独立奮闘記(14) ~69セミナー~ (2006)

2007年に入ります。

実はこの年はある意味、記念すべきターニングポイントとなる年だったと言えるでしょう。

そして収入的には、複数の収入源を確保しながらも、あるモノだけが突出して、しかもそれに関して2007年はピークを迎えました。

この状況がずっと続けば、何の心配もなく、好きなことだけやっていられます。

そしてこの状態は、奇しくも加賀田DVDを初めて見たときの、

「もしもこのDVDをマスターすれば、オレはもうお金に困ることはない!」

という確信が、そのまま現実化したものだったのです。

しかし、現実とは裏腹に、なぜか私の心は満たされない。

むしろ収入が増えれば増えるほど、何かしらの心配が付きまとうのです。

それもそのはず、その時の収入は、経緯だけから見ると出会い頭の偶然であり、自分の力で勝ち取ったもではない、、、という不安感だけが付きまとっていたら。

結局、オレは何をやりたいのか?

そんな時、日ごろから親しくして頂いている知人が、投資関係のセミナーを開催すると聞きました。

その時さらに、「Qさんも、何かしゃべってよ」と言われ、2秒で即答しました。一月のこと。

今思うと、その時、何を話したのか覚えてないし、ちゃんと喋れたかどうかもわかりません。

時間にして30分程度だったと思います。

おそらく潜在意識がどうとか、、、と言う話をしたのだと思います。

しかし、そこで得たものは、その時の私にとってあまりにも大きなものでした。

もちろんギャラを頂くようなものではなかったものの、20名以上の前で30分間お話をする。

それもセミナーという形式で。

これはもしかしたら何かできるなじゃないかと、ひらめいたのです。

そんな時、前の年の東京オフ会で知り合った、ある人のことを思い出します。

その名を「幸せまん」と言います。

その時のオフ会では、幸せまんがどのような人だったのか、あまり深く知ることはできませんでした。

ただ、そのオフ会で私に会いに来てくださった、ある女性の方が、その翌月辺りに幸せまんのセミナーに参加したそうなんです。

そして幸せまん本人から、「Qさんのおかげで、一人セミナーに来て頂けました、ありがとうございました」というお礼のメールを頂いていたのです。

ふとそのことを思い出しました。

セミナー、セミナー、セミナー、、、、、、

そうだ!セミナーだ!

実はその時、幸せまんがどのようなセミナーをされていたのか知りませんでした。

なにやら投資関係の仕事をしているとかいないとか聞いていたので、てっきりそっち系かと。

実際は全然違っていたのですが。

とりあえず、オレもセミナーやろう!

しかしどうやっていいのかわからない。

そうだ!幸せまんとジョイントさせてもらったらいいのでは。

受けて頂けるかどうかわからないが、一応、私のブログの読者さんが彼のセミナーに参加したと言うので、嫌な顔はさらないだろう。。。

てなことで、その一月の30分間のゲストセミナーの直後に、幸せまんにメールをしてみたのです。

東京でジョイントセミナーをやって頂けないかと・・・・

すると、幸せまんは快諾!

ぜひやりましょう!

ってことで、日程は半年後に。

なぜそんなに時間が空いたのかと言うと、幸せまんに4人目の子どもが生まれるとかなんとか。

一月に一応、約束だけして、、、、しかしそのまま凍結状態となりました。

・・・かのように見えたのですが、幸せまんの子どもが生まれて一段落した4月頃、幸せまんの方から連絡が。

「セミナー、どうしますか?」

気になっていた。

「は、はい、やりましょう!」

「で、日にちは?」

「6月の土曜日辺りどうですか?」

「じゃあ、その辺の日程で検討しときますね」

と言うことで、結局、「6月9日」に決まったのです。

事務的な用意は、すべて幸せまんがやって頂けました。

会場の予約、申込フォームの作成、その他。

とにかく、初のセミナー。

5人も来て頂ければ万々歳、、、と思いきや、アナウンスした直後に連絡が。

「Qさん、もう10名超えてますよ!」

「マジッすか~!」

そんなこんなで、ふたを開けてみたら、25名もの方に来て頂けたのです。

オフ会などで私と会ったことのある方もいらっしゃいましたが、ほとんどが初対面です。

約4時間のセミナーで、前半が幸せまん、後半が私です。

ただ、不思議なことに、まったく緊張はしていませんでした。

それよりも、早くオレの番にならないかと、そわそわ、わくわく。

そしてようやく私の出番がやってきました。

持ち時間は約90分です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あっという間に、時間が来てしまいました。

自分的にはウマくいった感じ。

会場の反応も悪くない。自己採点は80点以上。

しかし、会場は騒然。本当の騒然。

幸せまんからは、、、、「い、いや~、すばらしかった、ほんとうに・・・」と、まんざらお世辞でもない称賛を。

そして幸せまんの友人の不動さんと言う方からも、、、「え?今日が初めて?10年のベテランかと思った!」、と。

他には「中村文昭っぽい感じだね」とか「Qさん、すごいね」、、、など、私が思っていた以上の反応。

こ、これだ!

