■ミュータント

こんばんは、石田久二です。


後藤真希の全盛期は、前田敦子の比じゃなかった。その後藤真希も年内で活動停止。彼女は決して一発屋でもなかった。だけど、悲しいかな、本人の実力以上に周囲の力が強すぎた。つくづくプロデューサーの存在の大きさを実感。


今の時代はある程度の素養があれば、周囲が一気に取り囲んで、ホイホイと「商品」に仕上げてしまう。AKB48を見ててもそう。下積みを知らずに、一気にスターダムに上がってしまう。そして商品価値が下がると一気に捨てられる。それがまさに後藤真希なんです。


世の中には人格を持つ人間と、持たない人間がいます。後藤真希は持たない人間。単なる商品として育てられた、ミュータントの悲しみを感じてしまう。私は「モーニング娘。」のオーディションには合格しなかったけど、少なくとも今は「人格」をもって、自分のビジネスを進めることに幸せを感じています。


取りとめもない話ですが、後藤真希のニュースを見て、何か感慨深くなりました。と言うのも、私が27歳の時、どこにも雇われないニート時代、かろうじて人手が足りないからか、ゴールデンウィークの間だけ、工場でお菓子の箱詰めのバイトをさせて頂いたた時、ずっとこの曲がながれてきたのです。

私にとって、まるでトラウマソング。後藤真希の活動停止に際して、そんなことをひとり、思い出しました。


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■国民皆保険を守れ!

こんばんは、石田久二です。
このブログでは、イデオロギー的な話は避けるスタンスでいましたが、この問題は日本の未来にとって極めて重要でもあり、ミクシィに書いた文章を、こことフェイスブックにもそのまま貼りつけることにします。
また、先ほど、学生時代に影響を受けた研究者とTPPで何名か検索してみたところ、経済学者の宇沢弘文氏、金子勝氏、医療経済学・科学哲学者の広井良典氏は、明確にTPP反対の立場でした。私がTPPに違和感を感じる思想的一貫性が確認できた気分です。
以下、TPPに関する文章です。月に数回は小児科に行くなど、私の生活に身近な医療問題からアプローチしています。これは日本の医療制度崩壊、医療水準の低下の引き金となる、かなり深刻な制度改悪となることは間違いありません。



