「大金持ちをランチに誘え! 世界的グルが教える「大量行動の原則」 」ダン・ケネディ著

 アメリカのマーケティング界で最も影響力がある人物が本書の著者であるダン・ケネディ氏である。

 本書の邦題は「大金持ちをランチに誘え!」であるが、正直、これでは内容があまり伝わらない。

 さりとて、原題を直訳した「究極の成功の秘訣」では、陳腐すぎて書店では並びにくいのだろうか。

 しかし、本題はまさしく「究極の成功の秘訣」であり、「成功法則」と呼ばれるものは数多あるが、もしもたったひとつの究極の秘訣があるとすれば何なのか、が主題である。

 その答えは最後まで読んだときに明らかになるが、本書を読む途中からそのメッセージは響いてくる。

 本書の「成功法則」に甘やかな蜜を求めているのであれば、ひどく火傷するであろう。

 「究極」と呼ばれるだけあって、生半可ではない。

 しかしそれは確かに「究極のひとつ」であることは間違いない。その「ひとつ」はこのように説明される。

「そして私は、その「ひとつ」を見つけた。人並み外れた成功者たちのすべてが、ほかのどの成功の秘訣よりも、普遍的に共有し、頼りにしているたったひとつの「成功の極意」である。」

 その「極意」は一言で言い表すことができる。

 しかし著者の言うように、本当に「一言」で言ってしまえば、おそらく読者には伝わらないだろう。

 本書を読み進めていく上で、その「謎」を解いて欲しい、というのが著者の意図するところである。

 本書ではところどころに読者の胸をつんざくようなフレーズが登場する。例えば

・他人に頼って幸せになろうと思っている限り、いつまでたっても幸せにはなれませんよ
・いつまでチャンスを棒に振り続けるの?
・あなたは何を待っているのですか?
・やりもしないでどうしてわかるの?
・あなたのことなど誰も気にしてない
・大金持ちをランチに誘え!(本書の邦題であるが、実際には全体の中の一節である)
・売り込まないと恐ろしいことになる
・ひたすらシュートを打ち続けよう!

などなど。

 一見してかなりストイックな印象があるが、実はその通りである。

 だからこそ生半可な気持ちで手にすると火傷する。

 しかしそれを受け入れることなしには「成功」の二文字はおぼつかないであろう。本書は確かに「ひとつの極意」と呼ばれる、単純な法則が全体を貫いているが、各章は独立した内容になっているため、どこから読んでもさほど差し支えはないだろう。

 私自身が特に響いたのが「直観力を研ぎ澄ます話」と「売り込みの達人になる話」である。

 前者はしばしばやってくる「ひらめき」に敏感になり、その通りに行動すると、よい結果を得ることがある、と言う話である。

 後者は「売り込み」に否定的な感情を持つことなく、イエスキリストがそうであるように、売り込みの達人になれ、と言う話である。

 その他にも本書には胸を打つ話が多い。ハッと目覚める話が多い。

 それでは成功のための「究極のひとつ」とはいったい何なのか。気になれば、ぜひ、本書をお読み頂きたい。

大金持ちをランチに誘え! 世界的グルが教える「大量行動の原則」/ダン・ケネディ
¥1,470
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「サハラに死す」長尾三郎著

