■モテる男のリトマス紙

おはようございます、石田久二です。
とあるサイトで話題になってた4コマ漫画。モテる男はわかるらしい。「女子の気持ち」を理解できるってことかな。
$「信念が人生を創る!」石田久二公式ブログ
私の解釈は、、、傘だと手をつなげずキョリが出るから? 単純すぎ? 女子の解説求む。


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■運命を信じる人

こんばんは、石田久二です。

精神世界(スピリチュアル)に関心のある人の中には「運命」を信じる人が多いように思います。かく言う私もその一人であり、人にはそれぞれに決められた「運命」があり、そのストーリー上で生きているに過ぎないと考えています。

しかし、幸か不幸か、私たちはその「運命」を知ることができません。過去を振り返って「運命だった」と思うことはできても、これから未来に起りうる「運命」を知ることは絶対にできません。もちろん過去の経験から未来を推測することは可能だし、当たることだって稀ではありません。

しかし、いかなる人であっても、自分や他人の未来を100%知ることはできません。そのような事例が一つでもあれば教えて頂きたい。そして自分の「運命」を知ることはできないことは、誰もが薄々わかっていること。それでもなお、多くの人は「運命」を知りたがります。

そこで占い師や予言者と呼ばれる人の元へ駆け寄り、少なくない費用を払ってでも、決して知ることのできない「運命」を知ろうとし、一喜一憂します。確かに「当たる」ことはあります。しかしその「当たる」メカニズムは大まかに二通り。

一つは極めて曖昧な運命に対して、自らがそれに事実を当てはめようとするパターン。例えば「あなたは人間関係で悩むことでしょう」と言われたら、例えば夫婦関係、職場関係、友人関係など、自分の身に起っている具体的なケースを当てはめ、「当たった」とみなしてしまう。そもそも人間関係に悩んだことのない人を探す方が難しいはずなのに。

そしてもう一つは、言われた運命を信じたいがために、無意識的にもそれに近い行動を取ってしまうこと。これは血液型占いにもよく似ていて、「A型」と言うだけで、一般的なA型の性格をトレースしてしまうようなもの。A型は几帳面だと言われてるので、A型である自分は几帳面だと一般化し、無意識的にもそのように振舞ってしまう。

「あなたは生涯独身である」と言われたら、言われた運命を信じたい人は、恋愛や婚活を放棄してしまい、その結果、運命通りの人生を送ってしまう。もちろん場合によってはいいこともあります。「あなたはナポレオン・ボナパルトの生まれ変わりだ」と言われた、あるうだつの上がらない男が、それを機に、ナポレオンの伝記を読みそのように振舞ったところ、人生が一変し大成功を収めた話もあります。

以上の二通りのパターンなどは、確かに「当たる」と思わせる効果があるため、ますます「運命」を強く信じるようになるのでしょうが、メカニズムは以上のように単純です。また、中には自分で勝手に運命を決めてしまうパターンもあります。

例えばある異性を好きになったとしましょう。その人の誕生日は1月17日であり、自分の誕生日は7月11日だった。裏表逆のシンメトリーであることから、その人は運命の人だと勝手に思い込む。しかし、そのようなケースで恋愛成就することはほとんどありません。そもそも相手が自分の好意を寄せているでなければ。

つまり何が言いたいのか。「運命」は確かにあるかもしれない。しかし、私たちは決してそれを知ることができない前提に立つと、「運命」に惑わされて生きるのはやめましょう、と言うこと。。勝手な解釈で運命の人と思い込んでも、それが成就されなければ落ち込みが深くなるだけ。

むしろ、勝手な解釈による「運命」は自分のエゴから発生していることが多く、実は自分のエゴに振り回されてるだけなのです。「運命」はある。だけどそれは起ってみるまでわからない。ゆえに起ってしまったことこそが「運命」だと受け止めればいいだけ。
エゴが設定した「(偽の)運命」に翻弄されるのではなく、起ったことを素直に受け止め感謝する。そんな生き方の方が自然だと感じています。



<○×計画14>6/7(×お菓子を食べない)
<愛>洗い物をすすんでしたことくらいしか思いつきません
<感謝>今朝は早起きができて、気持ちのよい一日を過ごさせて頂きました