TPP参加で「自由診療」普及 金持ち用病院登場する可能性も
  ↓  ↓
TPPの参加で農業とならび懸念されるのが医療の問題。
>日本の医療は皆保険制度。国民全員が保険料を国に納め、国が平等に医療を受けられるように保障する。このため、医師が自由に料金を設定できる「自由診療」は、先進医療や美容手術などの場合を除き、厳しく制限されている。
>しかし、これは日本独自のシステム。アメリカなどではその「自由診療」が主流だ。TPPに参加すると、各国の診療体系が同一化されるため、日本もまた「自由診療」が普及する公算が大きい。
まずおかしいのが、先進国で国民皆保険でないのはアメリカだけ。「日本独自」でもなんでもない。アメリカが例外。もちろんそれはアメリカの歴史や文化によって制度化されたもので、それぞれのお国事情があるんでしょう。
そして、腕の良い医師と腕の悪い医師という区別がおかしい。医療行為ができるのは医師に限られ、それは最低6年間の勉強と厳しい国家医師免許をパスし、さらにいくつもの研修と実践を経たという「資格」を持つ人たち。つまり一定の医療水準は担保されている。
もちろん難病に対しては、腕の良しあし、得意不得意もあろうけど、通常求められるのは一般的な傷病に対して。喉が痛いだけで、世界的な一流ドクターをアメリカから呼ぶ必要もない。医師免許を持って、ある程度の経験や専門性のある医師であれば、おおよそ間違いがない。
そこにTPPの参加が決まるとどうなるか。記事の通り、アメリカのような「自由診療」が増え、高いけど質の良い高級医療と、安いけど質の悪い劣悪医療の二極化が始まる。金を持つ少数の人たちは質の高い自由診療でいいけど、それ以外の人たちは劣悪医療にしか行けなくなる。
つまり、金のある人は高質・高水準の医療を受けられるけど、それ以外の人は医師や設備が疲弊しきった病院に長蛇の列を作るようになる。入院のベッド数も限られ、治療の遅れも進むことだろう。ようするに「人の命も金次第」ってこと。
そもそも、そのような状態を回避するのが、本来の国策であり、社会保障制度であり、国民皆保険。日本を始め先進国は長い歴史の中でようやく国民皆保険を勝ち取ったと言うのに、TPPの参加によって先人達の苦労もすべて水の泡。
そこに付けこんで、代替医療従事者の活動範囲も広がるだろうけど、それは日本の医療水準を上げることにはならず、逆に著しく下げることにつながる。病院に行きたくても混んでるし、看てもられるかわからない。だからと言って自由診療のクリニックは高くて行けない。だったら、よくわからないけど、代替医療でも行ってみるか、、、となるが、極めて危険な選択。
もちろんこれは一番悲劇的なケースだけど、TPPに参加するってことは、少なくとも日本がこれまで懸命の努力で勝ち取ってきた国民皆保険を崩壊させるシナリオを選択するってこと。
国の役割は国民の生命と財産を守ること。TPPへの参加はその両方に風穴を開けてしまう。弱者切り捨て。そして今、政権を握ってるのは一番最悪な政権。共産党が反対するのは当然で、イデオロギー的に保守の自民党ならTPPを推進しそうなもの、農林水産業の地盤が強いのでそれもない。そこに来てどっちつかずの民主党。最悪な時に最悪な政権。それを選んだのは国民だけに、今さら後悔しても始まらない。
菅直人がTPPをして「平成の開国」と言ったそうだが、言い得て妙。それは皮肉にも一方的な不平等条約を押しつけられた「安政の開国」を連想させるのだから。ただ、当時の状況は、日本が近代国家へと発展するための産みの苦しみと言えなくもないけど、今の日本は世界で最も成熟した国の一つであって、アメリカの言いなりになるメリットは一つもない。なぜに「医療制度後進国」のアメリカの制度を逆輸入せねばならないのか。TPPの参加は、少なくとも日本の医療に対しては、百害あって一利なしである。


