■晴れ男?雨男

こんにちは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
ただ今、沖縄の那覇空港。今日から2泊3日で恩納村・久高島その他のツアーです。女性12名・男性4名の計16名。天気は生憎と曇り空ですが、何となく晴れそうな気がします。今までどんなに天気予報で雨だったとしても、ことごとく晴れてきた「晴れ男」ですので。
ただ、こう言っちゃなんですが、本当は「晴れ男」とか「雨男」とかないんです。誰もが平等に晴れるし雨が降る。確率的には誰も同じでしょう。ではなぜに「晴れ男」や「雨男」なるモノがあるのか。
それはまさに「焦点」の問題です。「晴れ男」は晴れてる時ばかり見て、雨のことはすっかり忘れている。「雨男」はその逆。ギャンブルと同じように、ハマる人は勝った時ばかり覚えてて、負けたことはすっかり忘れる。トータルとして負けてるのに、勝った記憶しかないものだから自覚しない。そんな人に限って収支など付けてないんですが、きっと現実を見るのが怖いのでしょうね。
まさに「焦点」です。今回、どうなるかはわかりませんが、きっと「晴れ」だと思います。なぜなら私は「晴れ」しか見えないから。結果とした素晴らしい3日間になることは間違いない。
と言いながら、やっぱり私が旅行すると、晴れてることが圧倒的に多いな~とは思っています。


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■すぐするパワー

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
世の中には二通りの人間がいるようです。それは、すぐする人間と先延ばしする人間。私はかつて、ことごとく先延ばしする人間でした。しかし、先延ばししていると、いつもそのことが頭にあって、新しいことがなかなか進まないことをある日自覚しました。
それではいけないと思い、2007年元旦に「すぐする」を合い言葉に、自分の生活習慣を変える決意をしました。洗濯物を干さなければ、と思ったらすぐする。ある人に連絡しなきゃ、と思ったらすぐする。米炊かなきゃ、と思ったらすぐする。そんな些細なことだけど、すぐにしているとまず忘れることはないし、してしまったらスッキリして価値あることに集中できます。
また、もう少し大変なこととか費用の発生することでも、基本的にすぐするです。一番の典型がセミナーへの参加でしょうか。今まで何度か高額のセミナーにいも参加しましたが、気になったらすぐに参加。突然申込フォームに記入することもあれば、主催者と連絡をとれる場合は、電話がオープンであれば必ず電話。そうでなければメールで問い合わせた上で、参加への背中を押してもらいます。
その手の決断で間違ったことは一度もありません。私は「すぐする人間」になったのです。しかし、一方で「先延ばしする人間」は決して少なくないどころか、ほとんどがそちらに入るのではないでしょうか。そこで完全に「二分」されているようです。ガンガンにうまく行く人と、停滞から脱出できない人。完全に二極化しています。
では、どちらに入りたいでしょうか。私は何度も言うように「すぐする」の側であり、そう決意してから加速が始まりました。「先延ばし」して得することはほとんどありません。何かのチャンスを逃すという最悪のデメリットしかないにも関わらず、先延ばし癖のある人は、そのデメリットを自己正当化する言い訳をたくさん考えます。それはもはや習慣、心の癖なのです。
もしも、ガンガンにうまく行く人の側に立ちたいと思うのであれば、今、です。今すべきことを、すぐする。そして「すぐする」を頭のどこかにおいて、いつでもそのスイッチを押せるようにする。それだけで人生は劇的に変わります。忘れがちなことなので、改めて書かせて頂きました。


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■コメント欄について

おはようございます、行動強化コンサルタントの石田久二です。
ブログには基本的に毎記事にコメント欄が設置されています。しかし記事によってはあえてコメント欄を閉じることがあります。それは様々な理由から「コメントNG」という意思ですので、別記事やミクシィ、ツイッターなどへのその記事に対するコメントはお控頂ければ幸いです。
昨日のアメンバー記事もコメント欄は閉じさせて頂きましたが、いくつか別記事等へのコメントを頂きました。申し訳ございませんが、すべて削除させて頂きましたことご理解頂ければと思います。ペタはもちろん大歓迎です。


