石田久二です。
精神世界の本などに、よく「シンクロニシティ」なる言葉が出てきます。日本語では「共時性」などと訳されているようですが、そのままカタカナの方がわかりやすいでしょう。詳しく説明すると、「偶然とは思えない必然的な一致」となるのでしょうか。
よく例えに出されるのが、ちょっと思い出して電話してみようと思った人から、急に電話がかかってきたなど。また、やりたい仕事があって求人を探していると、突然目の前に募集広告が現れた。今年インドに行きたいと思っていたら、インドに関する情報が次から次へとやってくる。
そんな時、「シンクロだ~!」と言ってあたかも運命的な何かに導かれてるように振舞うのでしょうが、確かに不思議な偶然もないとは言わないけど、カラクリはとても簡単。つまり「いつも思っていることは知覚しやすい」ってこと。
しばしばセミナーでもやる簡単なワークがあるのですが、今から書くことをちょっとやってみてください。

1.目を瞑ってください(後ででいいです)
2.そのまま、「赤いもの」が部屋にあるか思い出してください
3.10秒ほど「赤いもの」を思い出そうとして、目を開けて360度を見まわして見てください

ほとんどの人が、部屋の中にある「赤いもの」を目にしたのではと思います。まるで「赤いもの」が向こうから飛び込んでくるかのように。これがまさに「シンクロニシティ」の原理です。
つまり、就職活動をしている人は、「求人募集」の広告がやたらと目につくし、インドに行きたいと思っている人は、インドに関する情報がやたらと目につく。実のところ、情報としてはロシアに関するものだって決して少なくない。だけど、ロシアへの関心か行く予定でもなければ、どこにそんな情報があったか思い出すことはできないでしょう。
カラクリがわかってしまえば、その神秘性も薄れ、あまり面白くなく感じる人だっているかもしれませんが、ようはいつも思っているものが現実として引き寄せられるだけのこと。それは良いも悪いもありません。
そしてその「引き寄せ」を最も確実にするのが「質問」です。「どこかに仕事がないだろうか?」と質問していたら、そのための情報に自然と目が向きやすくなります。私は最近、次の二つの「質問」をしながら一日を過ごしています。
それは、
「私は今日、何を与えることができるだろうか?」
「私は今日、何に感謝することができるだろうか?」

の二つです。するとどうなるか。例えば今日は子どもと公園に行ったのですが、普段は目に入りにくいゴミが次々と目に付くようになります。そして拾うしかなくなります。それは「与えること」の一つです。
また、朝起きて滝に行く際、日の出の光を見ただけで、すごく感謝したくなります。これは言うまでもなく「感謝すること」の一つです。
つまり「与えること(愛)」と「感謝すること」について質問によって思いを寄せていると、それに相当することが自然と引き寄せられる。そしていつの間にか「愛と感謝」の体質になってしまうのです。
どうせなら、良くないシンクロを引き寄せるより、自分にとって都合の良いシンクロを引き寄せる習慣を付ける方がいいと思いませんか。秘訣は「質問」です。



<○×計画7>7/7
<愛>公園で目に付いたゴミを拾わせて頂きました
<感謝>今朝も気持ち良く滝に打たれ、朝一番のお日様の光を頂くことができました。


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■クオリアとしてのジョブズ

こんばんは、石田久二です。
今日はスティーブン・ジョブズ氏のニュース一色でした。私はマックユーザーでもないですし、iphoneは活用してるけど、いわゆるアップル信者を自称する方々よりは、ジョブズ氏への思い入れもないはずなんです。だけど、お亡くなりになった一報を聞いた時、正直、心身がフリーズしました。
それと共に、いろんなことを思い出してしまったので、思わずフェイスブックに投稿。

