「一番危険なトイレと一番の星空」石田ゆうすけ著

 自転車による7年半もの世界一周記。

 旅行記自体は前作の「行かずに死ねるか!」で実況されているが、本作はその補足編ということになろうか。実に87ヶ国を訪れ、帰国後は決まって「一番」を聞かれるようになる。

 一番よかった国、一番食事の美味しい国、一番危ない国、、など。

 かく言う私も25ヶ国を8ヶ月ちょっとだが世界一周をしたことがある。

 それでも同じように「一番」を聞かれることはしばしばであった。

 本書はそのような多くの「一番」に対する疑問を著者独自の視点により紹介していくものである。

 この種のランク決めは、客観的な統計値に基づくものよりも、人それぞれの主観的な判断づけの方が面白い。

 本書では「世界一」のジャンルについても著者の独断により選出されている。

 定番通り「世界一メシがうまい国」、「世界一メシがまずい国」、「世界一美しい街」、「世界一好きな場所」などに始まり、「世界一危険なトイレ」、「世界一の星空」、「世界一ムカつくポリス」などユニークなものまで様々だ。

 この辺りの話は実際に旅をした者同士でよく出る話題である。

 そして一様に自分独自の「世界一」を持っており、そして話したがる。聞くことよりもまず、話したがるのである。

 しかし7年半もの長期にかけて、しかも自転車で世界一周をした旅行者はさすがに多くはなく、その話にも他ならぬ面白さを期待させるため、素直に耳を傾けたくはなる。

 私個人の関心と照らし合わせると、やはり「食事」には興味が大きい。著者の判断によると、世界一を決めるのは難しいが、あえて3つをあげるとなるとメキシコ、ベトナム、中国となるそうだ。

 通常「世界三大料理」として定番化されているのは、中国、フランス、トルコであるが、さすがにその定番に従わないところは、味わったものならでは説得力が感じられる。

 ただ、やっぱり中国は外せないのは大いにうなずけるところである。決して背伸びしない筆者の素直さが感じられる。

 逆にまずい国はアフリカのガーナであると言う。私自身は経験がないが、まずいのもまた味わってみたいものだ。

 こう言っては失礼かもしれないが、著者は基本的には普通の青年である。何か特別なことに造形が深いわけでもなく、プロの作家並に文章が達者なわけでもない。

 ただ、それだけに多くの読み手のレベルと変わらない等身大の付き合い方ができるのであり、それゆえに親近感を持ちながら本書を読み進めることができる。

 とは言うものの、何度も言うように、7年半もの長期に渡って自転車で世界一周した経験は貴重であり、どこにでもいそうな青年が、誰にでも書けそうな文章スタイルで、滅多に経験できない話題を目の前で話すかのごとく書き綴っているのは、ある意味、珍しいタイプの旅行記であるとも言える。

 何だか一緒に旅しているような錯覚に陥り、旅好きにはたまらないというところだ。

いちばん危険なトイレといちばんの星空―世界9万5000km自転車ひとり旅〈2〉 (世界9万50…/石田 ゆうすけ
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「はだしのゲン」中沢啓治著

 「はだしのゲン」は「ギャグ漫画」である。
 少なくとも私は本作品を戦争や原爆を舞台とした、反戦反核をテーマとした啓蒙書とは読んでいない。
 もちろん本作品にそのような側面があるのは十分に認める。
 むしろ多くは「はだしのゲン」をその種の反戦反核漫画として読んできたであろう。
 それを承知であえて言いたい。
 「はだしのゲン」はギャグ漫画である、と。
 しかしながら、本作品の反戦反核漫画としての色合いがより濃くなってきた後半は、そのギャグ色も薄れがちである。
 従って私が主張するように、「はだしのゲン」を純粋なギャグ漫画として読むには、前半がよい。特に良い。何度読んでも笑える。
 例えばこれはどうだろう。
「信念が人生を創る!」石田久二公式ブログ
 アメリカ兵からもらった「ガム」のことを「アメリカのアメ」と名付けて自慢している。
 この得意気な顔。これだけで小一時間笑っていられる。本作品中の白眉である。
 また、作品中に出てくる各登場人物のセリフも実に笑える。
 例えば次などは、日常のあいさつ言葉、または憎らしい上司を懲らしめるためにも是非覚えておきたい。
さよなら三角
またきて四角
四角はトウフ
トウフは白い
白いはうさぎ
うさぎははねる
はねるはカエル
カエルは青い
青いはバナナ
バナナはむげる
むげるはチンポ

