■「わたし、ほめられて育つ子だから」

こんにちは、石田久二です。
会社を辞めて早、6年。よくぞここまで生き残ってきたな~と最近、ふと思いました。「生き残る」なんて、「脱落」が前提のような言い方ですが、実際その通りだから仕方がない。
フリーで生きて行くって、よほどの実力がある人でもない限り、奇跡のようなもの。私は間違いなくその奇跡の一人。だけど、実力がないながらも、それなりに頑張ってきたこともあります。それは、自ら積極的に「批判」の中に入っていくこと。
今、「滝行」をやっていますが、それは「批判」とは言わずとも、心身に負荷がかかるのは事実。わざわざそんな中に入ろうとする人は奇特でしょうが、同じように、自分に負荷がかかる環境に身を置くのは、成長にとってとても大切なこと。
独立して生き残る人とそうでない人の違いは、この「批判」を積極的に受けられるかどうかにかかっています。確かにその人のよいところを伸ばすことは重要。いわゆる「長所伸展法」であり、それが「ウリ」や「ブランド」につながることも確か。
ただ、「生き残る」には、そのための調整も必要。他人は自分のいいところばかり見ているわけじゃありません。その人に仕事をお願いするなどの場合、「失敗しない」ってことが最低条件になってるのも事実。人は仕事にリスクを求めたくないもの。どんなに長所が素晴らしくても、失敗が目立つようでは使えない。
ですので、現実的に仕事をもらう、つまり「生き残る」ためには、たゆまぬ自助努力と同時に、自分の欠点をしっかり指摘してくれる場に身を置くことが大切。時折、
「わたし、ほめられて育つ子だから」
と言って、人の意見を聞かないような人がいますが、それでは間違いなく生き残れません。少なくとも、私は仕事を頼みたくない。そしてだいたい、そんな人はほめられると付け上がるだけ。慢心するだけ。批判されて「ありがとうございます」、褒められて「滅相もございません」と謙虚に受け止めらる人こそが、やっぱり人からも好かれるし、仕事も頼まれやすいもの。
しばしば「長所伸展」によって「欠点」が見えなくなる、と言う人がいますが、それは余程の天才に限られます。天才だから許されることがあるのも事実ですが、そもそも天才は、「わたし、ほめられて育つ子だから」なんて言わないでしょう。天才を目指すのは勝手ですが、その人が天才かどうかも、自分で決めるのではなく、人が判断するもの。
どちらにしても他人ありきなのがこの社会だし、「生き残る」ためにも、他人との付き合い方が大切。他人から「失敗しない」と評価してもらうには、まずは他人の意見を素直に聞くしかない。その意見は「批判」であればある程ありがたい。
私も、実はもっともっと「批判」を頂きたい今日この頃です。


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■重曹は農薬です

こんばんは、石田久二です。


日本がTPPに参加したらどうなるか。特に農業は。個人的にはTPPは賛成でもないのですが、参加が決まったのであれば、その上で最善策を講じる必要があります。ただし、TPPで日本の農家は壊滅すると叫ばれながら、実際にはTPPを歓迎する農家があるのも事実。


それは主に良質な作物を国内外に提供している農家や酪農家。私も世界中を旅して、いろんなものを食べてきましたが、日本の食べ物の美味しさは群を抜いています。みかん一つにしても格が違います。ただ、ふと疑問に思うことも。なぜに、日本のみかんはこんなに美味しいのだろうか。パキスタンではみかんをキロで買って食べており、それなりの味ではあったけど、種が多く甘みも少ない。


結局、日本のみかんや他の農作物が美味しいのは品種改良であったり、徹底した作物管理があっての上なのでしょう。つまり、それだけ高品質な農作物を生産できるわけで、世界的には「日本産」というだけで、すでにブランドです。ですので、工夫次第では、今後、日本の農作物も世界に向けて発信することが期待できます。


ところで、話は変わりますが、しばしば農作物は「自然」であることを信奉する向きがあります。例えば「無農薬野菜」などがそうですし、遺伝子組み換えなんてのは、それだけで敬遠されています。ただ、先ほど書いたように、日本の農作物が美味しいのは、品種改良の結果であり、それ自体がすでに「自然」ではありません。


その観点からいろいろ調べていると、面白いことがわかりました。例えば「農薬」です。確かに農薬をそのまま飲めば身体に悪いに決まっています。そして「農薬」のイメージは決まって悪いもの。その結果、多少値が張っても「無農薬」が好まれる傾向があります。中には「虫食いのキャベツは甘くて美味しい」と宣伝する人もいます。