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■オ〇禁のススメ

こんばんは、石田久二です。

私はいつも車の中で音楽か音声セミナーを聞いています。その割合は3:7くらい。音楽の時はジャズかラジオのクラシック。音声セミナーは大量のMP3音源をCDに落として、それをランダムに聞くことが多いです。今日はナポレオン・ヒルの「巨富を築く13の条件」という本を音声にしたCDを聞きました。

この本自体は名著「思考は現実化する」の焼き直しのようではあるのですが、ともに他のビジネス書にはあまり見られない項目があります。

それは「性エネルギーの転換」について。人間にとって最も強い情動は性衝動であり、成功者は例外なくこの情動を他の創造的なエネルギーに転換し活用しているのがここの趣旨。極端な言い方になるかもしれませんが、成功者の特徴はまず「性欲が強い」ということ。そしてそれを創造的に活用している。

確かに、特に男性の性衝動の強さは、他のいかなる衝動を上回る、最大のモチベーションであると言えます。特に若い頃は、寝るよりも、食べるよりも、性の衝動の方が遥かに強い場合があります。ナポレオン・ヒルが言うには、世の中で成功した人の多くは、40歳を過ぎてからであり、その理由として、若い頃に比べて衝動をコントロールすることができるからだと。

もちろん若くして成功する天才も数多くいますが、「普通の人が創造力を大債に発揮できる」のは、40歳以降であるとのこと。これは確かに「実感」としても理解できます。

今の世の中、性衝動を満たすことは非常に簡単です。パートナーがおらずとも、そのような衝動を処理するサービスはあふれているし、さらに自己処理するメディアも発達しています(インターネットなど)。

しかし、その湧きあがった性衝動を、俄かにも処理してしまうと、満たされた気持ちで、しばらくは何もする気が起らなくなります。若い頃は頻繁に湧き上がる衝動を、すぐに処理してしまう。ナポレオン・ヒルはそれをエネルギーの浪費と言っています。

恥ずかしながら、私自身も10代から20代、30代になってからも、しばしば性衝動を浪費することがありました。言い訳するなら、それは自然の摂理であり、私だけに限らないとは思いますが。そしてその頃はごく普通のサラリーマンでした。

そして、そのような浪費癖を制御するきっかけとなったのは、今から6年前のこと。趣味で始めた「滝行」も修行が深めると一定期間の「行」に入ることが許されます。それは7日間、21日間、100日間、1000日間など段階があり、私が33歳に入る直前、サラリーマンでありながら21日間の「行」に入りました。

その間は毎朝の滝行に加え、肉、酒、そして一切の性行動が禁止されます。つまり一人で処理することも禁止なのです。思春期に処理方法(いわゆるマス〇ーベ〇ション・オ〇〇ー)を覚えて以来、21日間もの禁欲をしたことはありませんでした。

そしていざ、やって見ると3日もすれば煩悩の嵐がやってきます。仕事も徹夜続きで猛烈に忙しいにもかかわらず、考えることはそのことばかり。同時にいかに自分は性衝動に支配されていたかを知るようになります。そしてそのような状況が続きながらも、21日間の行を終わらすことができ、その数日後、会社を辞める決意をしました。

さらにその翌年、21日間から100日間の「行」にも挑戦。しかし、初めての21日間では最後の最後まで煩悩・衝動に悩まされていたのに、100日間の際、30日も過ぎる頃になると、それも収まり、次第に自分自身でコントロールしている実感が出るようになったのです。

そしてその後も7日、21日の行を繰り返し、年間100日程度の「行」をするようになって7年。今では性衝動をコントロールすることにも慣れ、気が付くと、確かにビジネスやその他のことへエネルギーを向けることができるようになっています。

ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」では、「性エネルギーの転換」を強調しながらも、その具体的な方法については一切説明されていないのですが、一つ言うと、ようするに「ほどほどに」ってことなのでしょう。そして時には意識的に「禁欲」してみることも必要。

