■ビジネスの安定とは

こんにちは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
今朝、起きてアメブロを開いてみると読者登録申請をいつもよりたくさん頂いておりました。「パワーブロガー養成講座」の田渕さんから記事のご紹介を頂いていたようです。ありがとうございます。
すごく共感した記事があります。
昨日書いた「みっともない人間」という記事に共感頂いたようで、おそらく田渕さんご自身も同じようなご経験をお持ちだからこそなんだと思います。正直、かっこよく集客できる人なんて、芸能人、著名人、一日10万アクセス以上あるブロガーくらいのもので、ほとんどはそうではありません。田渕さんも今でこそ成功されていますが、それまではすごく泥臭くやってきたからこそわかるんだと思います。
世の中には「強者」と「弱者」が存在します。ただし、この言葉は優れている劣っているの意味ではなく、経営戦略上の「強者」と「弱者」のことを言います。「強者」とはいわゆる著名人や大企業のことで、絶対的な知名度と資金力を生かして市場優位を確保する人たちのこと。
一方、「弱者」とは知名度にも資金力にも限界があるため、市場をできる限り絞り込んで、その中での優位性を確保する人たちのことであり、そこでとられる戦略が「弱者の戦略」と呼ばれています。その点で言うと、世の中のほとんどは「弱者」であり、当然、その人たちが豊かに稼いでいくには「弱者の戦略」しかあり得ません。
「弱者の戦略」にはいろいろな方法論があるのですが、その中で「長時間労働」というものあります。これは「大量行動」と言い換えていいと思いますが、つまりは世の中の多くの人が、自分の専門分野で優位性を保つためには「大量行動」が絶対的な条件となるのです。
例えば「集客」について言えば、いわゆる「強者」であれば、AKB48など知名度のあるキャラを多額の資金で活用すれば、かなりの売上が望めます。しかし、大多数の「弱者」がAKB48を活用することなどできません。せいぜい、時々取材を受けて露出する程度のことであり、それはラッキーと言うべきでしょう。
なので「弱者」が集客するには、やっぱり泥臭くやるしかないのです。それこそ大量に。そんな姿を見て、一部の人は「みっともない」とか「痛々しい」などと言って揶揄します。しかし田渕さんの言うように、本当にみっともないのは集客できないこと。そして稼げないことなのです。
私はビジネスの基本は「大量行動」と「人間関係」にあると考えています。一言で言うと「大量に人と会うこと」です。これはオフラインだけでなく、オンラインでも同じこと。オフラインの場合はとにかく訪問すること。件数を増やすこと。足しげく通うこと。一方、オンラインの場合は、読者数や記事数をひたすら増やすこと。ブログ、メルマガ、SNSの配信数を増やすことです。
そのようにすると、一部の人から「うざい」と思われ始めます。そしてメルマガならば解除されます。それはいわば拒絶になるのですが、その拒絶を怖れて「大量行動」が抑制されることが一般によくあります。
しかし考えてみると、誰が「うざい」って思うのでしょうか。それは多くの場合、発信者の知らない人であり、言うなれば顧客ではありません。つまり、まったく知らない人から「うざい」って思われるだけなのです。それが愛する人から思われるのであれば、確かにへこむこともあるでしょう。
しかし、「大量行動」によって誰かしからか「うざい」と思われるのは、一方で本当に愛する人たちを守ることにつながります。それは家族や社員のこと。自分自身の「大量行動」によって「うざい」と思われることなくして、愛する人たちを守ることはできません。
また、「うざい」と思われる一方で、少なからずのシンパシーを感じる人も出てきます。泥臭く頑張っている姿を見て勇気づけられる人、さらに発信した情報によって助けられる人も出てきます。ようは、「大量行動」によって向けられる対象は、揶揄する人たちではなく、ファンや愛する人たちに対してなのです。
とにかくも「大量行動」によって「人間関係」は広がっていきます。すると、注文や紹介が増え、さらに「大量行動」せざるを得ない状態になる。するとさらに「人間関係」が広がっていき、最終的には「大量行動」と「人間関係」のスパイラルが発生します。それを私は「安定」と呼んでいます。
「弱者」が目指すべき方向はまさにこのスパイラルです。そのためにまずは怖れず、「大量行動」に向けた第一歩を踏み出すことが重要なのです。