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■苦しみの三つの特徴

こんばんは、行動強化コンサルタントの石田久二です。
毎月購読している「致知」の3月号にアルピニストの栗城史多さんのインタビュー記事が掲載されていました。テレビやネットで何度か拝見したあるし、実は音声CDも持っていて時々聞いています。密かにファンです。
  
29歳の若さながら8000メートル級の山を3座、単独・無酸素で登頂されています。現在、世界最高峰のエベレストの登頂にチャレンジされています。映像など見ても、もう、頂上が見えてるのに体力の限界で一歩のところで断念。子どものように号泣する栗城さんを見て、私も何度も目頭を熱くしました。すごく本気なんだな、と。
しかしこの手の登山はとにかくお金がかかります。しかもインターネットで実況中継しながら登るものですから、その機材など合わせると億単位のお金が必要となるそうです。一つの冒険にかかる費用はサラリーマンや一介の起業家では普通出せません。植村直巳さんもそうでしたが、その冒険は強力なスポンサーがついて初めて成り立つもの。
そしてしばしばこんな揶揄を飛ばす人がいます。「オレだって、お金出してくれるなら登れるよ」と。私も以前、24歳で世界一周した時、30代、40代以上の社会人の方から、「オレも若かったら言ってると」と何度か言われたことがあります。また、私は20歳前後でかなり哲学書を読んでいたのですが、それを知ったちょっと上の社会人から「オレも若かったらもっと勉強してるよ」と言われてました。
勉強だって世界一周だって、やろうと思えばいつだってできるはず。「若ければ」というのは、しないための言い訳に過ぎません。同じように「お金出してくれるなら」も単なる言い訳。と言うか、そもそもやる気もないと思います。「~ならば」という条件を付けて、自分を少しでも上に見せようとしているだけ。
このインタビュー記事を読んで私が一番ヒットしたのが、栗城さんスポンサーを飛び込み営業で探すところから始めたこと。当然、断られまくるのですが、それでもあきらめずに何度も何度も足を運ぶ。すると、前に断られた企業から応援してもらえることもある。テレビで栗城さんを見た人が、感動してお金を出してくれることも。
8000メートルの山は明日からすぐには登れません。だけど、スポンサーを探すための飛び込みは明日からすぐできます。それをやるかやらないか。栗城さんはそれをやったからこそ、冒険のパスポートを手に入れたし、そして実際に登頂に成功するんだと思います。山に登ることも苦しければ、資金を集めることも苦しい。そこで栗城さんは「苦しみ」には三つの特徴があると言います。
一つは、「苦しみと闘おうとすればするほど、その苦しみは大きくなっていく」。もう一つは「苦しみから逃げても、どこまでも追ってくる」といいうこと。闘っても逃げてもダメ。じゃあどうすればいいのか。それは受け入れること、感謝することだと言います。
すると苦しみの特徴の三つ目である、「苦しみは必ず喜びに変わる」ということを実感するそうです。やっぱりそうなのか。生きてると必ず苦しいことはある。特にチャレンジには苦しみが必然。そこで一番大切なのは「感謝」である。私もすごく実感できます。
真冬に滝行をすると、とにかく苦しい。大声を張り上げたりして、滝と闘おうとする。すると喉をつぶしたりなど、苦しみは増すばかり。私も扁桃腺をやられて一気に熱を出したこともあります。そして次の段階では、滝から逃げる。正確にはいろんなテクニックを使って滝の苦しさを消そうとする。一瞬、逃げられたと思うことはあれど、根本的には何も解決していないことに気づく。
滝行を初めて5年目の冬だったと思います。何やっても苦しいから、いっそのことあきらめちゃったんです。とにかく力を抜くだけ。なすがまま。すると不思議なことに、いつもの苦しさがない。あれ?と思って、翌日も同じようにあきらめてみる。すると、苦しさがなく「喜び」だけが残っていることに気づくんです。
人生と一緒だなと気がついたのです。登山も滝行も、そして人生も、通じるところは一つなんです。そしてそれは「感謝」にすべて収束する。そんなことを改めて思い出させてくれる記事でした。