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■キーム

こんばんは、石田久二です。
今日、地元の図書館に行くと「JAZZ JAPAN」なる雑誌があったのを見つけ、パラパラと読んでみました。昨年廃刊になった「スイングジャーナル」っぽい作りですが、紙は大きく、紙面は薄くなっています。無駄な記事を減らした感じで、買うまではないけど、図書館で読むにはちょうどいいかなってこと。
ただ、今月号の特集は実に面白かったです。早稲田大学のモダンジャズ研究会(ダンモ研)の50周年とかで、当時の学生で、今はプロとして活躍している人たちが鼎談をする内容。メンツは、ベースの鈴木良雄、ギターの増尾好秋、ジャズプロデューサーのバードマン幸田、そしてご存知タモリが揃って雑談してるだけ。
だけど、ジャズ好きにはたまらないエピソード。まだジャズなる音楽が日本に入って来たばかりで、何がどうだかわからない当時、とりあえず集まって何かやってみようみたいな感じで、早稲田の学生が立ち上げたサークル。だけど、このサークルは日本のジャズマンを数多く輩出する名門となり、もちろん今でも受け継がれています。ただ、最近はジャズ研出身のミュージシャンは減り、プロは洗足音大かバークリー出身ばかりになってる気もします。
その当時、渡辺貞夫がアメリカから帰ってきて、その早稲田のダンモ研に来た時のこと。もう、ぶったまげたそうな。その日を境に、日本のジャズが一気に変わったと言い伝えられているそうな。そして早稲田ダンモ研からは、数々の有名ミュージシャンが育ち、そしてタモリはミュージシャンを挫折しながら、しゃべりが面白いのでMCに回され、今のタモリに引き継がれるわけです。
なんでも、タモリはトランペットのハイトーンが出なくて、無理に出そうとしたら笑ってるような音になり、それをして「マイルスのラッパは泣いているが、オマエのは笑っている」と言われて、MCに転向したとのこと。ただ、その後、「マイルス・スマイルズ」なるアルバムが出て、タモリは「マイルスも笑ってますけど」と言い返しに言ったとか。
そんないろんなエピソードが語られながら、一つ、よくわからない話がありました。最近の学生は人間関係が薄いみたいな話になって、タモリが「それは『キーム』をやらなくなったからじゃない?」と言うのです。キーム、、、ちょっと耳慣れない言葉です。
注釈には「ジャズのリズムのルーツはアフリカの割礼にあり」など、よくわからないことが書いてあるだけ。ただ、当時のジャズ界は名前を逆さまにするのが流行っていて、例えば「モダン」は「ダンモ」、「女」は「なおん」、そして「森田」は「タモリ」という具合に、タモリも当時からタモリだったそうです。
ですので、「キーム」を逆さまにすると「ムキ」になるわけで、注釈から推測するに、「くっだらないことやってたんだな~!」とおよそのイメージができて、一人で笑ってしまいました。合宿の通過儀礼として「キーム」が伝統的に行われてたようで、逃げ回る同級生や後輩に次々とキームをかけては親睦を深めていたそうです。
当時の学生は娯楽が少なかったのか、本当に下らないことやってたんだな~、となんかちょっと羨ましくもあり。今の学生はどうなんだろう。なんとなくスマホばかりいじってる雰囲気があるし、その一方で一人で飯を食えない文化になっているような。つまり、一人でいることは恥なる風潮があり、友達のいない人間はトイレの個室で弁当を食ってたりするそなんです。
確かそんな話も聞いたことはあります。それに対して、当時の学生は「一人でいることがカッコイイ」なる風潮もあり、その意味で、私が学生の頃はその端境期だった気もします。私は当然、一人でいるのがカッコイイ派だったのですが、そんな私を見て「怪しい」と言う同級生もいました。
ただ、そんな奴が面白くないはずもなく、次第に周囲から私に関心を持つようになり、嫌々ながら友達がたくさんできる学生時代でした。それにしても、最近の学生はますます「くだらないこと」をしなくなってる印象があり、ちょっと寂しい気もしています。
私などは、かなり変わった学生だったようで、下系も含めて、それなりに「くだらないこと」をやったように思います。「ドン引き」されることも、一度や二度ではなく。ま、「くだらないこと」ができるのも学生のうち、、、とか思いながら、そんな奴は大人になっても「くだらないこと」をやり続けるように気がしないでもなし。いつまでもバカでありたいと思います。さすがに「キーム」はしないですが。


