■しゃべれる・・と思った瞬間

こんばんは、石田久二です。
昨日も書いたように、ある程度知ってるテーマであれば、突然ふられても返答できますし、また、突然前に出てしゃべれと言われてもなんとかなります。また、めったにないことですが、突然30分しゃべれと言われても、それなりにしゃべれます。
じゃあ、昔からこんなにしゃべれたのかと言うと決してそうではありません。学生時代のゼミやディスカッションの場でも、しばしば支離滅裂になる自分のトークに自己嫌悪することも。ですので、どちらかと言うと、ある時期までは人前でしゃべるのに苦手意識を持っていました。
しかし、ある日を境にその意識は180度転換しました。話をふられて返答するのが苦手だったのが、得意になった。今でもセミナーに参加した時など、シェアする時間が楽しみです。そして大勢の前に講演やセミナーをするのも大好きです。
その「境」とは何か。2004年末のことだったと思います。知人から誘われ、コーチングの単発ワークショップに参加した時のこと。細かいことは忘れましたが、何かのワークで私が皆の前に出されました。そして3分ほどプレゼンをした後、その時の講師が、「石田さんに何か質問はありませんか?」と言われました。
「きた~」と少し怯みそうになったのですが、最初の方の質問に対して、自分でも驚くほど淀みなく返答しているのです。次の方の質問に対しても同様。
いつの間にこんなスキルが身に付いたのか、、、と振り返ってみたところ、すぐにわかりました。それは「ブログ」だったのです。当時ですでに半年以上、毎日ブログを書いていました。そして返答した内容は、ブログにすでに書いたことだったのです。つまり「書いたことはしゃべれる」のです。
その後も毎日ブログを書いて7年。書けば書くほどしゃべりのストックが増え、しゃべりも達者になった実感があります。そして11月、ある商工会議所で講演をさせて頂きますが、その後は地元の有識者の方とのパネルディスカッションにも参加します。
昔なら怯んでいたと思いますが、今はほとんど動じません。なぜならこれまで積み重ねがあるから。どんなディスカッションになるのか今から楽しみです。



<○×計画24>6/7(×お菓子)
<愛>知人の役に立つことができました
<感謝>今日もいい情報・インスピレーションを頂きました


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■しゃべりのプロの条件

こんばんは、石田久二です。

私は商売柄、人前で話をすることがさほど苦ではありません。もちろん敵対心むき出しのアウェーの場としたら状況も違ってくるでしょうが、そのような機会にはまだ入ったことがありません。ただ、私のことを誰も知らない意味でのアウェーの場であれば、むしろいいプレゼンテーションができる自信があります。

また、突然話をふられても、それなりの返答はできるだろうし、今から一時間フリーでしゃべれと言われても大丈夫です。下手したら三時間くらいはぶっ通しでしゃべれるのでしょうが、時間制限があれば、きっちり守るのもプロの条件。

「1分で」と言われて5分以上しゃべる人もいますが、しゃべりのプロの一番の条件は、私は何より「時間厳守」であると考えています。話をしてお金をもらう場合、多くはそこに主催者がいます。私は、聞いて頂けるお客さん以上に、依頼主である主催者の条件を満たすことがプロの条件だと考えています。そしてお客さんの満足を満たすことと主催者の満足を満たすことはリンクしていますが、一点、「時間」については違うケースがあります。

話が弾んで、お客さんの反応も良い場合、プレゼンターはちょっといい気持ちになって時間を超過しがち。しかしその裏では、タイムキーピングをしている主催者がハラハラしていることが多いです。主催者をそんな気持ちにさせてしまうのはプロ失格。

ちなみに、お客さんの方は、どんなに話が面白くとも、時間を超過して喜ぶ人はほとんどいません。次の予定がある人だっているし、「あと5分我慢すればトイレに行ける」と思っている人もいるでしょうから。

ですので、いかに反応がよかろうとも、時間を超過してしまうより、きっちりに終わらせる方が講演としての質は高まり、次の依頼をもらいやすくなります。ただ、皮肉なことに、内容がつまらないほど時間も超過しやすい傾向もあるようです。反応を引き出そうと超過しても逆効果。すっと下がった方が印象はずっといいです。

