■人生でいちばんいい時

こんばんは、石田久二です。
マーク・ハンセンらによる「こころのチキンスープ」を時々読み直すことがあります。その中に、とてもいい話が書かれてあり、私もちょっと真似してみました。本文は下の方に転載させて頂きました。
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1973年2月27日、温かい両親の元に生まれ、最大級の愛を持って育てられた。
あのころが人生でいちばんいい時だった。
少年時代は二人の兄弟に挟まれ、友達も多く、時々ケンカしながらも、毎日活発に過ごしていた。
あのころが人生でいちばんいい時だった。
中学に入ると吹奏楽部に入り、嫌なこともあったけど、音楽の素晴らしさに生きる意味を見いだした。
あのころが人生でいちばんいい時だった。
高校ではおそらく初めて人を好きになった。叶わぬ恋だったが、恋する気持ちだけで毎日が充実していた。
あのころが人生でいちばんいい時だった。
大学受験に失敗し、予備校生活を送ることになったが、そこで初めて本に開眼し、世界が一気に広がった。
あのころが人生でいちばんいい時だった。
大学時代は勉強もした、酒も飲んだ、恋もした、旅もした、とにかく自由に、そして熱く生きるだけ。
あのころが人生でいちばんいい時だった。
大学卒業後、一大決心をして世界放浪に出た。8か月半で世界一周し、文字通り世界が広がった。大変な思いもしたけど、それはもう楽しい毎日。
あのころが人生でいちばんいい時だった。
放浪から帰って大学院にも進学した。思う存分に自分のやりたい勉強に打ち込み、学会発表などもした。相変わらず暑かった。
あのころが人生でいちばんいい時だった。
さらに進学するも3カ月で挫折。ニート状態になったが、自分の人生は改めて振り返ることができ、気づきや学びも多かった。生きることを改めて考え、それはそれ充実した毎日。
あのころが人生でいちばんいい時だった。
初めて会社員になり、中途入社だったこともあって、いろいろと大変ではあった。だけど、今の妻とも出会い、趣味も充実、何だかんだと毎年海外旅行にも行き、それでいてビジネススキルもアップしていた。
あのころが人生でいちばんいい時だった。
4年半勤めた会社を辞め、3週間のインド放浪に出た。やはり大変な思いもしたが、人生を揺るがす悟りに到達した。
あのころが人生でいちばんいい時だった。
フリーランスになって、どうやって生活していけばいいかもがいていたが、裏腹に精神世界を楽しみながら、人生のダイナミズムを味わっていた。
あのころが人生でいちばんいい時だった。
そしていま、
結婚もして、最愛の息子まで授かった。本も出版し、仕事も上向き。自分のやりたいことを不自由なくでき、それでいて妻や子どもともいつも一緒に過ごさせてもらっている。もちろん健康この上ない。
いま、この時が人生でいちばんいい時さ。
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『こころのチキンスープ12 みんな誰かを愛してる』より
 あと二日で6月15日。私はいよいよ30歳になる。
 もう30代になるのかと思うと、私は憂鬱だった。
 幸せだった時代は、もう終わってしまったのかもしれない。
 私は毎日、スポーツジムでひと汗流してから会社に行く。
 そのジムで、毎朝ニコラスに会う。
 ニコラスは79歳だが、鍛えた見事な体をしている。
 その朝、いつもどおり「おはよう」と声をかけたのだが、
 彼は私がふだんのように元気でないのに気づいた。
 「具合でも悪いのかい?」
 私は30歳代にさしかかって不安だと打ちあけた。
 私が彼くらいの年になったら、人生をどうふりかえるのだろうか・・・。
 「ニコラス、人生でいちばんいい時っていつだった?」
 彼は即座に答えた。
 「ジョー、きみの哲学的な質問に対して哲学的に答えよう。」
 「オーストリアで何ひとつ不自由のない子ども時代を送り、両親に守られていた。
 あのころが人生でいちばんいい時だった。
 学校にあがり、今の自分を作った知識を学び始めた。
 あのころが人生でいちばんいい時だった。
 社会に出て就職し、一生懸命働いてお金をもらった。
 あのころが人生でいちばんいい時だった。
 いまの妻と出会い、恋に落ちた。
 あのころが人生でいちばんいい時だった。
 第二次世界大戦になり、私は生き延びるため妻とオーストリアから逃げた。
 北アメリカ行きの船の甲板で妻と無事を喜んだ。
 あのときが人生でいちばんいい時だった。
 カナダに行き、二人で新しい生活を始めた。
 あのころが人生でいちばんいい時だった。
 父親になり、子どもたちが成長するのを見守った。
 あのころが人生でいちばんいい時だった。
 そしていま、
 ジョー、私は79歳だが、病気もせず、元気で、結婚したころと同じように妻を愛している。
 いま、この時が人生でいちばんいい時さ。」
                