一つひろったハゲがある
二つふまれたハゲがある
三つみにくいハゲがある
四つよこにもハゲがある
五つゆがんだハゲがある
六つむかしのハゲがある
七つななめにハゲがある
八つやけどのハゲがある
九つころんだハゲがある
十でとうとうまるハゲじゃ~

 「さよなら三角」は実際にはいろんなバージョンがあるが、このはだしのゲンバージョンが一番面白い。
 ポイントは言うまでもなく「むげるはチンポ」である。
 また「一つひろったハゲがある」は童心に戻ったつもりで、会社を辞める前日に世話になった上司の真ん前で是非歌おう。
 気分も晴れるであろう。
 さらに本作品はギャグ漫画と同時に「トラウマ漫画」としても秀逸である。
 その中の主たる3シーンをご紹介しよう。
 まずこれ。実にえげつない。子どもの恐怖心を直撃する。
「信念が人生を創る!」石田久二公式ブログ
 次にこれ。「ギギギ・・」と言うのははだしのゲン特有の描写であるが、幼き作者には、本当にこのように聞こえたのであろう。リアリティがあり過ぎる。
「信念が人生を創る!」石田久二公式ブログ
 3つ目がこれ。今現在、このような光景を目にすることはまずない。
 このコマだけ見せられたら、一体どんな話なのだろうと好奇心だけが膨らむ。
 これを目にした主人公ゲン(つまり作者)は、鼻を摘んで「くさいのう、くさいのう」ともらしている。くささが地肌に伝わる描写である。
「信念が人生を創る!」石田久二公式ブログ
 いかがだっただろうか。紹介した3カットは「トラウマ漫画」としての特色を強調するに余りあるものだが、同時にやっぱり「ギャグ漫画」としての立派なアクセントとなっている。
 
 ちなみに本作品は純粋に心ゆすぶられるシーンも少なくない。
 中公文庫コミック版の第7巻の「あとがき」に評論家の呉智英氏が鮮烈な印象として掲げている箇所を紹介したい。
「とりわけ、その土俗的な表現には、しばしば心をゆすぶられた。ゲンが浪曲を演じて米をもらうシーン、政が怨霊となって蘇るシーン、そして、亡き友子を浜辺で荼毘に付すシーンは全篇中の白眉である。これに近い事実を作者の中沢啓治が自ら体験したか間近で見聞きしたのだろうが、巨大な災厄に民衆がどのように立ち向かい、不条理な運命をどう受容するか、見事に描き出している。」
 同感である。


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「いつまでもデブと思うなよ」岡田斗司夫著

 まず著者の写真に驚かされる。それまでテレビ等で見てきたユニークな風貌ではなく、妙にカッコいいのだ。

 その実、著者は一年間で50キロの減量に成功し、50キロと言うと大人の女性一人分に相当する。

 人が一人いなくなるほどの減量なのだから、見た目も驚くほど変わって当然だ。

 もうそこにはヒステリックに喚き散らすデブのオタクではなく、いかにも知的な雰囲気を醸し出している文化人の姿しかない。

 実際のダイエットの方法論については第三章以降に登場するが、本書の前半、第一章、第二章が実に面白い。

 頭がよくて文章の上手な人が書くダイエット本がこれほど面白いとは、と唸らせる。

 第一章は「『見た目主義社会』の到来」。

 最終的にはダイエットの効用について書かれるのだが、それを近年日本における価値観の変遷の流れで語られる点が面白く、また、説得力がある。

 30年前の日本は「学歴主義社会」だった。つまり人々の判断基準、ファーストラベルは「学歴」にあったのだ。いい会社に入るための第一基準は学歴にあり、また、結婚相手としても高学歴は大きな条件だった(ただし男性の場合)。

