■複利

こんにちは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
今日の福岡は大雪でしたが、夕方の今、雪もやみ、晴れ間が広がっています。ここ最近、ウオーキングを続けてるのですが、昨日は雪で中止、今日はまだ。でもまだ明るいし、雪も降っていない。
今から歩きに行ける。だけど、面倒くさい。ちょっと寒い。しかし、歩かなかったら寝るとき後悔することはわかっている。歩かない「言い訳」は無限に出てくる。しかし、この「言い訳」が自分をますます弱くする。
「潜在意識」は複利で加速します。つまり毎日コツコツ続けていると、水面下でものすごいエネルギーが増幅しているのですが、同時に、複利で減速するのも事実。一度休めば、その積み重ねも一気にドカン。
と言うわけで、今から歩きに行ってきます。


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■人生逆転法

こんにちは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
今朝も朝から滝行に行きました。2004年8月からやってますので、今年で8年目の冬となりました。年間100日以上やっていますので、今年で800回は滝に打たれたことになります。あと2年で1000回。
やっぱり何事も1,000回やって初めてわかることがある。ブログも1000記事書くと、確実に人生が変わります。こちらの「公式ブログ」は2010年7月からスタートして、一日に複数の記事をアップすることもあるので、もうじき700記事になります。
エキサイトブログの「宇宙となかよし」に関しては、2004年5月から毎日書いていますので、もうすぐ3000記事になります。ここまで書くと、確かに本の出版もできたし、アマゾン総合一位になることもできた。本を出したのは2年前ですので、2000記事くらいの時だったでしょうか。
昔、学校の先生からこんな話を聞いたことがあります。
「10年間、毎日、日記を書いている人に、大成しない人はいない」
どんな状況で、誰から言われたのかも覚えていないのですが、この言葉がずっと胸に残っていて、私の人生訓のようになっています。ブログに関しては、あと2年で10年です。滝行もあと2年で10年。
何の取り柄もない私ですが、唯一、強みと感じるものがこの積み重ねです。一つのことを毎日、そして10年やってみる。実際、10年も待つことなく、3年前後でその効果がわかってくるのですが、一つのことを毎日コツコツ続けること以上に、人生を変えることはありません。
男は44歳で「人生逆転」すると、しばしば聞くことがありますが、もしこの言葉に根拠を求めるとすれば、それはその10年前の35歳になる直前から「何か」をスタートしているからだと思えます。
人生にとって「35歳」は一つの区切り。35歳を境に就職や結婚が途端に難しくなるとのデータもありますし、厚労省の基準では35歳を境に同じアルバイトでも「フリーター」と「無職」に呼び方が変わります。
その「35歳」を直前にして、こんな人生ではいけないと火がつき、何かをスタートする。それをやめずに10年続けた人だけが44歳で人生逆転するのだと思います。
私が滝行を始めたのは31歳の時でしたが、先の見えないサラリーマン時代、どうにかして自分を変えなければならない気持ちもあって、とりあえず「滝行」を始めてみた気持ちを思い出しました。そして32歳になる直前に、ちょうど今のように「21日滝行」をやり、誕生日に満行を迎えました。
今やっている21日行は誕生日の2日前に満行となります。そして今、外は大雪。明日の早朝の滝行はかなり厳しいものになりそうですが、そうやって自分を追い込むことで、いつまでも初心を忘れない。8年目の滝行を迎え、つくづく感謝しかない気持ちです。
人生逆転はまだまだこれからです!