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■ちょっと独白

こんばんは、石田久二です。

昨日、もう一つのブログ(宇宙となかよし)にて、毎年12月に行ってる札幌セミナーも今年で5年目になる、と書きました。そして改めてつくづく思いました。よく続けてるよな~、と。

傍から見たら順調に思う人もいるかもしれませんが、決してそんなことはありません。何度も挫折しかけました。現にセミナーを意図的に中断した時期も二度ほどありました。理由は続ける自信がなくなったから。

それはやはり、参加者の減少であったり、時として厳しいご意見だったり。自分にはセミナーを続ける能力がないのかと、いろいろ悩んだ時期もありました。しかし、それでも前に進むしかなく、同時に進むだけの原動力を頂くこともあり、やっていると、そんな時こそ追い風が吹いたりします。

例えばセミナーの値段を思いきって倍にしたにもかかわらず、いつもの倍の人数が集まったり、または、影響力のある人から絶賛して頂いたりなど。つまりやっていると、それなりに「波」があるものなのです。そして正直に言うと、悩んでいる時間の方が長いと思います。
これはすごく寂しいです。誰にも相談する人がおらず、ただ、目の前の壁を見つめながらぼんやり考えるしかない時間。私が滝に打たれたくなる気持ちもお分かりでしょう。そうでもしなければ、気がまぎれないし、頭がショートしそうになるから。

でも、何だかんだ言って続けてられるし、気がつけば、確かに昨年よりは進歩しています。そして何より嬉しいのが「開催してくださってありがとうございました」との声。それはいくら貰っても代えがたい勇気になります。

そしておそらくは、これからも続けていくのでしょう。当然、いろんな壁にもぶつかるだろうし、規模が大きくなるにつれて風当たりも強くなる。でも、これって今、ずっと先を進んでいる人のすべてが経験してきたことなんだろう。

そんな幾多の困難に負けずに、頑張ってこれた人だけが知る世界がある。私の目の前はまだまだ暗黒。光がさしたと思ったら、またすぐに暗黒に戻る。いつになったら、本当の「光」を見ることができるのだろうか。きっと永遠にないんだと思う。せいぜい時折さす光に息を吹き返しながら、相変わらず暗闇を進むしかない。そんなもんだろう。

だけど、最近、思うこともあります。本当のところ、私って自分でやってる気もしない。何か大いなる存在にやらされてる気がする時があるのです。「やらされてる」と言うと否定的なニュアンスがありますが、決してそうではありません。最初からこの道が用意されてて、私はただその道を一歩一歩歩いてるだけ。自分で造った道では決してなく。

そう考えると気持ちも楽になります。とにかくやるしかないんだと。やめようと思っても、なぜかやめさせない力がどこかで働いている。こんなのって、本当は自分で決めることじゃないのかもしれません。とにかくこれからも頑張っていきたいと思います。


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■キン肉マンは実在するか?