 
ただ、私の場合は21日間の禁欲であっても、滝行とセットなので続けられるのであって、何もない状態で続けられる自信はあまりありません。しかし、ナポレオン・ヒルの言うように、成功者は誰もがその方法を自分のものしている、と言うように、それぞれのやり方で、そして自分自身で気づき実践するものであれば、私にとってそれは「滝行」だってことかもしれません。

そして今、10月1日からスタートした「21日行」も半分を過ぎました。満行は22日になりますが、エネルギーがどのように転換されているのか楽しみです。



<○×計画13>4/7(×早起き、体重測定、腕立・腹筋)
<愛>(常に考えて入るのですが)あまりでてませんでした
<感謝>セミナーのお申込みを次々頂いています


カテゴリー: |―信念の強化 | 2件のコメント

■夢をかなえてドラえもん

こんばんは、石田久二です。


最近、2歳4か月になる息子(ちびQ)が「ドラえもん」に夢中です。話の内容を理解してるかわかりませんが、ドラえもんをつけると喜びます。「どらえも~ん」とか「じゃいあ~ん」とかは言えるのですが、のび太のことは「た~」と呼びます。


ただ、私たちの世代だと、ドラえもんと言うと大山のぶ代のダミ声であって、今のようなちょっと可愛い声のドラえもんはどうしても違和感がありました。絵柄も全体的に洗練されて、例えばのび太の髪がなびく様などは、旧ドラえもん世代からすると何となく許せない感がありました(笑)


ついでに言うと、私はかなりのドラえもんフリークです。てんとう虫コミックで出ているドラえもんの範囲であれば、知らない話はほとんどないと自負しています。道具の名前だけで、それが使われる話のあらすじを再現することは容易です。そして語ります。当然ですが、今次々と刊行されている藤子F不二雄全集の「ドラえもん」はすべて買っています。


そんなフリークの私ですから、息子がドラえもん好きになってくれるのは嬉しい反面、新しいアニメにはどうしても違和感がぬぐえず、ちょっと寂しくも複雑な思いで見ていました。見たところ、半分は旧ドラの焼き直しで、半分は新ネタのようです。


一日に一回は見てるので、段々と慣れて来たのですが、ちょっと面白い作り方をされてるのにも気が付きました。普通であれば最初に主題歌があって、CMを挟んで話に入るのですが、今のドラえもんは突然、話から入り、しばらくして主題歌が流れるって作り方。


そしてその主題歌なんですが、三連符ベースなところ、「タケコプター」など合の手が入るところ、サビが「アンアンアン」から「シャララランラン」になるなど、旧ドラの路線をしっかりと受け継いでいるのがわかります。


で、よくよく主題歌を聞いていたのですが、なんと、すごくいい曲なのです。こちらがそう。



明るく楽しく弾むようなメロディ。洗練されたメロディラインとコード進行。そしてテーマは「夢をかなえて」。そうか、夢はかなうんだ。そう思いながら聞いていると、ふいに涙が。。。


私が初めてドラえもんを読んだのは小学一年になるかならないか。てんとう虫コミック一巻が家にあったのです。それまでゴレンジャーやカブトムシの本くらいしか読まなかった私が、初めてストーリーを読んだのがドラえもん。


その面白さにすっかりハマってしまい、あれから30年以上が経ちました。今でも大好きだし、息子も大好きみたい。ドラえもんの魅力は、夢を叶える道具にある。しかし、それは決して安易に叶えてあげるのではく、本人が自らの力で夢を叶える、その手助けに過ぎない。その本人とは、マンガではのび太のこと。


最初の話で、ドラえもんはセワシの200年前の先祖であるのび太の面倒を見に、机の引き出しから登場します。そして一冊のアルバムを見せるのですが、それはのび太の一生が描かれたアルバムであり、とんでもない運命を予言してるのです。


しかし、ドラえもんはそんな運命を変えるためにやって来た。そして運命を変えるのは、他ならぬのび太自身。その結果、のび太の運命は変わった。その元となるエピソードはたくさんあるのですが、涙なくして読めない「さようならドラえもん」などは、どれだけ勇気を与えてくれたことか。


ドラえもんが未来に帰る前日。朝まで二人で語り合おうと、夜中に空き地に向かうのですが、涙を見せたくないドラえもんはしばしのび太から離れてしまいます。そこに寝ぼけたジャイアンがやってきて、のび太に言いがかり。