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■特効薬はあるのか

こんにちは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
以前、無料ショートコーチングという企画をした際、長年の精神疾患で療養中という名目にて生活保護を受けている30代男性の方から相談を頂きました。
メンタル的な内容のブログを書いていると、しばしば精神疾患の方より相談を受けることがあります。私は専門じゃないし、その程度もわからないので、正直、どうしようもないのですが、一つだけ言えるのは、皆さん、苦しんでおられるということ。
正直な話、今、生活保護支給額以下の給料で働いている、ワーキングプアと呼ばれる層はかなり拡大しています。「年収300万円」などまだいい方で、年収100万円前後の人たちもざらです。手取り8万円でも、慣れてしまえば何とかなるようです。
私も28歳で会社員になった時、契約社員という立場で、給料は新卒者の7割でした。ですので、最初の3ヶ月間の試用期間は残業代もなく、月収は額面で12万円。そこから諸税が引かれますので、かろうじて生活保護と同レベル。試用期間が終わると残業代が出るのですが、それでも月40時間しか認められず支給額は4万円弱。なので、それからも月収は15~6万円でした。そこから諸税が引かれて手取り14万円前後。ボーナスは寸志で2万円。一番もらった時で10万円でした。それでいて、月の労働時間はだいたい350時間くらい。
年度末などは寝る時間もなく、さすがにこれでは仕事に対するモチベーションも上がらないので、2年目になる前に契約更新しないことを告げました。つまり辞表です。しかし、「もう一年待ってもらえばなんとかする」との事務所長の言葉により、その時は辞表を引っ込めました。
同じように手取り14万円前後で、月労350時間平均で、さらに一年が経ち、待遇改善を求めたのですが、今度は本社人事部より「契約社員が正社員になることはない」と言われ、再び辞表を書きます。
しかし3年目ともなると、ある程度の仕事は覚え、独自遂行業務もいくつかあったため、簡単には辞めさせてもらえません。そこで正社員にはするものの、給料の満額は払えない、しかし業績が回復すればそのうち給料もアップすると言われ、その条件を受けることにしました。
とりあえず、同期正社員の7割から9割くらいにはしてもらい、手取りも上がったので内心は嬉しかったです。そしてそのまま2年が経ち、今度は条件云々ではなく、自分のやりたいことを見つけたい、との思いで辞職。最後は止められませんでした。
だけど、今思うと、会社も本当によくやってくれたと感謝しています。会社サイドでから見ると、決して弱いものいじめなんかではなく、ギリギリの配慮をしてくださっていたのです。
今になってようやくわかるのですが、会社の最大の敵(?)はクライアントでもなく、従業員でもなく、実は銀行だったりします。「敵」という言う方は適切じゃありませんが、経営者からすればそんな感じかもしれません。
会社を存続させるには「融資」が必要。中小企業は特にそう。その融資を受けるためには、まず事業計画を銀行に提出する必要があります。それは資金計画とセット。年次決算が終わると、会社からの新たな事業プランが社員にも報告されるのですが、それは常に銀行とリンクしていたのでしょう。社員からすれば無謀とも言える計画であれ、それは達成するしかない計画なのです。
融資を受けるには、かなり頑張った事業計画を出し、そして社内でもリストラを進め、経営の健全化をはかる必要がある。そんな時、私のような待遇改善を求める社員は鬱陶しかったに違いありません。そして会社は、長年勤めていた社員も含め、どんどんリストラを進めていたのですが、今思うと、やっぱり仕方ない。
なぜなら、リストラをしなければ融資が受けられない。融資が受けられないと倒産する。するとリストラせずとも、対象者は職を失うことになる。むしろ、リストラで退職金が出るだけマシなはずです。
今、日本の会社の7割が赤字と言われていますが、経営とはつまり「資金繰り」であることが現実なのでしょう。そうなると、もし銀行から経営健全化を命じられたら、どこからリストラしていくか。そこに精神疾患のため一ヶ月以上休職している年収1000万円の古参社員がいたら。そこに目を向けるのは当然のこと。
ちなみに橋下大阪市長が大鉈を奮っている大阪市も同じ。と言うか、企業ならばとっくの昔に倒産しているところを、自治体というだけで、無計画な借金によってもっているようなもの。だけど、財政健全化はいつかしなければ、いずれ自治体も倒壊する。
そこに、同じ仕事を民間ならば300万円でやっているところ、1000万円支払っている現業職がある。そこにメスを入れるのは当然のことですが、「権利」を主張して現状維持を求めようとする。繰り返し言うけど、企業なっらとっくに倒産です。
話を戻しますが、私はしばしば「精神疾患」に対して厳しい意見や、時には偏った発言をしてしまいますが、それは決して偏見から言うものではありません。実を言うと、私の身近にもいます。それも親戚だったりして。病院に通って診断書をもらうことだけが仕事。生活保護をもらいながら、日頃は昼間からビールを飲み、世の中の不満を言うだけ。しかしそれも「病気だから」で許され、公的にも保護される。一方で、生活保護以下の収入が頑張っている人たちもたくさんいる。
中小企業からすれば、もはや「病気だから休んでいる」だけの社員を雇い続ける体力はない。銀行が強く要求する。会社を潰してでも病気の社員の首を切らない気概を持つのも自由だけど、そうなると他の多くの社員の生活を守れなくなる。だとすれば、銀行からの融資と引き替えに、多少なりとも退職金を優遇して辞めて頂いた方が、全体が助かる結果となります。(むしろ精神疾患になった原因が会社の仕事である場合も多いので、辞めると元気になって、結果オーライになるケースも多いけど)
「精神疾患だから生活保護を受ける権利がある」は確かに日本国憲法第25条でも保障された権利です。だけど一方で憲法第27条の「勤労の義務」はどうなるのか、などの矛盾はあるにせよ、その場合はきっと「生存権」の方が優先されるのでしょうね。
だけど、その権利擁護が働きたくない若者に「とりあえず病院行って診断書でももらって生活保護でも受けようか(「働いたら負け」は本当だった・・・なんて皮肉もある)」なんてモラルハザードにつながることにもなる。そして財政はどんどん圧迫され、特に大阪市のある区は「生活保護大国」のようになってしまっている。
いろいろと難しい問題ではありますが、果たして「特効薬」はあるのでしょうか。すごく青臭い言い方かもしれませんが、私はその「特効薬」となるものは、「生きる力」だと考えています。いつか、生きている間に、その「特効薬」につながるような「言葉」を残すことができれば、と思っています。