こんにちは、石田久二です。
11月28日は記念すべき日となりました。なんとあの「キン肉マン」が週刊プレイボーイ誌上で24年ぶりに再スタートしたのです。私のキン肉マンフリークぶりは周囲から嫌がられるほど。興奮せずにはいられません。
ところで、こんなこと言うと頭おかしい思われるでしょうが、キン肉マンってもしかしたら実在するかもしれません。キン肉マンだけでなく、ロビンマスクも、テリーーマンも、ウォーズマンも、プリプリマンも。
なぜ、こんな風に思うかと言うと、それは「宇宙が広大だから」です。
これは「宇宙人実在論」の話につながるのですが、どうでしょう。宇宙人ならいると思いますか? それなら多くの人が「いる」と答えるのではないでしょうか? しかしちょっと待ってください。その根拠はなんでしょうか? 有史以来、これまで知的生命体としての宇宙人はおろか、バクテリアのような原始生命さえ見つかってないのですよ。
そこで、その根拠として持ち出されるのが「宇宙が広大だから」です。中には「見たから、会ったから」という人もいますが、それまた客観的に確認される材料がないのも不思議なことです。
実のところ、私自身はしばしば「宇宙人不存在論」を提唱することがあります。もちろんバクテリア程度であればいても不思議はありませんが、地球人並の知的生命体に関してはどうでしょうか。これは残念ながら、限りなく可能性は低いと言わざるを得ない。
実際、ドレイク方程式のように「宇宙人が存在する可能性はある」と言った見解もあるが、であればなぜに今まで見つからないのかと言う「フェルミのパラドックス」という問題もまた同時にあるわけです。
私自身の結論としては、これだけ宇宙は広いのだからどっかにはいるだろう、と思いながらも、お互いが接見する可能性は限りなくゼロとしか言いようがないわけです。また、仮に会っていたとしても、私たち人間の「認識(概念)」の範囲内でなければ、その存在を認めることにはなりません。
そんなことを時々言うものだから、私について「想像力が乏しい」とか「考え方が単純だ」などの評価をする人も無きにしも非ずですが、それならばその存在の可能性を示して欲しいもの。「見た、会った」などの客観性のない根拠ではもちろんなく。
そう言うと、最初の話に戻ります。つまり「宇宙が広大だから」の根拠です。確かに宇宙人が存在しないことを証明することはできません。それは悪魔の証明となり、論証不可能だから。となると、キン肉マンが存在しないことを証明することもまたできません。
もし宇宙人が、「宇宙が広大だから」という理由で存在すると言うならば、キン肉マンだって同じこと。これだけ広い宇宙なのだから、どっかにキン肉星もあるだろうし、キン肉マンだっていていいのです。そしてそれがいないことを証明することもできないわけですから。
確かに、キン肉マンはゆでたまごというマンガ家による架空の登場人物です。しかし「架空=存在しない」とも決して言えません。携帯電話でさえも、一昔前は架空の想像物でしたし、さらに言えばニュートリノだって、仮説の域を超えるものでなかったものが、実際に確認されています。ブラックホールもしかり、今のところ理論上のものでしかなく、その存在はまだ確認されていません。
ですので、キン肉マンだってどこかにいるかもしれない。または、今後、生まれるかもしれない。もし「宇宙人は存在する」と言うのなら、私だって言わせて頂きます。キン肉マンは存在します!


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■ホームとアウェー

おはようございます、石田久二です。


今年、東京と大阪で「宇宙となかよし塾」なるお話会をして、どちらも満員の盛況ではあったのですが、「内容がブログとかぶり過ぎる」なるご意見も頂き、少々悩んでしまっています。


セミナーの場合は資料もきっちり用意して、もちろんコンテンツも積めて行っているのですが、お話会の場合は、その辺の手抜かりがあるのも事実です。結果として、特に私のブログをよく読んで頂いている方にとっては、さほど目新しい情報もなく、がっかりさせてしまうことも少なくないようです。


以前「私はアウェーに強いようだ」と書いたことがあります。この場合の「ホーム」とは私のブログの読者さんであり、ある程度私の人となりを知ってくださってる方。一方、「アウェー」とは、呼ばれてしゃべる場合など、私のことをほとんど知らない方々の場。


私のことを知らないのだからブログも読んでおらず、話す内容のすべてが新鮮であるのも当然のこと。そして実際にウケもいい。私もノッてくる。それに対してホームの場合は、眼差しは温かいものの、アウェーのようなギラギラ感はあまり感じない。それはそれで安心できるものの、ノリの上ではアウェーに軍配が上がってしまう。だからなのか、私自身もセミナーの場を、最近はどうしてアウェーに求めてしまう。


