「7日間でキラキラになる★」石井裕之著

 乙女チックな装丁で、ビジネス書に馴染みの薄い一般層をターゲットとしたものか。

 これまでの石井本のまとめのような内容であるが、あたかも隣で話しかけられているかのような語り口には、つい引き込まれてしまう。

 7日間で「キラキラ」になる本。

 ところで「キラキラ」とは何か。深い意味はない。

 一つの理想的なあり方、深い定義はなくとも、若者であれば目指したい、生き方の総称。とにかく、7日間で「キラキラ」になる。

1日目:心の筋肉(メンタルマッスル)を鍛える。注目されることに慣れる。

2日目:愛され上手になる。受け取り上手になる。

3日目:ほめ上手になる。とにかくほめる。

4日目:自分を表現する。安心感を与える。

5日目:「愛」を高める。好きだから続くのだ。

6日目:バランスを保つ。好きなことは両方やる。

7日目:自分のできることをしっかりやる。人生に責任をもつ。

 改めて読んでみると、、、とても大切なことが書かれていた。これで私もキラキラに。

キミが輝けば、仕事も恋もうまくいく! 7日間でキラキラになる★/石井 裕之
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「インド怪人紀行」ゲッツ板谷著

 愉快痛快なインド旅行記。ヤンキーが立ち話してるみたいな文体で一気に読ませる。

 おそらく日本では強面で通っている3人が珍道中を繰り広げる。確かにやくざっぽいサングラスにひげ面はインパクトがある。

 行先はデリー、ムンバイ、ゴア、バラナシ、コルカタ、そしてインパール。

 デリーからコルカタまでは言わばインドの王道とも言える観光地である。

 とりあえずデリーは玄関口。ムンバイはインドにおける最大都市でありゴアまでの通過点。そしてゴアは西洋人にも人気が高いヒッピーの聖地。

 
 バラナシは言わずと知れたインドの聖地中の聖地。コルカタは世界最悪の都市とも言われる、いわば植民地時代のインドらしいインド。

 しかし気になるのはインパール。通常のツアーではもちろん、強硬なバックパッカーでもなかなか足を踏み入れることのできない、ある意味秘境の地。

 かつての戦地として有名であるが、今でも治安面等で問題が多く、立ち入るには厳重なパーミットが必要となる。

 そして日程はすべてガイドの監視がつく。そのような難しい地域にあえて立ち入ってみるのも、本旅行記の面白味の一つとなっている。

 さすがの3人もやはりインドには手こずっているようだ。いちいちうまくいかない、インド人が鬱陶しい、しかしなかなか楽しそうではある。

 案の定、ゴアではハッパをやり、もっぱらドラッグ談義に花を咲かせる。なかなか体験できない世界であるだけに、生の話は実に興味深い。

 バラナシではなんと売春宿にまで足を運んでいる。東南アジアと違って、インドの置屋は意外なほどに避けられている。その描写はまさにエゲツナイ。

「なんとも香ばしい部屋だった。窓一つない独房のようなその中には、ダニのマンションになていそうなボロボロのベッドと水がたたえられたバケツと手桶しかなかった。


 そして、ベッドから最も離れた一角の床。そのには小さな排水口が開けられており、それに掛っている金属の上には白い液体の入ったコンドームが3つ叩きつけられていた。しかも、周囲からは強烈なアンモニア臭が漂ってくるのである。察するに、排水口自体がトイレも兼ねているのだ。」

 よくぞそんなところでコトに及べるものだと感心するが、著者は、、、やっぱりできなかったそうだ。実はかなり正常な精神を持っている。だからこそ本などもかけるのであろうが。

 結局、本書はインド・アウトローの旅となっているが、実はこれもまた正常なインド旅行のあり方であり、単に多くの旅行記がこの部分を避けているに過ぎないとも言える。

 インパールに入ることも、確かに「変わっている」という意味で、アウトローな旅には違いない。

 インド旅行としては、ひとつの健全なあり方である一方、インド旅行記としてはかなりに怪しい部類に入る。まさしく「怪人紀行」であろう。

インド怪人紀行 (角川文庫)/ゲッツ板谷
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「一瞬で自分を変える法」アンソニー・ロビンズ著

 1985年にアメリカで可能された「Unlimited Power」の部分訳。

 本田健氏が訳と解説を手掛けている。当時としては新しかったNLP(神経言語プログラム)の解説書。

 今となっては、日本でもNLPの解説書は数多く出されているが、未だにこれを超えるものはないと言える。非常にパワフルな一冊だ。

 本書では様々な成功のエッセンス(力:Power)が紹介されているが、その中でもしも一つだけ選択するとすれば、「信念(ビリーフ)」の力を取り上げたい。

 とりわけ「人間の歴史は信念の歴史だ」というメッセージ。

  
 行動を変えるには、信念を変えるしかない。成功を自分のものにするには、成功した人の信念を自分のものにするのである。

 病気の人間は自分が病気であるという信念を持っている。

 うまくいかない人は、自分でうまくいかないという信念を持っている。逆に成功している人は、成功しかあり得ないという信念を持っている。

 「信念」こそが成功において最も重要な基盤なのである。

 本書ではNLPで紹介される、リフレーミング、アンカリング、ペーシングなどの基本スキルが実例とともに分かりやすく解説されている。

 NLPの実践者は復習に最適であるばかりでなく、改めて「成功」へのステップを確認する上でも再々読に値する。

 本書を含む原盤の「Unlimited Power」は歴史的名著となる傑作である。

一瞬で自分を変える法―世界No.1カリスマコーチが教える/アンソニー ロビンズ
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「カレーライスと日本人」森枝卓士著