ですので、セミナー講師や講演家、スピーカーを目指すのであれば、内容を高めるのはもちろんですが、それ以上に「時間」に気を配ることは絶対に忘れてはいけません。




<○×計画23>4/7(×早起き、お菓子、執筆)
<愛>ちびQを博多に連れて行って、気が付いたゴミ拾いなどもしました
<感謝>3時間もちびQと一緒に遊ぶことができた楽しかったです


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■ほんま、どうよって話(毒記事)

こんばんは、石田久二です。フェイスブックに書いた記事の転載ですが、ほんま、どうよって話します。


実は私の母なんですが、ちょっと前にリンパの悪性なんとか、つまり癌が発覚したんですが、早期治療で完治しました。お産以外で初めて入院したオカンは、改めて医学の素晴らしさに感嘆してました。


その一方で、オカンの知人(専業主婦)から「抗がん剤はダメよ!」「免疫力高めなきゃ!」とか余計なアドバイスされて、そして一本5,000円のドリンクを毎日飲めって勧めてきたそうです。いわゆるマルチの商品なんでしょうが、それで「治る」って言うのは薬事法的にも普通にアウトだし、そもそも人の生き死に対して素人が口出しするのは犯罪じゃないかと思うんです。


もちろんその知人の勧めは断り、普通に病院に行って、普通に治療してもらって、普通に治りました。術後の経過を見るのに、ある程度の通院とかは必要でしょうが、歳とるといろいろあるわけで、そんなに騒ぎたてることもないと思うんです。


だけど、人が癌になったり、アトピーとかがわかったりすると、すぐに接近してくるマルチの人たちって何なの? 西洋医学は医師会と製薬会社が癒着してマッチポンプのように患者から搾取してるのよ、、、とかどっかで聞いたような話で医学を否定する。そして決まって、これ飲めば治るから、とか言って怪しげなサプリを勧めてくるんです。


そもそも医師会の陰謀とかって話がありますが、医者ってそんなに金だけのために生きてるとは思えない。もちろん金だけの人もいるとは思うけど。金のためだったら経営者になった方がいい。もし私が医者になる頭があっても多分できない。大変そうだから。休みもなく、そんでちょっとしたことで訴えられたりして、実は知人が勤める耳鼻科がそれで今えらい目にあってるんですよ。


医者のことをむやみに美化するわけじゃないけど、やっぱり金よりも患者が治ること、喜ぶこと、そして医学を発展させることの方が絶対嬉しいだろうし、そこの使命を感じてると思うのです。


むしろ陰謀論をすぐに持ち出す人は、それなりの理由があって、その端的な例がマルチとか代替医療の人たちの「商売」のため。「医学=陰謀=悪」って図式を洗脳しないと、マルチの人たちを動かせませんから。


で、その理論的根拠の代表として、免疫学の世界的権威と言われてる安保徹博士の一連の「一般書」があります。調べてみたところ、安保氏はほとんど臨床経験もなく、単なる理想論を振りかざしてるに過ぎません。


癌については、当然、化学療法を否定。もちろん「免疫力」を高めることが大切なのは素人でもわかるけど、それはあくまで予防であって、癌と診断された人にはちゃんとした治療が必要。安保博士に信奉するあまり、適切な処置が遅れる危険だってあります。


安保博士の本はずっと前に読んだこともありますが、彼は医者と言うより作家であり講演家と言った方がいい。話はわかりやすいし、何より「印象」がいい。医師会の巨大組織に孤軍奮闘して立ち向かう姿は、一般人の心を鷲掴みにします。


もちろん安保博士の言うことも間違いじゃない。日頃から笑顔で、感謝して、歩いて、自然なご飯を食べてると免疫力が上がって病気になりにくくなる。確かにそう。だけどそのことと「抗がん剤はダメ」ってのは別の話。混合しちゃうと、取り返しのつかない事態が増えてしまう。


似たような話に「ステロイド=毒薬」って話があって、やっぱり安保博士の信奉者などはステロイドを極力避けようとします。私の知人にもいました。しかし彼はある日、突発性難聴になり、病院に行くとステロイドの投与を言われるのですが拒否。理由は毒だから。そしてサプリやヒーリングで治そうとしたのですが、手遅れとなり完全に耳が聞こえなくなりました。