結局、ホームもアウェーも一長一短があります。

〇ホーム :(長所)リラックスできる、(短所)ネタが新鮮でない
〇アウェー:(長所)ネタがいつも新鮮、(短所)緊張にさらされる


こう図式化すると、方向性はシンプル。ホームでは「一つでも多く新しいネタを仕込んでおく」、アウェーでは「リラックスして早口にならないよう心がける」と言うこと。嬉しいことに、今はホームとアウェーのどちらにも機会を頂いており、当然、やり方を変える必要があると思っています。


そしてどちらが向いてるとか、やりやすいではなく、「どちらも難しい」って前提で、そのための準備をしっかりしていくことが必要なわけです。厳しいご意見を頂いたこと幸い、次回は入念な準備の上、もっともっと内容を高めてのぞみたいと思います。


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■ミクシィ・・・そろそろ正念場か

おはようございます、石田久二です。
先ほど、国内最大SNSのミクシィの利用者が大幅に減っているとのニュースを読みました。その発表に対して、ミクシィ側はクレームを発したそうですが、そこは実際の利用者が一番よくわかっています。
正直、ミクシィに求められているのは「日記」と「コミュニティ」だけです。加えて交流のための「足跡」くらい。「つぶやき」や「アプリ」など、別のサービスに任せておけばいいだけで、やっぱりそのサービスにはサービス固有の良さがあるので、それを大切にして欲しい。
今、外部からはフェイスブック、内部からはグリーやモバゲーなどアプリ系のSNSが猛威を奮っており、それらの「イイトコドリ」をしようと、じわじわとマイナーチェンジしていき、気がつけばミクシィがよかった時代の面影がほとんどなくなっています。
正直なところ、今、私はミクシィよりもフェイスブックを中心に使っています。また、「足跡」をまとめて表示するようになった結果、訪問者の総数がわかるようになっており、私で言うと900人以上のマイミクに対して、200人弱しか訪問していないことがわかります。ちなみに「マイミク」なる用語もなくなり、いつのまにか「友人」に変わっていました。「らしさ」がどんどんなくなる。ミクシィを長く使ってきた私としては、とても残念な気持ちでいます。
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ミクシィ、ネット視聴率調査の“mixi利用者数大幅減”に反論
Impress Watch 11月25日(金)20時0分配信
 株式会社ミクシィは25日、ネットレイティングス株式会社が提供しているインターネット利用動向調査サービス「NetView」の2011年10月度の結果を受け、SNS「mixi」の利用実態に大きく誤解を与える解釈、報道などがなされているとして、「利用者数に関して、報道などで見られるような大幅な減少はない」とする見解を発表した。
 ネットレイティングスでは、家庭および職場の調査パネルのアクセスデータを基に、日本全体のインターネット視聴動向を推計する統計サービスを提供している。インターネット視聴率「NetView」の2011年10月度のデータでは、集計方法を変更したことに伴い、mixiの利用者数が838万5000人となり、9月度の1472万3000人から大きく減った。
 このデータを基にしたブログ記事に対してネットレイティングスでは、2011年10月度データから視聴率の集計に算入すべきでないURLを排除する集計対象外処理として、mixi以外の外部サイトでmixiの「イイネ!」ボタンを押した際にリクエストされるmixiドメインのURLを集計対象外にしたと説明。外部サイトでmixiの「イイネ!」ボタンを押しただけで、実際にmixiサイトを視聴しなかったためで、Facebookなどの外部「いいね!」ボタンに関しても同様の調査をしたが、同社の視聴率にはこれらのボタンを押した際にリクエストされるURLは集計に含まれていないとコメントしている。
 これに対してミクシィでは、自社データの調査を実施しているが、利用者数に関して大幅な減少は無いと説明。また、mixiは各デバイスを併用するユーザーが多く、約5割がPC、約8.5割がモバイル・スマートフォンからのアクセス(重複あり)となっており、ネットレイティングが集計するPCからのアクセスのみのデータはサービス全体を表したものではないと反論し、こうした誤解を与える解釈が生じる調査を行ったネットレイティングに対して「公式説明を求めている」としている。
【INTERNET Watch,三柳 英樹】


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