 「美味しんぼ」でも「実に面白い」と取り上げられた本。日本人とカレーを取り巻く食文化論。そして面白い。

 

「美味しんぼ」で取り上げられたのが「カレー粉の謎」。つまり、そもそも「カレー粉」なるものはオリジナルにあるものか。

 今でこそ日本でもインドカレーを初めとしたエスニック風のカレーがいたるところに見られるが、広まったのは実はそんなに最近のことではないように思う。

 本書が刊行されたが1989年、つまり20年前であるが、その頃、「カレー」というと、やはりカレー粉やルーを溶かして、家庭や給食で食べられるものだったのではないか。

 今のようにカレー屋のチェーン店も多くなかったように思う。

 しかし本書で明らかになったのは、そもそも「カレー粉」など存在しないという事実。

 つまり本場のインドでは、カレーは各種のスパイスを調合して、各家庭で異なった味となるのが一般的。

 調理の最後に「ガランマサラ」というカレー粉のようなものを入れるが、これは単なる味の調節にためにあり、カレーのメインではない。

 今、日本にあるインドカレーを食べると、そのことがわかっているので、なおのこと味の違いを楽しむことができる。

 そもそも「カレー粉」とはインドを植民地支配していたイギリスが、一回一回スパイス調合するのが面倒で作ったもの。

 それが日本に入ってきて、レストランや家庭で用いられるようになったとのこと。

 とにかく著者の探求心が素晴らしく、カレーを巡って世界各地、歴史までさかのぼって見て食べ歩く。

 日本にカレー(ライス)が入ってきたときは、なんとわずかなスパイスに肉は「かえる」を使っていたのだと。もちろん著者はそれは再現している。

 カレー好きにはたまらない一冊だ。

カレーライスと日本人 (講談社現代新書)/森枝 卓士
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「かもめのジョナサン」リチャード・バック著

 古典的名著(?)として知られる「かもめのジョナサン」だが、人から勧められたので、初めて手に取って読んでみた。

 テキスト自体は一時間もあれば読める。主人公はジョナサンという名の「だいぶ変わったかもめ」である。

 鳥は食べるために飛ぶ。しかしジョナサンは「飛ぶ」ために飛ぶという、群衆とは違った目的を持つようになる。

 人は何のために生きるのだろうか、という問いかけにも感じる。

 前半、ジョナサンは群れから追放されながらも、思考錯誤を繰り返しながら、飛ぶことを極める。自己実現する。

 しかし問題は後半部である。飛ぶことを極めた先には、瞬間移動の術、蘇生の術などを身に付け、それを弟子に伝授する。

 人は無限の可能性を持っているというメッセージ性を感じ、ジョナサンの生き方、考え方に大いに共感する人も多いだろう。

 
 しかし、一方において、どこか相容れない「違和感」を感じるものもあるだろう。

 その違和感については訳者である五木寛之氏が解説で述べている

 五木氏はこの当時「青年は荒野をめざす」を著し、自由に旅立つ若者の精神的支柱となっていた。

 「かもめのジョナサン」も同様に、組織や群れから自由になり、無限の可能性を追求する若者の鼻息荒さを表現している。

 にも関わらず、五木氏は「かもめのジョナサン」に「違和感」を感じると述べているのは、非常に興味深い。

 多くの読者が指摘するように、本書は一種の神秘主義的新興宗教のバックボーンとなっているかもしれない。

 そしてそれは日本における「現代スピリチュアリズム」に受け継がれていると見るのは難しくない。

 いわゆる「アセンション」に向けて、今、すべきことは何なのか。

 物質文明から脱却し、真なる人間性、精神性を追求せよ。社会的な反発に直面しても、ジョナサンのごとく、例え「悪魔」と言われようとも、求める先には光を見るのだ、と。

 五木氏の違和感もここにある。人は「さながら」に生きてもいいのだ

 食べるために生きようが、飛ぶために生きようが、価値は等価であり、大衆と違った生き方をすることだけが優れていると錯覚するべきではない。

 「さながら」に生きることもまた勇気なのである。「選民思想」的な心地よいまどろみに毒されてはならない。

 ジョナサンの生き方も一つの生き方。そうでない生き方にも素晴らしさや幸せがあることを今一度確認したくなる一冊だった。

 私自身がジョナサン的な生き方に憧れをもつだけに。 

かもめのジョナサン (新潮文庫 ハ 9-1)/リチャード・バック
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