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■みっともない人間

こんにちは、行動強化コンサルタントの石田久二です。大阪出張時は更新をさぼってしまいました。言い訳しません。単なる怠惰ですので、今日からまた新たにアメブロの方も更新したいと思います。
ところで、2007年にセミナーをスタートさせたのですが、私のセミナーは基本的に自主開催が主でした。ところがここ最近、呼んで頂く機会もちょっとずつ増えてきました。セミナーで一番大変なのはやっぱり集客です。専門分野に対する知識や経験がどんなにあろうとも、集客に苦労して続けられない方が非常に多いです。
それだけに、セミナーの企画と集客をして頂くことがどれほど有り難いか、最近、本当に感謝の気持ちがあふれ出てきます。とは言うものの、何もかも主催者任せでは必ずしも良いセミナーにならないようです。講演者も一緒になって集客する。作り上げる。その一体感が大切だと思うので、呼んで頂くことがあっても、可能な限り私も集客協力させて頂きたいと思っています。
話を戻しますが、この世の専門家と呼ばれる人のほとんどは、一日程度のセミナーをするネタは十分に持っています。それができなければ専門家ではありません。ですので、やはり集客がネックになるのでしょうが、そのためには最終的に「必死」になることが重要だと思っています。
そして私自身もしばしば「必死」になることがあります。そんなある日、「みっともない」と言われたことが過去に数回ありました。直接言わずとも、「メルマガが鬱陶しい」とか「焦りが伝わってくる」とか「痛々しい」とか、知人とかどうかに関わらず言われたことがあります。
これなんだと思います。集客できない理由は。ようは、できることを手当たり次第にやればいいのですが、人から「みっともない」と言われることへの恐怖。私のように実際に言われたならまだしも、一度も言われてないうちから、そのことを心配する。特に「先生」と呼ばれる人たちは、それなりにプライドも高いです。ですが、そのプライドこそが足かせに、つまり「メンタルブロック」となっているのです。
常に呼ばれている、またはちょっと告知しただけで即日満員になるほどの実力があればまだしも、そこまでにない専門家の方は、どこかでみっともない思いをしながら頑張ってみることも必要。言われることを怖れるのではなく、実際に言われてみる経験も重要。
むしろ言われた方がいい。人に「みっともない」なんて言う人は、その経験がないから気持ちがわからないのです。私は当然のこと、気持ちがわかりますので、みっともない人を逆に応援したくなります。だけど、みっともないことから逃げて、上から見下ろしてるような人の応援はしたくありません。
「みっともない」と言われることへのメンタルブロックがあるのであれば、実際に言われてみるといい。全然大したことないことがわかるから。言う人の方がみっともない、と言うかカッコ悪い。しかし、みっともないと言う人が出てくるということは、逆に応援したくなる人もでてくるものです。
とにかく、やると決めたのであれば、最後までやる。どんどん積極的にみっともない思いすればいい。そうやって人は脱皮していくものですから。私もまだまだみっともない人間でありたいと思っています。


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■メルマガは解除されてナンボ

おはようございます、行動強化コンサルタントの石田久二です。

今年になってからメルマガの配信頻度を上げました。

石田久二の『自分らしくステキに生きようゼ!』
(バックナンバーはこちら

最近はツイッターやフェイスブックが主流で、メルマガを始める人は少なくなったし、また、開封率も低くなっていると聞きます。じゃあ、メルマガは廃れてるのかと言うと、決してはそうではありません。ネットで集客する、販売するような人は、今でも不可欠です。

私のメルマガの読者さんは現在、2,500名ほどいらっしゃいますが、例えば今朝配信された号で、1月27日の「宇宙となかよし塾in東京」のご案内をさせて頂いたところ、配信後3時間足らずで新たに5名様のお申込みを頂きました。

反応率で言うと、やはりブログやフェイスブック以上のものがあるのは否定できないわけです。じゃあ、メルマガの読者を増やすことで、それだけ反応が上がるかと言うとそうではありません。例えば昔流行ったような、懸賞サイトなどで有料で読者を買うようなやり方。何の意味もありません。

以前、私の知人がセミナーの集客をする際、私も一度、ご協力させて頂いたのですが、25,000円のセミナーが私経由で20名ほど申込があったと聞きました。しかし、同じセミナーの告知で、有料メルマガに3万人の読者に向けて配信したところ、反応はゼロであったと。

つまり、読者さんとのラポールがない限り、どんなに数を打ってもほとんど意味がないのです。その点で言うと、私はブログやセミナーなどから自らメルマガ登録された方しかいらっしゃいませんので、反応率が比較的高いことは頷けること。