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■潜在意識で病気を治すとは

こんばんは、石田久二です。
ここ数日、あっちでもこっちでも医療系の話が続いていますが、「願望実現の専門家・実践家」としても、やはり「健康」のことは大きなテーマの一つとなります。特に今までも「潜在意識を活用して病気を治すことは可能ですか?」などと何度か質問を頂いたことがあります。
お断りしておきますが、私は医者ではありません。医療行為はもちろんできませんし、健康や病気について口出しさえできない立場です。健康と言うと範囲は広くなるので、一概にすべてダメとは言えませんが、「病気」について口出しできるのは、基本的に医師免許を持った医者だけです。
もちろんケースバイケースで看護師や薬剤師など医療従事者が、簡単なアドバイスを行うくらいは許される範囲かもしれませんが、深刻度の高い疾病等については、必ず医師の診断を仰ぐことが最優先です。間違っても健康食品販売員やホメオパス、素人医療マニアなどに聞いてはいけません。時々その手の非資格者がしたり顔でアドバイスを送っているシーンを見ることがありますが、極端な言い方を承知で、あれは殺人行為に等しいと言えます。仮に非資格者がアドバイスを求められて言えることは一つだけ。それは「病院に行け」です。
ですので、私に対して潜在意識云々と言われたところで、いかなる病気も治せません。もちろん精神疾患も含みます。まずは主治医か最寄りの病院に行ってください。
ただし、あくまできちんと医師の診断を仰いだ上で、私なりに病気や健康に対して考えていることはあります。それは、いかなる「病気」であっても、そこには必ず「肯定的意図」があると言うことです。
例えばそれは生活習慣を見直すためのきっかけだったり、大切な何かを見つけるためのシグナルだったり、さらにはビジネス上のアイデアを得るための準備時間であったり、「意図」はそれぞれですが、必ず何か大切な「気づき」につながるものなのです。
もちろんこれは科学ではなく、一つの考え方です。しかし、人生の質と「考え方の質」とはほぼイコールであると言えるため、人生に対してより豊かな実りをもらたすような「考え方」を持つ方ことをとても大切なこと。
いかなり病気にも必ず肯定的意図がある。そこで「潜在意識の活用」を導入するのであれば、その「意図」を知ることが最大の解決法となります。そこで用いられる方法がまさに「質問」です。潜在意識はどんな質問にも律義に答えてくれます。
もしも「なんでこんな病気になってしまったんだよ~」と病気を恨み、悔やむような質問ばかりしていると、結局、ネガティブな答えが導かれるだけ。まさに精神衛生上よくないです。では、どのような「質問」を心がければいいのでしょうか。それは、
「この病気(←できれば具体的な症状)によってどんな学びや気づきが得られるのだろうか?」
という質問です。ストレートに肯定的意図、つまり学びや気づきを導くための質問をするのです。すると潜在意識は勝手にその答えを検索してきます。そしてその答えは必ず「肯定的意図」に結びつくものとなるため、心に自然とわき上がってくる感情は「感謝」でしかなくなります。
実のところ「病気」に「感謝」することが、最も病気を癒やすのです。末期癌から奇跡的に完治した稀なケースにおいて、その共通することは、誰もが病気に感謝していること。感謝以上に自らの免疫力を上げる感情は他にありません。
ただし、このようなことを聞いて、「じゃあ、感謝で病気を治すから、病院に行く必要はないですね」と考えるのは、大きな間違い。願望実現のセオリーでもしばしば「感謝」の力に言及されますが、願望を実現させるための感謝という考え方は、本当の感謝とは言えません。感謝とはあくまで自然とわき上がってくるものであり、与えれるものなのだから。
ですので、何度も言うように、病気になったら病院に行く。医者の言うことをよく聞く。それが大前提であり、その上で病気の「肯定的意図」について「質問」することが極めて重要なのです。



<○×計画31>5/7(×早起き、執筆)
<愛>人々の幸せを真剣に祈らせたて頂きました
<感謝>楽しい10月を過ごさせて頂きました


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■新たな「ときめき」へ

こんばんは、石田久二です。


「もしドラ」でダブルミリオンを飛ばした岩崎夏海さんのブログが熱いです。


ハックルベリーに会いに行く
もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら/岩崎 夏海

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最近のエントリーでは卑屈なまでの自己承認欲求をまき散らしたためか、それが炎上・拡散し、多い時で一日12万アクセスを記録したそうですが、早々と種明かししたのはどのような意図だったのか。

ベストセラー作家だけど質問があるよ?←炎上記事

日本の異能 岩崎夏海氏「ベストセラー作家から炎上ブロガーへ。転落+復讐こそ作家の歩むべき道」←種明かし記事

それはともかく、今日、取り上げたいエントリーはこちら。

一発屋はなぜ生まれるのか?

「一発屋」のプロセスと、そこからの脱却方法が提示されてあります。ここでは「テツ&トモ」を例に出して次のように説明しています。
1.「なんでだろう」がたまたまヒット
2.飽きられ始めた時、「どどんまい」という新ネタを投入
3.それはヒットしない
4.最初のネタに戻る


これはレイザーラモンHGでも、畑陽区でも、小島よしおにもそのまま当てはまります。そう言えば、先日「ランナウェイ」なるドラマを見ていたら、畑陽区がギター侍で出てきてました。久々に見ると、あれはあれで面白いと思ったけど、わざわざチャンネル合わせてまで見る必要もないでしょう。