 その前は「家柄主義社会」にあり、これは江戸時代の士農工商の時代から士族・華族や財閥が幅を利かせる明治後期まで続いたとする。

 「学歴主義社会」は比較的長く続いたのだが、それは「バブル経済とITバブル」の到来とともに音をたてて崩れたとする。

 一流大学出の一流企業勤めのエリートよりも、ベンチャー企業の方がカッコいいという時代である。確かに女優が選ぶ結婚相手の種類も、バブル期には青年実業家、ITバブル期にはIT社長と変わっていた。

 高い学歴よりも、自由な時間や自由な財力を持つ個人の方が魅力的に映るわけだ。そのための必須アイテムとして「ブランド品」が重要視された。つまり「ブランド主義社会」である。

 しかしその価値観も長くは続かず、「いま、ここ」の感情が優先される今日、ファーストラベルは「ブランド」ではなくなった。

 今ここの感情だけで会社は辞めるし、離婚だってする。そこには家柄、学歴、ブランドなどの客観的基準は鳴りをひそめ、個人のその時の感情、反論を許さない主観こそが説得力を持つ。

 そのさい、ファーストラベルとなるものは「見た目」であると著者は言う。

 かつては「彼は東大生。でもデブ。ちょっと残念。」だったのが、今では「彼はデブ。東大生なのに。論外。」と価値観が変わっている。経済的自由に裏打ちされた圧倒的なブランド性を誇るホリエモンでさえも、中年太りの偉そうなオッサンで片づけられる時代なのである。

 著者は元々は健康のためにダイエットを始めたと言うのだが、結果として、イメージアップや自信の高まりという効用を得たと言う。

 まさしく「見た目主義社会」の到来をみなまに経験したからこそであろう。

 そして肝心のダイエット方法の話になるが、著者の成功した方法としては、著者の言葉になるが、それを「レコーディングダイエット」と言う。

 第二章ではそのダイエット方法がいかに優れているかを、既存の様々なダイエット方法と比較しながら、論じている。

 つまり「ダイエット手段の格付け」である。実に15種類もの方法と比較検討しているが、それらのリスク・リターンを一枚の表で表すところなど、著者のオタクぶりが発揮されている。

 「レコーディングダイエット」の本質は、とにかく食べた物をすべて記録すると言うものである。それこそポテトチップスの一枚から記録するのである。

 最終的には、摂取カロリーを消費カロリーが上回るような生活スタイルに持っていくと言う、極めて真っ当な方法に行きつくのであるが、そこまでにはもちろん段階を踏む。

 しかし一貫して変わらないのは、とにかく綿密なまでに食べた物、そしてカロリーを記録していくという点である。

 ダイエットのメカニズムとしては、断食や単食ダイエットなどと違い、身体に負担もかからず実に合理的である。

 要するにカロリーの摂取を控えて、消費を増やすだけだから。しかしそのプロセスにおいて徹底的な「記録(レコーディング)」が重要となる。

 つまりは「オタクのダイエット」と言ってもいい。

 これは著者が実際に経験し、しかも劇的な効果を上げている点で説得力がある。

 そして本書ではその変遷が実に面白おかしく書かれている。本人は大真面目かもしれないが、読み手にユーモアや笑いを与える点はサスガ。

 つまり実用性があるだけでなく、読み物としても面白いのである。

 たった700円。これでこれまでのダイエットの失敗を挽回した人も少なくないであろう。

 とりわけ、スマートな女性がちょっと痩せる、というものでなく、100キロ級の人がメガトン級に痩せる方法論として極めて有用であると感じた。

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)/岡田 斗司夫
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「大峯千日回峰行」塩沼亮潤・板橋興宗著