しかし、メルマガってのは、配信すれば解除も増えます。最近はそうでもないのですが、以前、配信したら一気に読者さんが減って凹んだものです。そうなると、配信することが怖くなる。実際、20万円ほど出して1,000人ばかりの読者さんを集めたにもかかわらず、減るのが怖くて配信できないって人がいました。

何のためのメルマガだかさっぱりわかりません。私たちが求めているのは、読んで頂ける読者さんです、その意味で言うと、読んで頂けない読者さんから、積極的に解除して頂く方がありがたいわけです。

時々、名刺交換しただけで勝手にメルマガ登録して、しかも解除するにはその旨を返信してください、などと送られる方がいらっしゃいますが、そんな面倒をかけさせるのはますます読み手を減らす原因になります。

むしろ、解除していて頂くために配信する、くらいの方が勢いがあっていいのです。やはり「何のためにしているのか」の基本を忘れてはならないのです。


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■求められる男性像

おはようございます、行動強化コンサルタントの石田久二です。今年に入ってからすっかり早起きが定着してきました。早くて4時、平均5時、遅くとも6時に前には起きるようになっています。本文に行く前に、よかったらランキングへの応援、よろしくです。
昨日、フェイスブックに興味深い書き込みがあったのでシェアさせて頂きます。
【女性が男性に求める「3K」の移り変わり】
●1988年【バブル絶頂期】→「高身長・高学歴・高収入」(スティタス)
●1990年代【コギャル全盛期】→「顔・金・車」(外見)
●2008年【草食男子期】→「小ぎれい・こだわる・枯れ気味」(ロハス)
●2011年【婚活期】→「価値観の一致・金銭感覚の一致・雇用形態の安定」(安全安定)

さらに、ソースはこちら。リンクが切れているので、全文をペーストします。
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結婚相手とする男性の条件は、「三つのK」-。
アクサ生命保険が15日発表した働く独身女性を対象としたアンケート調査で、
結婚相手の男性に求める条件として「価値観」「金銭感覚」「雇用形態の安定」の
三つが上位に入った。
バブル期に条件とされた収入、学歴、身長の「三高」はすっかり影を潜め、
現代女性の現実志向が鮮明となった。
結婚相手に求める条件(三つまでの複数回答)として、最も多かったのが
「価値観が合うこと」で、全体の61.8%に上った。
これに「金銭感覚の一致」(全体の27.0%)、「雇用形態の安定」(26.3%)と続いた。
一方で「高収入」は9位(12.3%)、「高学歴」「高身長」はそれぞれ19位、20位で、
全体の1%強にとどまった。男性に求める理想の年収は平均で552.2万円だった。
また、「一生独身でいるかもしれない」と答えた女性(93・7%)への質問では、
その可能性を初めて意識した年齢は平均28.6歳。34歳までのいわゆる
「アラサー」世代までに、8割弱がそうした感覚を抱いたという。
調査は2月下旬、全国の25歳~44歳の働く独身女性600人を無作為抽出し、
インターネットを通じて実施した。
ソース:時事通信社
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010031500641
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興味深い調査結果ですね。もちろんいつの時代にも「公務員」が(親の)本音として望まれているように、「雇用形態の安定」はトップに来てもおかしくない。「金銭感覚の一致」もなければ夫婦生活は長く続かない。
そして何よりも「価値観の一致」がなければ、長く一緒にいればいるほど摩擦は激しくなる。昔から離婚原因の一番として「性格の不一致」がトップに挙げられていたように、いわゆる「婚活期」の3Kは特に変わったことではありません。
ただ、普遍的にはこのような希望が流れていたのですが、まだ景気のいい時代は、見栄や外見で絞り込めるのほどの精神的ゆとりがあったということでしょう。しかし今はそうも言ってられない。外見なんて年取れば誰だって劣って来るもの。背は縮まないにしても横幅は増える。禿げる。昔景気良くても会社依存である限りわからない。
つまり「婚活期」のそれは、女性の「本音」が出たってことでしょう。贅沢は言わないけど、そこそこの生活で長く幸せに暮らしていければいい。「価値観」なんてものは簡単には変わらないし、その上で収入が安定していれば言うことない。
しかし、これから先もそうだとは限りません。これから世界的にも激動の時代に入ると、公務員とて安泰ではないし、大震災を例に出すまでもなく、「安定」は絶対的な基準じゃなくなっています。つまり「絶対不安定」なる時代が到来した時、本当に求められる3Kはどうなるのか。私は次だと考えます。
「行動力」
「向学心」
「継続力」