そして一発屋から脱却するには、その逆のことをすればいいと言います。
1.ヒットしたネタはいち早く見限る
2.新ネタは軽く、かつ連続して投入する
3.当たるか当たらないかではなく、別の評価軸を狙うようにする
4.ヒットしたネタを二度とくり返さない


ここで重要なことは「見限る」ことと「くり返さない」こと。つまり「捨てる」のです。これを読んで、私も思い当たることがありました。


2005年に会社を辞めて収入がない時、今思うと奇蹟としか言いようがないのですが、ある物販を始めて2年ほどヒットしました。この話は一時期まで伏せていたのですが、最近、講演などでも言うようにしています。


2005年末から2007年末くらいまでの2年間、ほぼその物販だけで、サラリーマン時代の2倍近くの収入を稼いでいました。しかも、ほとんど何もしてないのに、勝手に注文が入って売れる状態。そんなのが2年続いたのです。しかし、内心はその状態に居心地の悪さを感じていました。


なぜならその物販が永遠に続くとは思ってなかったから。単に運がよかったからそのような巡り合わせに出会えたものの、自分の実力は何もなかったのです。そしてもう一つの居心地の悪さの理由は、その物販をすることに、徐々に「ときめき」を覚えなくなったこと。


確かに注文が入ると嬉しいのですが、自分自身の成長感も充実感もありませんでした。そして儲かれば儲かるほど、その物販に依存しつつある自分を見るめるようになっていたのです。どうにかして、この状態を脱し、自分の力で稼げるようにならなければ、、、といろいろ探し求めている時に出会ったのがセミナー業です。


2007年6月の東京が初めてのセミナーでしたが、最初からある程度上手くいき、おぼろげながら手ごたえをつかみます。それと同時に、新たな「ときめき」を感じていることに気が付いたのです。ですが、それだけではやっていけないので、物販も同時進行で続けてはいました。


そしてその秋に結婚。自分だけの生活ではなくなったのですが、物販への「ときめき」は失われるばかりで、いよいよ決心することになるのですが、最初は妻からも不安がられました。ある程度の収入はあるのに、それを捨てて大丈夫なのか、と。


でも、その物販に関わるいろいろな煩わしさもあったので、翌年には潔く撤退することにしました。つまり「ヒットしていたネタを半ばにして捨てた」のです。しかし、その後はセミナー業も拡大し、企業などから呼ばれることもあり、そして本の出版も果たすなど、新たな「ときめき」は見事に次のステージへと誘ってくれたのです。そしてもう二度とその物販をすることはないでしょう。


一発屋のお笑いタレントが、その後も芸能界で生き残るには、まだ賞味期限があるうちにそれを捨てること。ネタの賞味期限がなくなることと、芸能人としての賞味期限がなくなることは、ほとんどイコール。


これはビジネスマンでも同じ。何かの出会い頭に偶然ヒットしたとしても、それに安住しようとすればするほど賞味期限が迫っていることを自覚するべき。もしもそのヒット作に「ときめき」を感じなくなったのであれば、勇気を出して捨てることが大事。その意味で、私はあの時、よくぞ捨てられたものだと自分を褒めてあげたい気分です。


近藤麻理恵さんの「人生がときめく片づけの魔法」が大ヒットしていますが、この本のキーワードがまさに「ときめき」。片付け本としては、すでにマーケットが成熟していたのですが、ここに新たなキーワードを持ちこむことで市場優位に立つことができた。

人生がときめく片づけの魔法/近藤 麻理恵

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部屋の片づけだけでなく、ビジネスや人生においても「ときめき」を導入するのはアリかと思います。ただ、パートナーにときめかなくなるのは、生物学的な必然だと思うので、そこは安易に「ときめかないから替えます」と言わずに、「ときめき」を持続させる工夫は必要かなと思いますが。



<○×計画30>3/7(×早起き、お菓子、執筆)
<愛>雨で「みかん狩り」は中止になりましたが、それまで準備をしっかりさせて頂きました
<感謝>保育園の「みかん狩り」が中心になったのは残念ですが、園児のことを思う気持ちに気づくことができました


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