 千日回峰行、四無行、八千枚大護摩供など幾多の苦行を満行し、若くして大阿闍梨となった塩沼亮潤師と禅宗の板橋興宗師による対談集。

 テーマは塩沼師の「行」について、板橋師が問いかけるというもの。

 塩沼師は東北の仙台に生まれ育ち、高校卒業後、奈良県吉野の金峯山寺にて出家得度し、しばし後に吉野山にて百日回峰行に始まり、千日回峰行に挑戦する。

 千日回峰行と言えば比叡山延暦寺が有名であるが、難易度で言えば吉野の方がはるかに厳しいとのこと。

 本書では、その千日回峰行、及び、その後の四無行、八千枚大護摩供の様子が語られる。

 まず「千日回峰行」とは毎日48キロの道のりを年間120日歩き、それを9年間の合計千日続ける行のこと。

 言葉にすれば簡単だが、その実は想像を絶する、まさしく生死を賭けた修行となる。

 食事は米と水ばかりで、途中で栄養失調になり、身体全体に不調を訴えながらも、それでもなお歩き続ける。

 クマやマムシの恐怖とも闘いながら、すべては仏様の御心にお任せして。

 そこで生まれいずる心とは。

 感謝に他ならない。

 以下、非常に心を打たれる記述があるので紹介したい。

 「ある日、涙が止まらなくなったことがあったんです。それは大雨のときでした。手に持っているにぎり飯が大雨で手から溶けて落ちていくような寒さのなか、笠をかぶって、風雨にさらされながらしゃがんで、そのにぎり飯をいただいたときがあったんです。そのときに、自分はなんて幸せなんだろうと思いました。


 自分には三度三度食べる食事が目の前に在る。帰ったらふとんもある、お風呂もある。でも、いまこういう時に、三度三度のご飯も食べられずに亡くなっている人が地球上にたくさんいる。


 そのことを考えると、自分はなんて幸せなんだろう、なんて幸せな仕事をさせていただいているんだろうと思って、泣けてきました。自分の心で心を磨く、そういう尊い行いをさせていただいて、さらにご飯を食べさせていただける。そう思って涙が止まらなくなったのです。」

