■女の子も悪い?はあ?

こんにちは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
池谷裕二さんの「脳はなにかと言い訳する」という本を読んで気が付いたことがあります。
脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)/池谷 裕二

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タイトル通り、「脳」は「言い訳」する性質が備わっているそうです。それは自己防衛本能ゆえに。私が小学生高学年か中学生の頃、思い出したくもない凄惨な事件が世間を騒がせました。「コンクリート」と言えば、ある年代以上はほとんどの人が知っているでしょう。女子高生を監禁状態にして、、、という事件です。
犯罪史上に残る最悪の事件で、加害者は絶対に許されるべきではない。生涯をかけて遺族や社会に償うべきだと思っています。あの事件当時、まだぼんやりとしか事件の内容を理解できなかったのですが、今ならわかります。しかしあの事件当時、そしてその後も、理解力の乏しい私でさえも不思議に思った論調が聞こえていました。それは「女の子も悪い」って意見です。
いやいや、どう考えても悪いはずないでしょ。素性は知りませんが、少なくともあの事件の被害者にならねばならないような悪いことは絶対にないはずです。もっと悪い人間は世の中にごまんといるはず。
だけど今なら、その論調が出てきた理由も何となくわかります。その「女の子も悪い」って意見は、実はそれを言った評論家と言うより、何も関係のない視聴者、一般市民こそが求めていたのでしょう。と言うのは、あの事件は、どう考えても理不尽以外になく、救いようがありません。
そしてその事件をニュースで知った視聴者は、加害者を憎み、被害者に強く同情します。しかし、憎み同情したところで、心は収まりません。その時人は、その収まりのなさを解決するための方法を、どうにか探そうとします。その答えの一つが「女の子も悪い」って論調なのでしょう。
何度も言いますが、その事件の被害者になるほどに悪いはずはありません。その「悪い」の根拠として、加害者に着いて行ったなどと言う人がいますが、自らの意思で着いて行ったわけじゃないことは明白。おまけに女の子は普段から不良グループと付き合っていたなどのデマまで登場する始末。
つまり、あまりの理不尽さゆえに、それを知った人たちの「心」そのものがストレスにさらされるわけで、そのストレスを軽減するためには、その理由、言い換えると「言い訳」が必要になるのです。その結果、加害者を擁護したり、同時に被害者の落ち度を探したりなどの論調が生まれるのです。
そしてその「言い訳」を一番求めていたのが、単なる傍観者である一般視聴者だったのでしょう。


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■神社でお賽銭を投げること

こんにちは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
今朝、今年一発目の「7日滝行」を満行しました。正月(一月)も半ばとなり、初詣の混雑もひと段落したころかなと思います。ところで以前、滝行の導師から大切なことを教えて頂きました。それは、
「神社ではお賽銭を投げてはならない」
ということです。実際、神社で観察をしていると、投げ入れている人の方が多いですが、投げずに静かに入れている人もいます。ただ、感覚的に、風習的に、神社ではお賽銭を投げて入れる人が多いように感じます。
これがもし神社ではく、生身の人に対してだとどうでしょう。投げられた方は決して良い気分にはなりません。私が外国のある国で買い物した時、お釣りを投げてよこされたことが何度かありますが、それがその国では普通なのかもしれませんが、やはりいい気分にはなりません。
そう考えると、神様も同じこと。投げてよこされていい気分にはなりませんし、投げる側もお金をぞんざいに扱っているようで、あまり良い姿には感じられません。ただ、お賽銭を投げる側には一理はあるようです。
それは、投げることでお金の「穢れ」を落とす意味合い。ただし、この意見にも疑問点はあります。そもそもお金は穢れているのか、という問題。私が思うに、お金それ自体は誰が使おうが、何に使おうが、ニュートラルです。確かにお金が人を不幸にすることはあれど、幸せにすることも多い。と言うか、お金のお世話になっていない人は、おそらくこの日本には存在しないでしょう。
つまり、お金を「穢れ」と意味付けするのは、その人の価値観に過ぎません。お金が穢れていると信じているのなら、お賽銭を投げ込んでもいいでしょう。だけど、私はお金に対して、どこまでもニュートラルです。ですので、穢れもないので、投げることもありません。
もちろん、お賽銭を投げる投げないは、その人の価値観の問題。投げている人に対して、苦言を呈することもありません。ですが、私自身は、人にお金を渡す時、店でモノを買う時、そして神社でお賽銭を入れる時は、「ありがとうございます」の気持ちで、丁寧にお渡ししするようにしています。


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■久々に・・・

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
久々に、、、「人気ブログランキング」へのランクアップにご協力頂けますと、今日も非常に寝付きがよいように思われます。
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さて、何位まで上昇するでしょうか。今日もありがとうございました。


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■この「方向」は正しいのか?