オレがやりたかったのは!

これが私の初の有料セミナーであり、伝説の69セミナー。

すべてがここから始まった。

ちなみに余談ですが、この会場にいた約25名の中から、その2年後、カップルが誕生しました。

おそらくその日、その二人は言葉を交わすこともなかったろうけど、やっぱりここから始まっていた。

今はもう、素晴らしいご夫婦となりました(結婚式には行けなかったけど・・・)


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「藤原悪魔」藤原新也著

 写真家で紀行文などの著書も多い藤原新也氏のエッセイ集。

 

 私は藤原新也の写真と文章が好きである。

 だから読めるのであって、本書は実にどうでもいい話ばかり書かれている。

 表紙(文庫版)には奇妙な眉毛のある犬がカメラ目線で写っている。

 正直、ギョッとする。気になるので冒頭の一話「マユゲ犬の伝説」を読む。舞台はバリ島。藤原は旅の途中、ハッキリした眉毛のある犬がおり、土地の人に崇められていると言う話を聞く。

 暇だったので見に行った。正体は単に暇だっただけの土地の男がマジックで書いただけのものだった。

 しかし、それは単なるイタズラではなく「愛」だと言い切る。だから「天使のまゆげ」なんだと。

 日本に帰るとこの写真が話題になった。そうか、一時期のマユゲ犬ブームの発祥は藤原新也だったわけだ。

 藤原はもう一度マユゲ犬に会いたくなり、現地に赴くが、ちょうど車にひかれて死んだばかりだった。

 
 そんなどうでもいい話ばかりだ。暇つぶしにはもってこいだが、忙しくても読んでしまう、不思議な魔力が藤原の文章と写真にはある。

藤原悪魔 (文春文庫)/藤原 新也
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「アジア怪食紀行」小泉武夫著

 ゲテモノ食いのイメージがあるが、実は醸造・発酵学の権威。

 

 今や食のエッセイストとして著作も多い小泉武夫氏の一冊。アジアで何でも食べる、という内容。

 舞台はラオス、ベトナム、韓国、モンゴル、ウイグル、ミャンマー、中国。

 とにかく食べる食べる。読んでて気持ちがいい。市場に行っては淡水魚や爬虫類を見つけて嬉々として口舐めずりする。

 ラオスではメコン周辺の名物でもある「孵化前のゆで卵」を実に美味しそうに食べる。

 ただ、日本では完全なゲテモノかもしれないが、食べてみると割といける。

 小泉氏は発酵学の専門だけに、とにかく発酵した食べ物が好きなようだ。

 発酵の代表としてはまずお酒。読むだけで臭気が漂ってきそうなお酒をまた美味しそうに飲んでいる。

 そして韓国では代表的な発酵料理である「ホンオ・フェ(エイの刺身)」に舌鼓を打つ。

 とにかくアンモニア臭いこの料理を、小泉氏は毎度のこと刺激で涙をぽろぽろ流しながら、なんと3日も食べに通ったそうな。

 そして3日目にようやくその美味しさがわかったのだと、実に旺盛な食への探求心だ。

 小泉氏の他の著書でもそうだが、とりわけミャンマーを取り上げることが多いようだ。

 日本ではミャンマー料理(ビルマ料理)と言っても、ほとんど馴染み無いだろうが、とにかく美味しそうによく食べる。

 まずヤンゴンでは串焼きでウォーミングアップ。珍しいのは「食べるお茶」。

 お茶の葉を一年ほど発酵させたものらしいのだが、これを炒めものに使うと、驚くほどの美味になるのだとか。私は食べたことがないが、実に興味がそそられる。

 ミャンマーの代表的な調味料としては、エビを発酵させてペースト状にした「ガビ」が有名である。

 なるほどミャンマーは発酵食品の宝庫であり、だからこそ小泉氏の大きな関心の的となるのであろう。

 本書に限らず小泉氏の文章は面白い。

 単にどこそこに行ってあれを食べたこれを食べたというだけでなく、専門の発酵学に基づくうんちくが至る所に散りばめてあり、知的好奇心をまた満たしてくれるのだ。

 そして何よりも、日本人が普通食べないようなものまで、実に美味しそうに食べる。

 未知の世界を追体験させてくれるところも魅力なのであろう。

アジア怪食紀行―「発酵仮面」は今日も行く (知恵の森文庫)/小泉 武夫
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「チーズはどこへ消えた?」スペンサー・ジョンソン