しかし、これは大きな間違いのようです。その件に関しては、以下のサイトが面白くてわかりやすいです。ただ、これをして「正しい」とは断言できませんので、考える材料にして頂ければと思います。



やる夫で学ぶ無農薬野菜の危険性



虫食いのキャベツが本当に美味しくて安全かどうかについては、決してそうでもないとのこと。野菜には「食われまい」とする機能が始めから備わっていて、虫が食い始めると、危険を察して、自らの「危険物質」を分泌するそうです。そしてその危険性はいわゆる農薬以上であるとか。


また、農薬と言うだけで毛嫌いされる風潮がありますが、当然、身体に害のない農薬だってあります。その代表が、重曹であったり、酢であったり。確かに酢などは殺菌作用があると言われますが、菌だって生き物です。菌には強く、人間には害のないものだってあるわけです。


また、玉ねぎなども、食べすぎはともかく、人間が食べても美味しいし安全です。目に沁みる程度。しかし、玉ねぎもまた殺菌作用があり、例えばゴキブリ退治の団子なども、材料は玉ねぎです。つまり、玉ねぎはたまたま人間には害がない(少ない)ものの、虫や他の動物には立派な毒でさえあるのです。


考えてみれば、確かに自ら大量に食べてもらう努力をする野菜は自然界には少ないかもしれません。食べてもらうにしても種を選んでいる。例えばドングリなどは、人間には害ですが、イノシシは好物としています。山菜だって、そのまま食べられるものは少なく、たいていは「調理」というプロセスが入ります。いや、むしろ調理なしで食べられる野菜の方が少なく、例外的に果物がある程度。


ただ、それもまた品種改良の結果であり、柿なども、元は渋柿しかなかったと言われています。つまり、「自然」であることと、「人に優しい」は必ずしもイコールではなく、それは医療も同じですが、「自然」であるとは一定の厳しさが伴うものなのです。


ですので、今、人に優しく、そして美味しい食べ物にあふれているのは、人間の都合のよいように自然を改良してきた結果であり、その時点ですでに「不自然」であることがわかります。しかし、その不自然さんもまた人間(思考を持つ人間)の宿命であり、逆らえないこと。


ですので、今さら「農薬」を毛嫌いするのもおかしいし、もしも農薬がなければ、安全で美味しい作物は提供されることはありません。重曹は農薬であるとのタイトルですが、重曹は確かに安全です。しかし、それを見た瞬間、「え??」と思った人がいれば、それは「農薬」の持つ印象に反応しただけのこと。世の中の本質を見る上で「印象」は常に妨げになるものなのです。


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■スピーチの極意

こんにちは、石田久二です。
昨日、ビジネス系の集まりで「10分」のプレゼンテーションを見て頂く機会がありました。そこでスピーチに対する批評を頂くのですが、一線で活躍するビジネスマンだけに、極めて辛口であり、かつ的確な助言を頂くことができました。
私自身、いろんな場所で、いろんな対象者に向けてセミナーや講演をすることも多く、スピーチすることは決して不得手ではないと思っています。しかし今回の「10分」のスピーチは最初から緊張して手が震えてしまいました。
そこでこんな言葉を思い出しました。ウィルソン第28代アメリカ大統領の言葉。

「もし私が10分のスピーチをするなら1週間の準備が必要だ。15分なら3日、30分なら2日、しかし1時間のスピーチならもう準備が出来ている」

確かに一時間もあれば、何の準備もなくしゃべれると思います。しかし「10分」と制限されると、かなり難しい。まず時間に急かされ早口になる、抑揚・メリハリがなくなる、聞き手に配慮する視点が抜ける、そしてストーリーが破たんする。まさにそうでした。
ですので、ウィルソン元大統領が言うように、時間が短くなればなるほど事前の準備を長くとることが大切。10分なら10分の原稿を作り、内容を練り、実際にしゃべる練習をし、さらに練り、練習し、最後は無意識で10分ちょうどに終わるまで高めていく。なるほど、一週間は絶対に必要です。
ただ、実際の場面では、いきなり一時間のスピーチを求められることはまずなく、10分でも長いくらいです。自己紹介、自己PR、簡単なスピーチを求められる時は、長くて5分、平均2~3分、短くて30秒、さらにはCMタイムの15秒の場合もあります。
と言うことは、例えば「自己PR」などは内容も決まっているのだから、10分の原稿からスタートし、5分、2分、30秒、15秒のバージョンを用意し、いつでも出せるよう練習しておく必要があります。もし30秒で完璧に相手の心をとらえるスピーチができれば、その人は一時間の講演もできるだろうと評価することでしょう。
短いスピーチほど準備は万端に。改めてスピーチの勉強と練習をし直そうと思います。