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■超意識へのアクセス法

こんばんは、石田久二です。


今年になってほぼ毎日、こちらのブログも更新しています。1月に3日ほど更新せず、2月からは毎日です。日中、ふと「あ、この話書こ」と思うことがあるのですが、いざ書く時になると忘れていることが多い。あまり「記憶」をあてにしない方がいいですよね。やっぱり紙でも携帯でもメモの習慣はあってこしたことがないです。


ただ、それを言うなら「ブログ」ってのは、ある意味、壮大なメモとも言えます。こちらは割と先に内容を決めてから書くことが多いですが、もう一つの「宇宙となかよし」のブログは何も決めずに書くことがほとんど。その日のことを最初に2~3行書いてしますと、それからどんどん言葉が出てくる。内容はともかく。


だけど「大量に書く」ってのは、潜在意識的にとても理にかなってる気がします。「意識」ってのは、一番表面に「顕在意識」があって、これは基本的に最初から「言葉」になってるもの。「今朝は何食べましたか?」と聞かれると、思い出して「パン」と答える。この「パン」は「顕在意識」から。


では、この質問の答えはどうでしょう。

「一番好きな食べ物は何ですか?」


私なら「寿司」って答えると思いますが、これもまた「顕在意識」にある情報。では、この質問だとどうでしょう。

「三番目に好きな食べ物は何ですか?」


突然これ聞かれると「え??」ってなりません? 一番目、二番目と聞かれたあとに三番目を聞かれるならわかりますが、いきなり三番目だと即答はできないですよね。では、さらに五番目とか十番目になるとどうでしょう。どんどん答えにくくなる。


これはいわば「意識の深層」にどんどん入っていくことに他ならず、その領域のことを通常「潜在意識」って呼んでるのです。ただ、このような「食べ物」ならば順番に片づけていけばいいですが、例えば「やりたいことを100個教えてください」と言われると、ほとんどの人が途中でギブアップ。だけど、頑張って頑張って100個を紡ぎ出す、つまりそれだけ深い「潜在意識」に入って行くと、日頃思ってもないようなことが出てくることも。


そしてそんなのこそが「本当にやりたいこと」だったりすることもある。つまり「潜在意識」に深く入って行くには、それだけの時間や量が基本的には必要。瞬時に入るには、それまた訓練が必要となったりします。特殊なドラッグ類は別として。


ブログもそうで、文章量を重ねるとそれだけ深いインスピレーションが出ることだってある。私にしても、確かにいつもいつもではありませんが、月に2~3くらいは自分でも「いい記事」が書けることがあります。中でも年に数回あるかどうか出色の記事なんかだと、もはや「受け取った」としか思えないようなこともあります。それは「顕在意識」から「潜在意識」へと深く入って、その先の「超意識」にアクセスできた実感をもたらします。


最後に質問します。

「100番目に好きな食べ物は何ですか?」

これに即答できる人はまずいないと思いますが、もしいたとすれば、その人は「食べ物」に対して並々ならぬ愛を持っている人でしょう。そんな人は「食べ物」に対置した時、神の声を聞くことがある。野球選手は「野球の神」と言い、ミュージシャンは「音楽の神」などの言い方をしますが、ここでの「神」とはまさに「超意識」のこと。


「超意識」に到達するまで、深く深く意識を潜って行くには、やっぱりそれなりの「努力(時間、労力、量など)」が必要なのです。


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