 一時期のベストセラー。当時読んだがもう一度読んでみた。

 

 当時と同じく何の衝撃も受けない。つまり「あたりまえすぎる」話なのである。

 登場人物?は2匹のネズミと2人の小人。いつもあるところのチーズが今日はない。

 

 明日はあるだろう、明日はあるだろうと、毎日、同じ場所を見に来ては失望し怒る小人。

 そそくさと新しいチーズを探しに行って、首尾よく見つけて満腹にするネズミ。

 そのうち小人の一人が疑問を抱き始める。動いた方がいいのではないかと。

 しかしもう一人の小人はネズミと同じことをするな、原因を究明する方が大事だ、とあくまで動こうとしない。

 しかし、小人の一人は動きだす。

 この本はいわゆる団塊の世代を直撃したのだそうだ。購買層の厚い団塊の世代だからこそ、本書はベストセラーになった。

 しかし動かぬ小人は、もしかしたら明日の自分かもしれない。

 本書はベストセラーになるほどの内容ではないが、そう感じるうちはまだ大丈夫だということ。つまりメルクマールである。

 今考えると、会社員時代にこれを読んだのだか、その後、起業に踏み切ったことには、もしかしたら本書のメッセージが潜在意識に刻まれていたからなのかもしれない。

 あながち駄作とも言えない。

チーズはどこへ消えた?/スペンサー ジョンソン
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「何でも見てやろう」小田実著

 バックパッカー本の元祖。

 まだ日本が旅行自由化されておらず、欧米と比べて「貧乏国」として認識されていた1960年前後の旅行記。

 東大生でフルブライト留学生の小田実は、言わばエリートである。

 エリートの留学記かと思えば、それはアメリカでの一部のみで、今以上の、否、今とは比べものにならない程の貧乏旅行である。

 しかしそれは当時の「インテリ」の書く文章。面白くないはずはなく、その面白さは今でもまったく色あせることはない。

 非常に魅力的な一文から始まる。

「ひとつ、アメリカに行ってやろう、と私は思った。三年前の秋のことである。理由はしごく簡単であった。私はアメリカを見たくなったのである。要するに、たったそれだけのことであった。」

 

 本書は単なる旅行記ではなく、小田実の当時の若い感性が、まさしく「何でも見てやろう」と世界を見て感じた「比較文化論」である。

 アメリカを皮切りにヨーロッパ、中東、アジアと東向きに世界を一周するのだが、日本の位置づけの変化が非常に興味深い。

 アメリカ滞在中はアメリカという富める国に対する貧乏国日本という図式が最初あったのだが、黒人という存在を定位すると、日本はすでにアメリカと同様の「西洋」に属することが浮き彫りになる。

 つまり「西洋対非西洋」という図式において、日本はすでに「西洋」に属するという時代感覚が当時から既にあったことがうかがえる。

 それはヨーロッパにおいても同じである。日本は「西洋」という見方の中で、単に「ZEN」という画一的なアイデンティティが与えられていたことが分かる。

 現在の日本は世界先端の工業大国として確固たる地位があるが、当時は「ZEN」に代表される文化大国であったことが、小田の肌感覚として伝えられる。

 つまり本書は文字通り足で見て歩いた「比較文化論」であると同時に、現代的視点から見ると、「比較世代論」であるとも言える。

 終盤は圧巻である。日本は確かに「西洋」に中では貧乏国であったかもしれないが、東に進むにつれて、「貧乏」という言葉では生ぬるい程の「絶対的貧乏」と遭遇する。

 とりあわけインドのカルカッタでは、所持金がほとんどなくなり、不可触民さながらの路上生活を体験する。

 そこで得た経験が、後の小田の極左思想に発展するであろうことは想像に難しくない。

 本書は今後も日本を相対化する比較文化論として、単なる旅行記を超えた名著となって読まれ続ける価値がある。

何でも見てやろう (講談社文庫 お 3-5)/小田 実
¥770
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