やっぱり大切なのはバランスなんです。そして「印象」だけで判断してはならない。物事の判断基準は「誰が言ってるか」ではなく「何を言ってるか」であって、そして素人が一方の意見だけを正しいと思って行動するほど危険なこともないんです。


ちなみに安保博士については以下の記事が参考になります。

http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20091026



<○×計画22>4/7(×お菓子、腕立・腹筋、執筆)
<愛>特になし・・・
<感謝>21日行を無事に満行することができました、滝場まで送って頂きました


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■「上から目線」」は金運を下げる

こんばんは、石田久二です。
昨日、「上から目線」について書きましたが、それで思い出したことがあります。全員とは言わないまでも、どうしても「上から目線」になってしまう場所がありますよね。それはお店です。つまり「お金を払う側」と「お金を受け取る側」があると、「払う側」はどうしても「上から目線」に接してしまいます。
飲食店などでも、ウエイターなどに対して横暴な振る舞いをする客をよく見かけますが、どう見てもカッコ悪いです。ですが、私自身もそんなことがまったくないかと言うと、そうとも限らないので気を付けたいところではあります。
それに関して、あるオーディオ教材で面白い話がありました。常連の店で特別メニューを頼むことの是非について。例えば贔屓にしている寿司屋で、メニューにない「海鮮丼」や「天ぷら」を頼むのは許されるかどうか。
おそらくその店が高級であり、そして常連であればある程、お店は断らないと思うのです。大切な常連様のことですが、少しくらいは無理をしてでも応えるのが常識。店側はどうかわかりませんが、客側はそのように考える人もいるでしょう。
しかし、そのオーディオ教材で言ってたのは、常連だからと言って店に無理をさせるのは、すごくカッコ悪いことなんだと。別の例では飛行機のファーストクラスの話をされていました。ある日、座席がアップグレードになり、運よくファーストクラスに乗った時のこと。
すごくラッキーで感激したのもつかの間。すごく居心地が悪かったそうです。理由は一人、ものすごく威張り散らす人がいたから。自分はアップグレードなのでラッキーな気持ちでいたのに対し、その人は見たところ40代の社長風情で、おそらく自腹で乗りこんだのでしょう。
とにかく客室乗務員に対して一つ一つケチを付けては、どなり散らして、一人で不愉快になってるのだとか。もちろん乗務員は最後まで丁寧に接していたのですが、周囲は不愉快だし、もちろん本人も気持ちいいはずがありません。
推測するに、その人はきっと「ファーストクラスに乗り慣れてないけど無理して乗った人」なんでしょう。よく聞くファーストクラスの常連客は、やっぱりそれなりの人で、ジェントルマン、ジェントルレディだそうですが、その威張り散らす人は、決してそのようには見えない。つまり「似つかわしくない人」なんです。
これは極端な例かも知れませんが、ファーストクラスに限らず、私たちは常に「お金を払う側」にあります。そうでないと社会生活ができませんから。その時、人間は二通りに分かれるようです。一つが今行った「上から目線」の人、もう一つが「普通」の人。
本来、商品・サービスを購入する際、その価値が支払う金銭よりも勝ってなければ成り立ちません。つまり売買とは商品・サービスを受け取る側(お金を払う側)の方が、差し引きでより高い価値(満足度)を得ていることが前提なのです。
そう考えると、「下から目線」になることはあっても、その逆はないはずです。なのに「お客様は神様です」と言われるように、どうしても客は「上から目線」になってしまうもの。だけど、そんな時こそせめて「普通」に振舞って、受け取った価値に対する「感謝」を表現したいものです。
つまりお金を払う時に「感謝」ができる人と、そうでない人が世の中にいることになり、どちらの方がより豊かな人生になるでしょうか。少なくとも私は「感謝」できる方でいたいと思っています。そしてこれからも、お金を払う時に「ありがとう」と言い続けたいと思います。
ちなみに「お金」には意思があるようで、「ありがとう」と言って払う人の元に友達を連れて帰ってくるそうです。つまりお金を払う時に感謝できる人はお金からも好かれる。信じるか信じないかはあなた次第。