 衝撃的な一冊。数多ある旅行記、冒険記の中で本書は極めて異彩を放っている。

 衝撃性の理由は主人公が旅先で死したことである。

 実際、自転車や徒歩で世界一周する旅人は少なくはない。中には5年も10年もかけて旅をする人間もいる。

 だが、公共交通機関でなく自転車やバイク、ヒッチハイクとなると、それだけ危険も増し、つまりは死の可能性も高くなる。

 しかし中には壮絶な旅をしながらも、生を受けて帰国する人間もおり、その過程は旅行記という形で出版化されるケースも少なくない。

 そしてそのような旅行記に影響されて、追従する若者も多い。

 しかし、表には出ていないが、その何割かは旅先で病気やけが、強盗にあったりして亡くなっている。

 当然、亡くなったものの旅行記は出ることはないし、あったとしてもよほどの特殊事情であろう。

 本書はその特殊事情たるもので、いずれ死する主人公の旅行記は読んでいて切なくなる。

 しかし、このような形で若者の足跡を辿ることができるのは、当人やその家族にとっても本望なのではないかと思い、心を慰めることにしている。

 本書の著者である長尾三郎は、他に冒険家の植村直己(故人)や比叡山の酒井大阿舎梨を取り上げたものがある。

 植村直己は言わずと知れた歴史的な冒険家であり、マッキンレー登頂の知らせを放った後、行方不明になっている。

 酒井大阿舎梨は存命であるが、生涯で二度も壮絶なる千日回峰行を行ったことで有名である。

 いずれも死と隣り合わせの偉業であり、著者はそのような生と死の狭間を彷徨う人物にスポットを当てるのが好きなようだ。

 本書の主人公である上温湯隆は何とラクダ一頭を従えてサハラ砂漠を踏破する冒険に出る。

 本書は主人公の日記と、その他の多くの証言を元に構成される。サハラ砂漠の一番の相手はその自然である。昼は灼熱地獄、夜は冷却地獄。サソリの危険もある。

 食糧や水の配分にも気を配らなければ、文字通り生死を分ける。しかし旅を続ける上で、一番の命綱は相棒のラクダである。

 

 そのラクダ、サーハビーは中盤、死して禿鷹に食われることになる。

 結末を知る読者はここで旅を辞めておけば、生きて日本に帰れたのに、と誰もが思うだろう。しかし、ここで断念するようでは、最初から旅など出ていない。

 私ごとだが、私もかつてヨーロッパを自転車で横断したことがあった。

 アムステルダムの蚤の市で入手した中古の自転車が、その翌日盗難にあい、失意の中、そのオランダのある街からドイツはミュンヘン行きのチケットを買った。

 だが、いざ列車が出る数分前になって、突然、チケットをキャンセルし(キャンセル料を払った)、再び中古の自転車を買い求めたのである。

 自転車とラクダ、ヨーロッパとアフリカでは、その苛酷さが違うが、気持ちは大いにわかる。

 旅に出る人間は途中で旅を辞めることなどできないのだ。

 主人公は言う。

「一つの目標を目指したのに、一度の障害で退却したら、死ぬまで前に現れる数々の困難にたやすくギブアップしてしまう、そういう人間になってしまうだろう。そういう意味で、青春の旅は人生の原点なのだ。」

 一方でこういう言葉にも出会う。旅先で出会ったあるフランス人の言葉だ。

「人生は前身であり、引き返しはしないとナンセンは言ったが、失敗したら恐れず、引き返し、万全の準備を整えて、もう一度前進せよ、それが本当の勇気であり、前進だ。」

 主人公はこの言葉を「前進」への励ましに取るのだが、その言葉を与えたフランス人は果たしてそれを勧めるだろうか。

 私は決してそうではない、と考える。

 後の祭りであるが、ここは一度帰国して、日本国内ですべての準備を整えてから、その気になれば再度挑戦すればいい、という意味でではなかったか。

 それによって、人生にはどうしても今は越えられない壁もあり、そのためには一時の勇気だけでなく、時期を見ることが重要であることを教えるのではないか。

 それが真の意味での「勇気」であり人生の「前進」ではないか。

 しかし旅に急ぐ主人公は間もなくモーリタニアで、新しいラクダを手に入れる。実はここで主人公は心境の変化を訴える。

「こんな旅で命を失うのはバカだ。万一、死んでしまったら、この素晴らしい人生を棒にふってしまう。そのバランスの谷間に、僕は今、立っている。考え方がかなり打算的になったと思う。保守的になった。つまり、年も精神年齢も大人になったのか、僕が軽蔑していたあの大人に!ラクダを買う前の、あの危なっかしい情熱の炎が少し小さくなっているのを、僕は今、正直に認めなければならない。」

 今読むと実に青臭い。

 親から譲り受けた生命への尊重が軽蔑すべき大人の打算なのか。

 この心境が主人公の「生死」を分けたのだと思う。

 実はここで吐露している。彼は学校を中退したことへのコンプレックスを晴らすために旅に出ているのだと。高校を中退せずに人並みに歩いていくことが「小さな人間」なのだろうか。