こんにちは、行動強化コンサルタントの石田久二です。


今から書くことは、おそらく読み手にとって不愉快な文言も含まれる恐れがありますが、ちょっと疑問に思ったことを素直に書きたいと思います。この分野に完全に無知であることを断った上で。


いわゆる「気学」ってありますよね。「「方位学」とか「九星」という言い方もあるそうですが、他にも「風水」とか「四柱推命」とか、一般的に「占い」とかもそう。私の周囲に、とても詳しい人や、関心の高い人がかなりいらっしゃいます。時には私の名前の画数や生年月日から、頼みもしないのに勝手に占ってメールを送ってくる方もいらっしゃいます。


正直言って有難迷惑なのですが、今日するのはその話ではありません。例えば「気学」に関して言うと、あっちの方向がいいとか悪いとか、行動の判断基準されている方もいらっしゃいます。そう言えば以前、私のセミナーに参加された方で、私とは面識のない風水セミナーをされている方から、「そっちの方向はよくない」とアドバイスされたそうです。


「そっちの方向」とは私のセミナーのこと。そっちに行かずに、自分のセミナーに来いとのことだったようですが、その方はアホらしくなって予定通り私のセミナーに来られました。だけどもし、本当に信じ込んでいる人、つまり「方位至上主義」のようになっている人ならば、言うことを聞いていたのかもしれませんね。


そもそも「方向を気にする」とはどういうことなのでしょうか。私はその手の知識に疎いので、今まで何をするにしても、どこに行くにしても、「方向」を気にしたことはありません。すべて私自身の「やりたい・行きたい」を基準にしています。そして失敗したことは、私が意識している範囲では一度もありません。


ではもし、「方向」を気にする人、それを行動の基準にしている人であれば、自らの「行きたい」とどちらを優先するのでしょうか。何かのきっかけで、ある場所に行きたくなったとします。そこで「方位」を調べてみたところ、その方向はよくないと判断されました。


もっと別のケース。友達3人で旅行に行くことになり、他の2人は湯布院に行きたいと言いました。自分もそれは悪くないと思いながら、「方位」を調べてみたら、そっちは凶と出てきました。そうなると別の場所に行くのか、旅行をキャンセルするのでしょうか。


もし私の友達にそんな人がいたら、すごく面倒くさいと思うでしょう。一緒に行きたいと思わなくなるでしょう。もし私のパートナーがそんなことを気にする人だったら、間違いなく夫婦喧嘩の種が増えているでしょう。


私はあくまで自分の直感、感性を頼りにします。仮に方向が良くないと言われても、行きたければ行く。方向が良いと言われても、行くたくなければ行かない。それでいいし、何も困ることはありません。人はよく「転ばぬ先の杖」とも言いますが、私に言わせると、「転んだら転んだでいいじゃん」となります。すべては学びであり、そもそも「大丈夫」なんですから、自分の感性に従うの一番です。少なくとも私はそう思っています。


ですので、もしも「気学」やその他の占い等一般が、自らの行動を「制限」するようなものであれば、正直、首をかしげます。それで商売している人には申し訳ないですが、どんなものでも自らの制限になるものはない、すべては大丈夫だし、すべては上手く行ってるのです。


もしも、今、「方位」に苦しめられている実感のある人がいれば、ぜひ今日のエントリーを参考にしてみてください。「方位」を知ってて得するもあるかもしれませんが、損することもある。だけど、自らの感性を常に第一優先としていたら、得することはあれど、損することはありません。行きたいところにはすべて行けるし、やりたいこともすべてできる。


そんな人生、生き方を私は素敵だと思っています。


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