 また、行中は不思議な体験も少なくないそうだ。

 暗闇の中で何者かに足をつかまれたように感じたと思えば30センチ先は崖っぷち、行く手を阻む餓鬼、仏様の姿、天女、古戦場にて鎧甲冑からつかまれる。

 極限状態の異常心理と言えばそれまでだが、まさしく極限を経験することで、感覚が研ぎ澄まされ、時には目に見えるものと接することもあるのだろう。

 実際、感覚が鋭敏になり、天気の予測も外れることはないらしい。

 千日回峰行を満行の後もまだ行は続く。

 四無行と呼ばれる行で、断食、断水、不眠、不臥を9日間続ける。

 医学的に見れば、これは自殺に等しいと言う。

 その後は八千枚大護摩供に挑戦するのだが、烈火の真ん前で延々と護摩を焚くわけであるため、それに慣れた身体を作る必要がある。

 そのためには100日間の五穀・塩断ちをする必要がある。

 実際そのようにすると、熱を感じない身体になるのだと言う。

 まさしく経験者にしかわからない話である。

 塩沼師は現在、仙台の慈眼寺にて住職として活動されているが、一体なぜにあのような「行」を行ったのであろうか。

 おそらく最初から決まっていたのかもしれないが、普通の人間にはまさしく想像を絶する体験である。

 そして「行」を通して何を感じたか、何を悟ったか、何を残していくのか、そこが重要である。

 感謝の心、利他の心、無心の境地、、、言葉にすればあまりに陳腐である。

 しかし言葉を超えた何かが一人の青年の実体験によって伝わるものもある。

 常人がそれを体験することは難しいが、少なくとも、そのような体験をした人間が平成の現在にも存在し、淡々とそれを語る。

 そこに何の価値を見出すかは、人それぞれであろう。

 対談の流れ自体は軽やかながら、世にも厳しい「行」を満行したもののルポルタージュとして本書は実はあまりにも重い。

 
 しかし読了後はハラハラドキドキしながらも、塩沼師の経験の万分の一でも追体験した気にはなり、幾ばくかの心境の変化を体験することができた。

 挫けそうになったとき、不満の心に満たされそうになったとき、また、平常な心境においても、何かにつけて読み返したくなる一冊である。

大峯千日回峰行―修験道の荒行/塩沼 亮潤
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「鏡の法則」野口嘉則著

 2007年、最も売れた本の一冊であろう。どの書店に行っても、平積みで並べられていた。 

 そもそも本書はインターネットで爆発的に広まったことを発端として、間もなく書籍化されたと言う意味で、ネット先行型ベストセラーの典型であるとも言える。

 私も本書を手にする以前、ネットを通じて読んでいた。著書のブログ「幸せ成功力を日増しに高めるEQコーチング」により。

 本書の帯には「読んだ人の9割が涙した!」と書かれてあり、それ自体は決して誇張でもないだろう。

 本書(または本書の中の物語)を読むと、確かに9割は涙するだろう。私もその一人ではある。

 しかし残りの1割の反応は、まさしく「微妙・・」である。

 さらに非常に稀なケースであるが、決して読んではならない、読ませてはならない人も存在する。

 本書の正しさ、それによる解決力、人の心を動かす力、、、それらを十分に認めた上で、本書には負の側面があることも注意する必要がある。

 本書の大筋のテーマは「原因と結果の法則」、そして「許し」である。

 現在生じている事象はすべてに「原因」がある。

 物語の中では「子どものいじめ」となっているが、もちろんそれには「原因」がある。

 子どもが悪いのか、いじめている同級生が悪いのか。

 否、物語の登場人物の一人であるカウンセラー氏は、それを母親の「心」にあると見抜き、「原因」へのアクセスを開始した。

 その結果、「原因」となるものは、その母親の家族に対する「許せない心」が元となっていることを自ら発見し、それを具体的な行動によって変えていくプロセスを取る。

 そして子どものいじめは解決する。

 鏡に写っている自分の姿を見て、髪が乱れていると気づいた場合、鏡に向かって髪を整えることはしないだろう。

 自らの髪を整え、その結果として鏡の中の自分の髪も整うもの。すべてには「原因と結果」があり、その「結果」だけを見て対処しようとするのではなく、「原因」なるものに勇気を出して目を向け、そこと対置することが重要。

 それが一見、よくわからない因果関係であったとしても、人はすべて集合意識でつながっている。

 信じようが信じまいが、それは事実である。

 本書を読むと9割の人が涙する。

 その人たちにとっては、本書は人生の羅針盤となるであろう。

 しかし残りの1割の反応は様々である。

 こんなにうまくいくはずがない、単なる事例の一つであって一般性がない、など。それも一つの意見であり、正論であろう。

 しかしここであえて言っておきたい。

 中には決して「読んではいけない」「読ませてはいけない」人が僅かながら存在することを。

 それはどういう人たちのこと言うのか。残念ながら、それをここで明かすわけにはいかない。しかし、そのことは臨床心理療法に携わる人間の間では、およそ共通認識とされている。

 ここまで言えば、わかる人にはわかるであろう。

 と言いながらも、やっぱり本書は名著であると思うし、多くの人におススメできる一冊である。

鏡の法則 人生のどんな問題も解決する魔法のルール/野口 嘉則
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