 「利己的」で、「目先の利益しか考えない独善的で愚かな人間」で、「思いやりのない人間」、「生きる目的を本質的に失ってしまった生ける屍」なのであろうか。

 決してそうであるはずはない。むしろ一度挫折したラクダの旅に執着し、命を粗末に考え、再び旅に出ようなど、その方がはるかに「利己的」である

 そして主人公はサハラに死す。

 主人公と同じく旅を愛する者として、主人公を最後まで応援したい気持ちもあった。

 できればタイトルの「サハラに死す」はフェイクだったと思いたかった。

 しかし今読むと、旅を愛する者として、主人公は単なる利己的なバカに過ぎないことがわかる。

 本書で描かれる主人公はまさしくバカの見本である。命の値段はそんなに安くない。特に親が死ぬまでは。

サハラに死す―上温湯隆の一生 (講談社文庫)/著者不明
¥509
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「なぜ、追いつめられたネズミはネコに噛みつくのか?」溝口耕児著

 近頃、NLPやメンタル関係の仲間の間でちょっと話題になっていたので、騙されたつもりで購入。

 内容としては「潜在意識」の力を活用せよ、というような、一般的な自己啓発本ではあるのだが、本書ではさらに深く「超意識」という言葉を提示している。

 もちろんここで言う「超意識」もいわゆる「顕在意識」対する「潜在意識」の一部分ではあるのだろうが、いわゆる「本当の自分の力」として「超意識」という定義を持ってきたのは、なるほどと感じさせる。

 まず前提として「超意識」はすべての人に備わっているということ。

 例としては、震災時に何トンもの壁を持ち上げてわが子を救ったお母さんの話。小柄な女性には普通は100キロだって持ち上げられないはず。

 それでもわが子を救うという窮地においては、信じられないパワーが引き出されることもある。いわゆる「火事場のばか力」のこと。

 さらにイチローやタイガーウッズにしても、なぜあれほどの尋常でない活躍ができるのか。それは彼はら試合中に「超意識」を使っているからだとする。

 せっかく備わっている「超意識」を使わずにいるのはもったいない。そのような視点から、本書ではその「使い方」まで、懇切丁寧に紹介される。

 まず「超意識」を出にくくしている原因としてあるのが、3~14歳の間にプログラミングされた「ブレーキ癖」。

 親をはじめ大人からはしきりにあれダメ、これダメと言われてきたであろう。

 それはもちろん子どもを危険から守るために必要な言動であろうが、ダメと言われ続けることによって、本来は危険でも何でもないことまでブレーキを踏んでしまう癖がついたと言う。

 もちろんそれは悪いことばかりではないのだろうが、「成功する」と言うことについても、アクセルでなくブレーキを踏んでしまうものである。

 わかりやすい例をあげれば、「独立して成功する」という目標があったとしよう。

 そのためには会社を辞める必要があるのだが、辞めたら生活できなくなるかもしれない、という恐怖がブレーキとして働く。

 そこでグアクセルを踏んでいれば「独立して成功する」という目標に達しているかもしれないのに、なぜかブレーキを踏んでしまう。

 しかしこれは当然と言えば当然。しかし世の中にはブレーキを踏まない人もいる。

 だからこそ成功するのであり、そういう人こそが「超意識」の使い手と言えるのだろう。

 ではどうすれば「超意識」を引き出せるのか。

 一番簡単なのが「極限状態」に置かれるということ。それこそ生死に関わるような状況に置かれると、知識や経験を超越した「力」が働く。先ほどの何トンもの壁を持ち上げたお母さんのように。

 実際、アメリカのセミナーでは、一種の「極限状態の疑似体験」をさせるものも多いと言う。

 目隠しをして15メートルのロッククライミングをさせたり、他の参加者の支えのみで、テーブルの上から後ろ向きに倒れてみるとか。

 そして実際、体験すると、大泣きしてブレーキが外れるのだとか。確かにラディカルな方法ではあるが、ものすごく効果的かもしれない。

 実際、アメリカの自己啓発セミナーは、ほとんどがワークを中心に進められ、話を聞くだけというのは少ないそうだ。

 本書によると、意識には4段階あって、普段意識している「顕在意識」、行動パターンや癖などの「無意識」、幼少時から少しずつプログラミングされて自らのパーソナリティを形成する「潜在意識」、そしてその下に生まれながらに持っている生命維持装置として「超意識」があると言う。