我が家(石田家実家)にパソコンが初めて来たのは、確か小学4年くらいの時だったと思う。当時はマイコンって呼んでた。
従兄弟の家にNECのPC8801があり、一つ上の兄貴がそれに興味津々で、従兄弟の家に行くのをいつも楽しみにしていた。そして従兄弟の家にあるパソコンの本などを借りては、プログラム(ベーシック)の組み方を独習し、ノートに書き綴ったプログラムが作動するのを空想上でいつも楽しんでいた。
そんな兄貴の姿を見て不憫に思った親父は、まもなく従兄弟の家にあったのと同じPCを買ってきた。おそらく当時で20万円は下らなかったと思う。ディスプレイは緑色。カセットテープでプログラムをセーブ。8ビット。今では考えられないスペックだけど、兄貴は当然、それに夢中になった。
あらかじめ書き綴っていたプログラムが実際に作動するかを一つ一つ確認しながら、ゲームをする以上に、次々とプログラムを組んで楽しんでいた。そんな姿を見た小1の弟は、勝手にベーシックをマスターしてしまい、二人で次々とゲームを作っては楽しんでいた。
どちらかと言うと数字より文字に強い(単に数字に弱い)私は、弟の作ったゲームに解説文を加えて、「ベーシックマガジン」なる雑誌に投稿。それが採用されて印税として税抜き9,000円をもらった。たぶん確定申告はしてないと思う。
そんな弟も今では某大企業のエンジニア。兄貴も某法人でのシステム屋。私は、、、書いてしゃべるのが本業。小学生の時にすでに将来の方向性が決まっていたのかもしれない。
それはそうと、PC8801で遊んでいる当時、アメリカにすごいゲームがあることを雑誌で知る。その名は「ウルティマ」。実はこれ、後に流行るRPGのベースとなったゲームで、ドラゴンクエストもファイナルファンタジーも、ほとんどがウルティマのパクリ。
しかし当時、PC8801ではウルティマはプレイできなかった。そのゲームをするには、、、アメリカのハードウェアが必要であった。そのハードウェアの名前が、確か、、、アップル。
アップルにはウルティマだけでなく、とんでもなく魅力的なソフトが並んでいた。いつか必ず、、、アップルを買うんだ、と三兄弟は誓い合ったが、まもなく16ビットのPC9801が家にやって来て、さらには日本のハード・ソフトが激しく進化し、いつの間にかアップルの存在は無きものさえなっていた。
それから約10年後。ウィンドウズ95が発売され、IT革命が巻き起こった。時代はウィンドウズ。だけどそれは、、、実はあるハードウェアのパクリであることを知る。そのパクリ元の名は、、、アップルのマッキントッシュ。
ウィンドウズの陰に隠れて、いわゆるマックユーザーからはしぶとく愛用されていた。そのうちなくなるだろう、、、なんて思ったりしたけど、それは完全なる見当違い。やっぱり「本物」は残った。
結局、マックユーザーになることはなかったが(今後はなる可能性大)、今、手元にあるiphoneだって、今さらながらアップルじゃん。幼き日に、いつ必ずアップルを手にしてやる、、、と心の誓ったのは、知らず知らずに実現していた。
そんなことを思い出しました。。。


それから急きょ、ニコニコ動画で「ジョブズ追悼番組」が放送されたのですが、その中で脳科学者の茂木健一郎氏と元マイクロソフト副社長の西和彦氏のバトルがハイライトとなっているとのこと。
茂木氏もいわゆるアップル信者であって、マイクロソフトへの悪気はないのだけど、つい感情が高ぶって「ウィンドウズ大嫌い」とか言ってしまったのでしょう。その言葉に西氏が食ってかかってわけですが、そのような「大人のケンカ」を呼び起こすのもまた、ジョブズの魅力なんだと思います。
アップルにはアップルとしての独特のクオリア(質感?)があって、それに人々は魅了される。理屈じゃない。ウィンドウズには確かにクオリアとしての魅力は劣る。そんなニュアンスだと思うのです。
そこにマック信者でもない私に、「ジョブズ死去」のニュースを聞いてフリーズフリーズさせた何かがあるのでしょう。56歳の早すぎる死。少なくともあと30年は活躍して欲しかった。でも、夭折するのもまた天才の宿命なのでしょうか。
その破天荒な生き方も含め、ジョブズこそが現在のモーツァルトになり得たのだと感じます。ご冥府をお祈り申し上げます。


<○×計画6>7/7
<愛>来客の方にお茶をご馳走させて頂いた
<感謝>滝行を開始して、ちょっと弱っていた喉が治り、ますます喉が強くなっているのを感じる


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