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■願望を語ってはいけない

おはようございます、石田久二です。ただ今、名古屋バスターミナルでiPhoneから更新しています。今から大阪に戻りますが、ちょっと寝不足なので車内でしっかり寝ようと思います。


ところで、昨日の名古屋セミナーは、いつもの通り「願望実現」がテーマ。基本的に願望は口に出した方が実現しやすいです。願望を言うべきか否かと問われたら、私は言うべきと答えます。


ただし、時として、口に出さない方がいい場合もあるので、そのことについて書きたいと思います。


願望を言わない方がいいケースとは。それは、

「願望を言うこと自体が目的化しているケース」

です。それは「宣言を伴わない願望」と言えるでしょうか。学生時代などよく話を聞きました。とりあえず会社入って起業するつもり。卒業までにベンチャーを立ち上げたい。昔から英語の先生になるのが夢だった(ちなみに大学には英語科はなし)。学生の間に古典を百冊読みたい。などなど。


ま、無気力に生きるよりはナンボかましですが、この人たちはたいてい「夢を語ってる自分に酔うのが好き」なだけ。はなから動く気もなし。動いてしまうと語れなくなりますから。


同じようなことが恋愛にも見られます。ある人を好きになった。だけど告白する勇気はない。とりあえず友達に相談しよう。そこで友達は背中を押すようなことをたくさん言ってくれます。だけど、、、


この場合も結局、恋愛そのものについて語るのが好きなだけ。もんもんトキメキ、私の彼論。語りたい、聞いて欲しい。


おそらく、これでは恋愛が発展する可能性は極めて低いでしょう。もし、なんらかのアクションを起こしてしまうと、この「語る楽しさ」が失われてしまうから。恋愛がしたいのではなく、恋愛について語るのが好きなだけ。


もちろんそれはそれで立派な楽しみ。いい肴になる。だけどもし、本当に恋愛を進めたいのであれば話は別。語ることで気持ちを完結してはなりません。本当に進めたいのであればむしろ黙っているべき。


語りたい、語りたい、このエネルギーが行動のモチベーションになるのです。一生、恋愛を語るだけでいたいならそれでいいけど、恋愛そのものを楽しみたいのであれば、語るのをグッと我慢してアクションに移して欲しい。


願望実現も同じ。願望の明確化は大切だけど、願望を語ることで満足してはダメ。それはエネルギーの垂れ流し。語りたい気持ちをグッと我慢する。実現してから、成就してから思いっきり語ればいい。


有限実であれ、不言実行であれ、「実行」が伴わなければただのアミューズメントですから。

※もちろんコーチングやセミナーでは大いに語るべき。なぜなら、その場合の語ることは、「実行」に対する宣言(コミットメント)になるのだから。


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■全裸で飛ぶ夢

おはようございます、石田久二です。
本日は名古屋セミナーで、ただ今、会場近くのマクドナルドで時間をつぶしています。マクドはWi-Fiが入ってるので、こうやってブログもサクサク更新できます。
ところで、今朝、変な夢を見ました。思い出して書きますが、まず、バスタオル一枚を腰巻きにした私が登場します。
そしてその腰巻きを気にしながら、突然、空を飛び始めます。しかし、次第に腰巻きがほどけていき、全裸で空を飛んでしまいます。
その時、「なんだが村上龍の小説みたいだな~」とか独りごちながら、同時にトリップしているのです。ドラッグをするとこんな感じなのかな。とても気持ちよく飛んでいます。
そしてそろそろ下界に降りようと、ある建物に狙いを定めておりたちます。着地成功。しかし、まだ全裸。なぜか手に短パンがあったので、それを履こうとすると、脱がしにかかる奴が出てきて、うわ~と叫んで目が覚めました。自分の声で目が覚めた感じ。
面白かったので、夢診断のサイトを見るといろいろ書かれてありました。気持ち良く飛んでる限りは「吉夢」で、大きく飛躍する前触れだとか。やった~!
ただ、全裸はなんでだろう。腰巻きは。脱がそうとする奴は。私の解釈はこう。
?空を飛ぶ=大きく飛躍する
?腰巻き=飛躍に対する心のブレーキ
?全裸=脱皮
?脱がそうとする奴=ブレーキを外すいい奴
?抵抗する自分=ブレーキにしがみつこうとする自分
いずれにせよ、大いなる飛躍の前触れには違いないようです。


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