 その4つの「意識」は一本のパイプでつながれており、奥に行くほどパイプの詰まりがひどく、通常は「顕在意識」と「無意識」を行ったり来たりするに過ぎないと言う。

 だとすれば、「顕在意識」から「超意識」までのパイプをすっかり掃除してしまえば、文字通り、いつでもすごいパワーを発揮することができるし、自分の思いのままの人生になるわけだある。

 ブロックが厚い人は、そのパイプの詰まりが厚い人と言える。

 そしてその詰まりを掃除することを怠っているがゆえに、いつまでたっても同じことの繰り返し、望まざる自分に留まってしまうのだろう。

 本書はその「パイプの詰まり」を掃除するためのノウハウが紹介されているのだが、実は誰でもパイプの詰まりが全くない時期を経験している。

 それは言うまでもなく幼児期である。その後、あれダメ、これダメという禁止ルールによってパイプはどんどん詰まってしまうわけだが、もし、本当に自分の人生を歩みたいのであれば、その「詰まり」はどこかで掃除する必要がある。

 もしかしたらそれは今かもしれないし、来年かもしれないし、もしかしたら詰まったまま生涯を終えるのかもしれない。

 いや、むしろ詰まったままの人がほとんどかもしれない。

 ということは、人生成功の秘訣は「4つの意識」の「パイプの詰まり」を掃除することだと単純化することもできよう。

 本書では12週間でそれを実行するためのプログラミングが組まれており、それを忠実に実行すると、12週間後には自動的に「超意識」が動き出し、「なりたい自分」に近づいていくことになる。

 具体的な方法については、本書に譲りたいが、この12週間のプログラムはなるほどと思わせられる部分も多い。

 また、奇をてらったものではなく、非常に常識的、合理的なプログラムだと思われる。

なぜ、追いつめられたネズミはネコに噛みつくのか?/溝口 耕児
¥1,365
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「今夜、すべてのバーで」中島らも著

 およそ10年ほど前に読んだきりで、久々に読んでみた。

 主人公が35歳であることに驚く。

 私と同じ年齢。主人公は重度のアル中でγGDP1300という恐るべし数値の持ち主。肝硬変か肝臓癌で顔中を黄だんだらけにした状態で入院。

 言うまでもなく、本書は著者である「中島らも」の自伝的フィクションである(と思う)。

 らも氏は現に若い頃からアルコールや薬漬けの生活を送っており、それ以外でもかなり破滅的な毎日を送っていたそうだ。そして50代半ばの若さで亡くなっている。

 脳挫傷が直接の原因だが、日常的にラリッていたことは想像に難くない。

 物語は一人の若者がアル中から立ち直る様子を、病室での出来事、人間模様を舞台に描かれている。

 いわゆる「アル中闘病記」であるが、らも氏の筆にかかると、決して重苦しくなく、さりとてノリの良いタッチというわけでもなく、なんとなく何も考えずに書いてます的な雰囲気が漂っている。

 酒に溺れて破滅的な毎日を送っている割には、いわゆる医学的な知識も半端ではなく、小説タッチのドキュメンタリーとしても読める。

 もちろん、らも氏の文章だからこそ読めるのだが。

 一応、35歳の同い年の物語として読もうと思ったが、晩年のらも氏の姿がチラついて、決してそんな風には読めない。(今現在は37歳です)

 ただ、それは「今の35歳」と比べるからであって、時代的な要素を鑑みると、古き良き時代、無茶をしても大目にみられるような、大らかな時代背景が感じられる。

 終盤では、一応、アル中から立ち直った主人公が恋人とバーで「ミルク」で乾杯をするのだが、「それはないやろ」的なクサイ台詞で場を盛り上げる。確かにその台詞は、ない。。。

 読了後は妙にすがすがしい。

今夜、すベてのバ-で (講談社文庫)/中島 らも
¥560
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だからアナタは成功しないんですよ!