いつもならドラえもんに助けを求めるところ、ドラえもんが安心して未来に帰れるよう、一人でジャイアンに立ち向かいます(あ、書きながら涙腺が)。

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そしてぼろ雑巾のようになりながら、最後はジャイアンは根負けして、ついにのび太は自分の力で勝ったのです。

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のび太は自分の力で勝つことができた。ドラえもんが求めていたのはまさにこれなんです。自分の力を信じて、困難に立ち向かう。そして最後に勝利を手にする、夢を叶える。


実は私のコーチングの心の師匠の一人がドラえもんであることは、セミナーや講演でもいつもお話しています。


人は誰もが夢を叶える力を持っている。コーチ(ドラえもん)はその力を引き出すお産婆のようなもの。そしてコーチ自身も、クライアントの潜在力を信じる。心から信じる。それをスポンサーシップと言います。


息子とドラえもんを見ながら、改めてそんなことを確認することができました。旧ドラもいいけど、今は21世紀。主題歌の「夢をかなえてドラえもん」は私のテーマソングの一つとなりました。それにしても、もし今、息子が大山のぶ代のドラえもんを見ると、「ちがう!」と言っていじけるんだろうな~と思います(笑)


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■毎日ブログを書くコツ

こんばんは、石田久二です。
10月からこちらのブログも毎日更新していますが、こちらはこちらで楽しみにされてる方が少なからずいらっしゃるようで、嬉しく思っています。「宇宙となかよし」は日記ですが、こちらのブログはネタと言うか、役立つ話を意識的に書くようにしています。
ただ、日記と違って何らかのテーマを設けると、それなりの書きにくさがあります。日記は自由に書いていいですが、例えば「願望実現」とか「独立起業」をテーマに書くとなると、「今日はこんなもん食べました~」みたいな話は相応しくないですから。もちろん息抜きはあっていいと思いますが、極力、ネタを意識して書くように心がけています。
向こうのブログについては、2004年5月から毎日書いています。長文でありながら、それでも書けるのは、好きだからってのもありますが、そもそも自由に書いていいから。だけど、ネタとなると、それなりに知恵を絞る必要があります。
おそらく多くの人がブログを続けられないのも、ネタを意識するからではと思います。ただ、よほどの著名人でもない限り、普通の日記だとなかなか読まれません。ですので、読者を増やすことを意図するのであれば、それぞれの得意分野についてのネタである必要があります。
ネタを意識すると書けない。でもネタでないと読者が増えない。最初から読者を増やすことなど気にしてないのであれば、自由に書いていいし、私も最初はそれをお勧めするのですが、いろんな人に読んでもらいたいと思うのであれば、やっぱりそれなりのコンテンツを用意する必要はあります。
では、どうすればそれなりのコンテンツを用意して、毎日書くことができるのでしょうか。それにはコツがあります。今日はとっておきのコツ、秘訣を教えたいと思います。それなりのコンテンツのブログを毎日書くコツとは、、、、
それは「毎日書くこと」です。
いかがでしょうか。コツでも秘訣でも何度もない!とお怒りになるかもしれません。しかし、これ以上に適切な方法はないのです。人によってはインプットが先、、、などと言うかもしれませんが、確かにそれはそう。インプットなくしてアウトプットはありません。
しかし、実のところインプットしたからと言って、アウトプットできるとは限りません。どんなに本を読んでも、書けない人は書けないのです。正確に言うと、書く姿勢にならなければ書けないのです。しかし、最初からアウトプットを心がけていると、細かい説明は端折りますが、脳のメカニズム的に勝手にインプットが始まってしまのです。しかも無駄のない上質なインプットが。
ですので、毎日ブログを書くコツは、常にアウトプットを心がける、つまり「毎日書くこと」なのです。



<○×計画11>7/7
<愛>ちびQに買い物に付き合ってくれたお礼に、ダイソーで車のおもちゃを買って、公園で遊んであげました
<感謝>公園でブランコをこぎ過ぎて、ちょっと酔った感じなりましたが、横になるとすぐに具合がよくなりました


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