<○×計画21>7/7
<愛>今日はすすんで洗い物をしたくらいです
<感謝>昼間ちょっと微熱がありましたが、無事に下がりました


カテゴリー: |―開運・金運 | 2件のコメント

■「上から目線」」はカッコ悪い

こんばんは、石田久二です。
先ほどあるメルマガを読んでいたら、「最近は『上から目線』の若者が多い」という話が書かれていました。私自身、今はさほど若者と接する機会がないのでなんとも言えませんが、そんな気配も無きにしも非ずとは思います。だけど、そもそも若者ってのは「上から目線」なのが常だとも言えます。
その一番の理由は単に世間知らずだから。自分の浅い経験と知識だけで物事を判断してしまうと、どうしても「上から目線」になってしまいます。例えば、友達が恋愛のことで悩んでいたとします。今の私なら「勝手に悩め」で済んでしまうし、それが最善だとも思うのですが、人は悩んでいる人、苦しんでいる人に対して、どうしても「上から目線」に接してしまいます。
実は一つ、闇歴史を告白したいと思います。今から10年以上前、私も恋愛に悩んでいた時期がありました。当時、まだ学生だったのですが、研究室に自由に使えるインターネットがありほぼ私物化していました。そこで勉強そっちのけで、インターネット上で恋愛の悩みを聞いてもらっていました。場所はヤフー掲示板です。
多くの人が悩みを聞いてくれ、いろんなアドバイスを頂きました。ありふれた内容ばかりなんですが、私にとってはアドバイス云々よりも、単に悩みを吐きだせる場としてネットを活用していたに過ぎません。
ただ、どうでしょう。アドバイスをしてくる人のほぼすべてが「上から目線」なのです。中には説教っぽいことを言ってくる人も。見知らぬ人からなぜにここまで言われなきゃならないのかと思うことも。そしてもちろん悩みが解決されるわけではありません。でも、一時的に救いにはなってたことは否定しませんが。
あと、旅人と言われる人にも「上から目線」は驚くほど多いです。バックパッカーで安宿を転々としていると、滞在日数の長い人は、来たばっかりの人に対して、まず例外なくタメ口です。そして無理やり話をさせて、よくないと思うところをいちいち指摘して説教します。
よくあるのが買い物。チャイ一杯10ルピーのところを15ルピー払った人がいました。その差額5ルピーと言えば当時で15円程度。それでもかっこうの餌食になります。
「どうして言い値で払うの」
「ちゃんと聞いてから行ったらどう」
「たかが5ルピーだけど、そうやって値段が上がって、あとの人が迷惑するんだよ」
などと詰め寄られます。そんな光景を私も何度も見てきました。そう言えば旅関係の掲示板・コミュニティ・知恵袋もそんな感じです。「インドビザの取り方教えてください」という質問があったら、無視するか丁寧に答えてあげればいいのに、「そんなのは自分で調べることでしょ」などと返信がきます。必ず。
そうやって自分より経験の浅い人、知識のない人、そして相談してくる人に対しては、人はどうしても「上から目線」になってしまうのですが、一つ言えることは、「上から目線」ってとてもかっこ悪いってこと。
そう言えば最近もありました。あるビジネスセミナーの懇親会で、その講師の方にいろいろ質問していたら、同じ参加者が横からどんどん答えていく場面。そしてダメ出し。だけどその参加者は私よりもまったく稼いでない。そもそも土俵にさえ上がっていない。
「相談者」ってのは、どうあっても弱い立場で、「上から目線」にさらされるのでしょうが、そこでもやっぱり思いました。なんてカッコ悪い人なんだ、と。
ビジネスにせよ、旅にせよ、恋愛にせよ、どうやら「上から目線」の人に限ってあまり大したことを言わないようです。ですが、とても的確なアドバイスを送る人は、なぜか逆に謙虚な目線です。なぜか考えたのですが、結局、「上から目線」の人はプレイヤーじゃないってこと。
どんなことでも最初からプロや専門家の人はいません。そのように言われるまでに、何度も失敗を繰り返しながら成長していくもの。なので的確なアドバイスを言える人は、相談者の気持ちも痛いほどわかる。まるで昔の自分を見ているような気分で接することができる。まさにプレイヤーです。
そう言いながらも、私自身、まだまだ「上から目線」なところもありますので、カッコ悪い人にならないよう、常にプレイヤーでありたいと思っています。



<○×計画20>6/7(×執筆)
<愛>久々にメルマガを配信させて頂きました
<感謝>最近子どもの言葉が豊富になり日々に成長に感動しています


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