私の周りには、コーチ、カウンセラー、アロマセラピスト、レイキヒーラーなど、いわゆる心理系・スピリチュアル系の人が少なからずいます。

その人たちにとって、と言うよりは、商売で人からお金を頂く立場にある人は、「集客」に一番苦労することは言うまでもありません。

先日、あるセミナープロデューサーの人と話をしていたのですが、中には「私セミナーする人、あなた集める人」みたいな人が時々いるんですよね、と言って嘆いておられました。

セミナーをする立場から言わせてもらうと、「私セミナーする人」が通用する段階になれば、言うことありません。

もちろんすでにその段階の人も大勢いるにはいますが、その人たちに共通することは、単独でも十分に集められる、、、ってことです。

そしてすでに素晴らしいセミナーや講演のできる人なんです。

ですので、一般的には「集客力」と「コンテンツ力」は正比例することが通常で、集客できる人はコンテンツも素晴らしし、その逆もまたしかりです。

先日、ランチェスター経営㈱のセミナーに参加した時、興味深い話を聞きました。

それはどんな商売においても、置くべき比重は「商品:営業=1:2」であるということ。

ですので、もしも自分のところに突出した商品がないのあれば、商品開発の2倍は営業努力をしなさいってこと。

その結果、多くのお客さんがつくと、クレームや意識の高揚にとって、商品力も上がりますよってこと。

つまりは、セミナー業をするにおいても、中身云々よりもまずは「集客」なんですね。

それで仮にボロボロのセミナーになってもいいじゃないですか。

もちろんお金を払う参加者には申し訳ないとしても、最初の段階は「返金保証」をしてでも集客に力を入れないと、内容の向上にもつながりません。

失敗を恐れては何もできませんから。

やっぱり現場に出て客観的な声を頂きながら練磨していく方が、何百万のセミナーを受けまくるよりもはるかに価値があることでしょう。

そこで「集客力」を高めるために、どうすればいいのか。

それは永遠のテーマでもあり、こんな場所で一言で言えるようなことではないでしょうが、あえて言うならば、今は「ネット」があります。

正直、ネットがない時代は、どうやって集客してたのかな~と思うのですが、ともかくネットがあります。

そこで、いいよっておススメされるのが、このアメブロです。

で、そこまではみんなやるんですよね。

アメブロでアカウントとって。

しかしその先が進まない。

最初の方は、自らの知識をありったけ書いてくるのですが、それが枯渇すると、ブログも枯渇。

とにかく「書く」ことは重要なんでしょうが、もしもブログを集客に使うのならば、そのノウハウをきちんと学ぶ必要があります。

今は田渕さんの「パワーブロガー養成講座 」のような、無料で良質なノウハウを提供して頂けるサイトもあり、まずはそこに書かれてあることを徹底的に実践するのが近道だと思うのです。

例えば「読者登録1000人」など。

しかし、中には「読者になりたくない人の登録などしたくない」と言う人もいます。

話は変わりますが、以前、ある人が、いわゆるエモーショナルマーケティング的なやり方を徹底的に批判していました。

魂胆見え見えで、かえって信頼なくすよ、、、みたいなことを言うのです。

しかし客観的にみると、そのマーケティングをされている人は、批判している人の100倍以上は成功しています。

と言うか、その批判している人は、アメブロこそやっていても、まったく結果を出していないのです。

重要なのは、どうありたいかのか、何を目指したいのか、、、ってとこでしょう。

もしもアメブロを頑張って集客して、セミナー業で成功したいと思うのなら、そのためのできることは何やってもいいじゃないですかって。

もちろん触法することはダメですが、「やり方」をきちんと学んで実践すれば、必ず結果もついてくるのです。

「読者登録1000人しないこと」が人生における最重要の目標であるならば、それはそれでいいのですが、もしも事業で成功したいのなら、そんなことで有利になるなら、やらない理由はないはずです。

「やり方」につべこべ言って、まったく結果を出さない人たち。

だからアナタは成功しないんですよ!

さあ、オレもがんばろ。

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