「安定」がある程度担保されている時代だと、何事もそこそこでOKでした。しかし、これからはそうはいきません。安定を求めても、その安定が危うい時代。
そこで、求められるのが「行動力」のある人。不安定な状況であっても、それに打ち勝つ力。そのためには絶えず学び続ける「向学心」、そして絶対にくじけない「継続力」が大切な要素になることでしょう。
「草食系」とか言ってられる時代はとっくに終わっています。2015年辺りから、これまでとはまったく違ったパラダイムが訪れると予想する人もいます。そんな時代こそ、何が求められるものか。言うまでもないことでしょう。


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■死ぬ日のこと

こんにちは、行動強化コンサルタントの石田久二です。本日二つ目の投稿。変な言い方ですが、今、ハイヤーセルフが書けと言ってきたので書きます。
どうやら、人は自分の死ぬ日を決めて生まれてきているようです。そして一日違わず、決めた通りの日に一生を閉じています。その日は、生まれてきた瞬間はきちんと覚えているのですが、その記憶も徐々に薄れ、言葉を習得し始める2歳前後には完全に忘れてしまっています。
多くの赤ちゃんは、自分が母胎の中にいる時の記憶があり、産道を通る時のこともしっかり覚えています。それを言わないのは、赤ちゃんにはそれを言語化するだけの能力がないからに過ぎません。しかし割としばしばあることですが、言葉を覚えたての子どもに、生まれる前のことを聞いてみると、しっかり答えることがあります。まったく珍しい話ではなく。
ですが、自分で決めた死ぬ日だけは、完全に忘れてしまうようです。人間の脳は面白いほど都合よくできていて、必要なことはほとんど可能にする一方、自分にとって不要または負担のあることは寄せ付けません。その意味で言うと、「死ぬ日」を覚えておくことは、生きる上で完全に不要なことなのでしょう。
実はこの「死ぬ日」を決めて生まれている、と言うのは人間に限ったことではなく、ほとんどの動物がそうです。そして動物はその日に近付くと、その準備をし始めます。よくきく話としては、象の墓。野生の象は死期が近付くと人目につかない象の墓場に歩いて行って、そこで静かに生涯を閉じます。
また、雀やカラスはあれほど目にするにも関わらず、その死体を見ることはほとんどありません。私も野生の動物が死んでいる姿を見たことが一度もありません。野生動物は自分たちが死ぬ日をわかっていて、そのための場所へと帰っているからなのです。そしてそのまま、人目に付くことなく死に、自然に帰っていくのです。
それに対して、人間はその日を忘れてしまって生きています。発達した脳が、自分にとって不都合な情報を隠してしまうから。ただし、人間の中にもちゃんと理解している人はいます。その一人がお釈迦様。お釈迦様は80歳で天命をまっとうしましたが、死因は食中毒だと言われています。その原因はキノコを食べたこと。
これは後世のいい伝えなのですが、実はお釈迦様にはそのキノコに毒があることを知った上で食べたのではないかと。もちろん、キノコを振舞った人には殺意があったわけではなく、純粋なおもてなしとして差し出しました。お釈迦様は他の弟子たちにはキノコを与えず、自分一人で食べたと言われています。
お釈迦様のような超越した人物は、言わずとも死ぬ日を理解していたようです。そうでない普通の人たちは、幸いにもその日を思い出すことはありません。なぜなら、普通の人には、それを思い出すだけの準備ができていないから。もちろん思い出す必要もありません。
つまり何が言いたいかと言うと、人は誰もが例外なく、すでに「死ぬ日」が決まっているってこと。どんなにあがいてもそこから逃れることはできません。「引き寄せの法則」によると、現実はすべて自分自身が引き寄せたものだと言われていますし、まったくその通りだと思います。
しかし「死ぬ日」だけは、唯一、「引き寄せの法則」の例外となっています。人の生死だけは「引き寄せ」とは関係なく起ります。逆に言うと、生死以外はすべて「引き寄せ」であり、自由に創造することが可能。ですので、死ぬ日のことだけはもうお任せしてしまって、今できることを精一杯やればいいんだよ。
ハイヤーセルフが今、そのように伝えてきました。


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