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■自分に妥協したくないんです

こんにちは、行動強化コンサルタントの石田久二です。


私もいつの間にかアラフォー世代になっており、絶対的な人口も多いので、私も周囲もアラフォーがとても多い。そして最近は「アラフォー結婚」なるテーマが表面化しており、そのようなニーズを実際によく耳にします。


しかし、最近のニュースでも聞かれたように、男女ともに35歳を超える当たりから結婚できるチャンスは少なくなる、とのデータもあるようです。ただ、これはデータにせずとも何となくわかること。


ですが、私の知る範囲では、いわゆるアラフォー独身にも魅力的な人はたくさんいます。既婚か独身かと、その人の人間性、ルックスとはさほど関連がないと感じます。しかし、何となく「結婚できそうにないな」と思わせる言動は感じないわけではない。その筆頭が、

「自分に妥協したくないんです」

という言葉。つまり、今の今まで独身できたのだから、結婚するパートナーも最高の条件を求めたい、ということでしょう。事実、晩婚ながら、生涯最高のパートナーと結婚した夫婦を、私も知っています。妥協したくない姿勢には共感できます。


ただ、よくよく考えてみると、かなり違和感も。「自分に妥協したくない」と言うのなら、それだけ自分を磨いているのだろうか、と。実際の話、男も女も、年齢が高くなるにつれ、結婚や就職に対するハードルは上がってきます。就職で言えば「35歳限界説」など支配的。厚労省の基準でも、35歳を境に、同じアルバイトでも「フリーター」と「無職」に分かれるようですし。


話を戻しますが、「自分に妥協したくない」の言葉はかなり間違えてないだろうか。正確には、「相手に妥協したくない」じゃないかと。つまり自分の魅力を高めることはさておき、「相手」にばかり高い「条件」を求めてしまう。先ほども言ったように、年齢とともに勝手に「条件」が高くなることはあまりないです。

熟年熟女フェチでもない限り。

 
なので現実路線では、ちょっと厳しい言い方になるかもしれませんが、

「自分には妥協せず、相手にはかなり妥協する」

のがアラフォー結婚の姿勢の一つなのではないかと。ただ、自分に妥協しないことには限度はあります。男性が経済力を高めようとも、40になって急に逆転することは割合的に多くはありません。ルックス的には、確かに年齢を重ねる美しさはあるにせよ、若いこの方がいいと思うのは、一般的な傾向です。


なので、自分に対しては最低限、現状維持できるようにし、相手に対するハードルを下げることが重要だと思われます。しかし、ハードルを下げたからと言って、それが幸不幸に比例することは必ずしもない。


まずは、何のために結婚するのかをよく考えること。スペックの高い相手と結婚して、自分の価値を高めるためでしょうか。そんな人もいるでしょうが、スペックの高さを求めて結婚した場合、後になるとどうなるのか。確かに年齢とともに収入がアップするケースはありますが、ルックスをはじめ、劣っていく要素の方が多いのではないでしょうか。


何のため結婚するのか。それは「幸せ」になるためだと考えています。しかし、「幸せ」になるための要素を相手に求めるのは適切ではありません。いつも言うように、「美味しいものを食べる、のではなく、美味しく食べる」ことが大切。


つまり「幸せ」にさせてくれる人との結婚を求めるのではなく、「幸せな結婚」を求めればいいのです。そしてその「幸せ」を決めるのは自分自身です。例えば結婚後、相手の欠点を見つけるのでなく、内面、外面ともにいいところだけを見るようにする。相手のいいところに「焦点化」するのです。


例えばセックス。願わくば「いい女」とやりたいと思うのは男の性でしょうが、パートナーのいいところしか見ないでいると、もはや「いい女」にしか見えなくなります。変な言い方ですが、自己洗脳。だけど、それでいいのです。いい悪いなんてのは相対的なもの。「いい女」とセックスするのではなく、セックスする女が「いい女」だと楽しめれば、それだけで幸せじゃないでしょうか。周囲が何を言ったとしても。


この法則を男女ともに結婚生活全般に当てはめること。正直言って、結婚は悪くないです。いや、むしろ一人で過ごすよりも、ずっといいです。だけど、自分の「幸せ」を相手に求めてはなりません。「相手」に対しては、まず妥協する。


だけど、もし妥協したくないと思うなら、それは自分に向けること。自分自身の客観的スペックを上げる努力もいいですが、自分の「気持ち」に妥協しない。そこでは、いい意味での「言い訳」をする。相手に対して、多少と言うか大いに劣っている部分があったとしても、それを美化できるような言い訳をする。その「言い訳」には妥協しなくていい。


幸せはいつも自分の心が決めるもの。その「自分の心」には妥協しなくていいじゃないですかね。まずは相手のハードルを下げてみる。そうやって気分が楽になったら、意外とベストパートナーの現れたり、その存在に気づくことができるかもしれません。


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■超えられない壁

こんにちは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
1.笑顔の美人
2.笑顔の平凡
ーーー超えられない壁ーーー
3.無表情の美人
4.無表情の平凡
ここで重要なのは、「超えられない壁」があることです。


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